十五

 

 応接間の前で不意に立ち止まった彰さんは、くるりと私を振り返った。
「美月様。闇音様の代わりに私が同席させていただきます」
「あ――さっきの闇音のはそういう意味だったんですか」
 彰さんに向かって雑に顎をしゃくったのは、彰さんに同席せよという意味だったのか、と私は思いながら小さく頷いた。彰さんは微かに苦笑を浮かべた。
「決して美月様を信用していないというわけではございませんので。気を楽にして雪留君と話してください」
「ありがとうございます」
 彰さんを見上げて微笑むと、彰さんは軽く頷いてから音を立てずに襖を開けた。そして部屋の中を手で示す。軽く頭を下げて敷居を跨ぐと、座椅子に座っている雪留君と目が合った。
「雪留君」
 思わず微笑んで声を掛けると、雪留君は座椅子から立ち上がってお辞儀をした。
「姫。お元気そうで何よりです――と言っても、昨日の今日ですけど」
 雪留君は私に向かってそう言ってから、彰さんに軽く目礼する。彰さんもそれに返すように小さく頭を下げた。
「どうぞ座って」
 座椅子を手で示しながら、私も雪留君が座っていた座椅子の真向かいに腰を下ろす。綺麗に磨かれた木のローテーブルには、既に湯呑みとお茶請けが用意されていた。
「雪留君。せっかく来て貰ったのに申し訳ないんだけど、輝石君は今出てるの。さっき出掛けたばっかりだから、まだもう暫く帰って来ないと思う」
 湯呑みに手を伸ばした雪留君を見つめて、私はそう声を掛ける。突然の雪留君の訪問の目当ては輝石君だろうと踏んだのだ。
 けれど、どうやらその見当は外れていたらしい。雪留君は私の言葉に軽く頷いてから、結局湯呑みは手に取らずにすっと手を引いた。
「知ってます。さっき黒月邸に向かっている途中に輝石と――というか、四神の皆さんと会いました。どこかに出掛けられるとか」
「そうなの。ちょっと用事があって」
「別に輝石になんていつでも会えるので、わざわざ黒月まで来たりしません。僕は姫に会いに来たんです」
 雪留君はどうでもいいという風にそう言って手で払う仕草を見せる。それから今度は至極真面目な表情で、じっと私を見据えた。
「姫」
「何?」
「僕に話してください」
「……何を?」
「昨日のことを、です」
 雪留君は私から目を逸らさずに、真っ直ぐな言葉を伝えてくる。私はそれに一瞬だけ尻込みしながらも目は逸らさなかった。
「誰がどう見ても昨日の姫は様子がおかしかった。姫だけじゃなく、蒼士さんまで――まるで、この世の終わりみたいな」
 雪留君は眉間に皺を寄せて、いつもは可愛らしいだけの顔を険しくさせた。
「姫がどうして白月に来たのか泉水様に訊いても何も答えてくれなくて。というか、泉水様も姫の訪問理由がよく分かってないみたいだった」
「別に大した理由はなかったの。ちょっと白月邸の近くまで行ったから寄っただけで――」
「誤魔化さないでください」
 雪留君はぴしゃりと私の言葉を遮ると、続けた。
「僕は白月三大です。泉水様に拾われた可哀想な孤児だったから三大に入れたわけじゃない。僕にはそれ相応の実力があると認められたから三大に入れたんです。その僕に対して、誤魔化しなんて通用しません」
「雪留君。そういう物言いは――」
「彰さんは黙っててください」
 彰さんが雪留君と私の間に割って入ろうとしたのさえ、雪留君は許さなかった。冷えた瞳で彰さんを一瞥した雪留君は、今度は心配そうな瞳を私に向けた。
「昨日の姫は明らかに様子が変だった。そして今日、四神は揃ってどこかへ出掛けた。姫は黒月邸に残っているのに、姫の護衛を務めるはずの四神全員が、です。これは何かあったに違いないって誰が見ても分かります」
 詰まることなくすらすらと話す雪留君に、私は内心舌を巻いた。
 雪留君が三大の一人に名を連ねているということは確かな実力があるからだと分かってはいた。けれどまさかここまで観察眼に優れているとは見当もついていなかったのだ。まったく思慮に欠けていたとしか言い様がない。
「昨日、態度がおかしかったのは蒼士さんもです。姫も蒼士さんも表面上は取り繕っていたけど。でも、あの蒼士さんがあんなに取り乱していたということは絶対に何かあったはずです――姫の身に」
 雪留君は最後に静かにそう告げると、じっと私を見つめた。
「姫。僕は力になりたいんです。話してください」
 雪留君が紡ぐ真摯な言葉に少し心が緩む。
 話してしまえば、少しは心が軽くなるだろうか。
 けれどここで本当のことを言うわけにはいかない。闇音に釘を刺されたというのもあるけれど、それ以上に心配をかけたくないという気持ちがあった。
 雪留君に誰にも話さないでと言えば、きっと彼は泉水さんにも黙ったままでいてくれるだろう。けれど、その代わり雪留君は一人で私の身に起こることを受け止めなくてはならなくなる。
 それに私は今、黒月家の人間なのだ。立場から言って、白月家の三大である雪留君にこのことを話すわけにはいかない。私の力のことは黒月家の繁栄に大きく関わっているのだから。
「ありがとう。雪留君」
 少し目を伏せてそう言うと、私の隣で彰さんが息を呑む気配がした。私は代わりに息を吐き出して、目を上げた。
「でも、大丈夫だから。心配しないで」
「でも姫――」
「雪留君のその気持ちだけで十分力になるよ。ありがとう」
 私はそう言って微笑んだ。雪留君の目が見開かれて、それから諦めたようにそっと目を閉じた。
 隣で彰さんが小さく息を吐くのが聞こえた。目の前の雪留君はちらりと彰さんに視線を走らせてから、私を苦笑が混じったような笑顔で見つめた。
「じゃあ、その言葉を信じます。あとは輝石も。姫を守るって、輝石が言ってたから……それを信じることにします」
 雪留君はそう言うとすっと立ち上がって、彰さんと私に向かって一礼する。それから襖を開けて部屋を出ると、こちらを振り返らずに前を向いたまま歩いて行った。

 

 

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