三十七

 

 私の未来に大きな影響を及ぼす――?
 闇音は一体、何を言っているのだろう? そしてどうして、父も母も闇音の言葉に何も言わないのだろう? 私の未来に影響を及ぼすということは、つまりどういうことを意味するのだろう? 私のことを話しているはずなのに、私は状況を理解できていない。
 ぞくりと背中に悪寒が走る。意味もなく体が震えだす。誰かにすがりつきたいぐらい不安なのに、傍には誰もいない。闇音に触れることはできなくて、父も母も遠くて、蒼士さんも聖黒さんも真咲さんも、私の狭くなった視界の中には入ってこない。
 自分で自分を支えることしかできなくて、私は自分自身を抱き締めるように腕を抱え込んだ。
「闇音君――君は一体、何を知っているんだ? 何に気づいているんだ?」
 息を凝らして闇音を見つめていた父が、やっとのことでそう言葉を継いだ。
「……当てずっぽうですよ。確証なんて何もない。ただ、あなたと奥方の様子を見てそうではないかと思いついただけです」
 闇音は微妙な間を取ってから、父に言葉を返した。
「それで、一体どういうことなのか説明していただきましょう。お二人が知っていること、すべてを」
 闇音はまるで罪を犯した者を裁くかのように、無慈悲な調子で淡々と告げる。
 私は畳に落としていた視線を上げる。父と母へそれを定めると、じっと二人を見つめた。父は私の無言の問い掛けに、深い皺を眉間に刻んで苦しげに顔を歪めた。
「斎野宮の第一子として生まれた娘を、白月家か黒月家に嫁がせるよう決めたのは二百年前のことだった。嫁取り争いに巻き込まれて死亡することが多かった娘のために、強力な家柄が庇護を与えるため――というのが理由だ」
「ええ。それは存じています。娘を欲しがった白月と黒月が斎野宮にそれを求めた、と」
 闇音は、わざわざここで確認するほどのことではない、とでも言うように面倒くさそうに言った。父はそんな闇音の態度には表情を変えずに、軽く頷いた。
「だがそれは長い間信じられてきた表向きの理由だ。本当の理由は、別にある」
 父は言葉を紡ごうと何度か試みた様子だったけれど、結局それ以上は上手く言葉にできなかったらしい。母の手を握って、それから聖黒さんへ視線を走らせた。
 闇音の顔が聖黒さんへ向けられる。私もゆっくりと聖黒さんへ顔を向けると、じっと彼の顔を見つめた。部屋の中にいる全員が聖黒さんに注目しているのに、当の本人はまったくそれを意に介さない様子で目を伏せている。
「聖黒」
 父がそっと聖黒さんの名を呼ぶと、聖黒さんはゆっくりと目を上げて父の視線を受け止めた。聖黒さんは複雑そうな表情を見せて、けれどすぐに自嘲気味に微笑む。
「嫌な役回りは私ですか? 令様」
 聖黒さんは父から目を放さずに呟くと、目に見えて分かるほど肩を落とした。
 父は聖黒さんの台詞にも気を留める余裕がないらしい。それか、聖黒さんとは本当に親しいのかもしれない。父が気分を害した様子は一切なく、ただ聖黒さんを頼りにしているような、そんな縋るような視線を送っていた。
 聖黒さんは父から目を外すと私を悲しげに見つめてから、闇音に向かって話し始める。
「あの約束を持ちかけたのは、実際は斎野宮の当主からでした。当時の斎野宮の当主は、白月家と黒月家に懸けたのです。都で随一と言われる力を誇る両家に――白龍と黒龍の末裔である両家に。両家側には『この約束を持ちかけたのは白月と黒月からだったと伝わるようにして欲しい』という斎野宮の当主たっての願いがありましたので、現在両家に伝わる伝承では両家側から斎野宮に申請があった≠ニいう形になっているのです」
「だが、わざわざ偽る必要がどこにある? 偽ったところで、一体何があるというんだ。話を聞けば、娘が繁栄をもたらすということに関しては偽りではないわけだろう」
 納得がいかない、というように闇音が口を挟む。聖黒さんはその発言に、もっともという様子で頷いた。
「確かにそうですね。白月にも黒月にも娘を娶ることで利益があります。それは偽りではありません。ですから斎野宮の当主のわがままな要望にも頷いたのでしょう」
 闇音を見上げると、厳しい顔つきで聖黒さんを見据えていた。どうやら聖黒さんが言った言葉の意味をじっくりと考えているらしかった。
 私は自分の話をされているにもかかわらず、なんだか途端に部外者になってしまったような心持ちになって口を挟めずにいた。彼らが話す言葉を理解できてはいるけれど、まだ頭はついていけていない。そんな中途半端な場所に思考が留まったままだった。
「あの……こういうことでしょうか?」
 静まり返った部屋の中、遠慮がちな声が聞こえてそちらへ顔を向ける。そこにはおずおずと手を挙げて聖黒さんを見つめている真咲さんがいた。
「白月、黒月側から斎野宮に申請があったという形にしたのは、斎野宮の当主の要請なんですよね? つまり、斎野宮の当主が自らが話を持ちかけたことを知られたくなかった≠ニいうことでしょうか?」
 真咲さんが慎重に言うと、はっとしたように隣で闇音が息を呑んだのが分かった。
「――知られたくなかったのか。二百年後に生まれてくる斎野宮第一子の娘≠ノ」
 闇音が低く呟くと、聖黒さんが顔を強張らせる。上座に座ったままの両親にそっと顔を向けると、二人とも私の視線から逃れるように顔を逸らした。
「お前に知られたくないことだから、わざわざ隠したのか」
 闇音は私を見下ろして言う。
 視線が交錯する。闇音の瞳の中に映る私が、酷く不安そうな顔をしていた。
「わ、私……意味が分からない。話が理解できない……」
「嘘だ。お前はこの意味が分かっているはずだ。お前はそこまで愚鈍ではない」
 私がやっとのことで呟いた言葉も、闇音にすぐさま否定される。
 本当に意味が分からないのに。何の話をしているのかすら、もう分からないのに。
「力の発現。それがどういったものかは分からない――つまり今まで、誰ひとりとして力を発現させた娘がいなかったということでしょう? 力を発現できないままに、歴代の娘たちは死亡したということですね」
 闇音は最後の台詞を両親に向かって言う。二人は頷くだけで何の言葉も紡がなかった。
「そのことを隠すために、娘が死んだ理由を嫁取りの際の争いに巻き込まれて≠ニしていたわけだ」
 隣で闇音がゆっくりと告げる。私は瞬きをするのも忘れて畳の目に見入っていた。
「ちょっと待ってください」
 唐突に蒼士さんの静かな声が割り込む。
 私は畳から目を外して蒼士さんを見つめる。ぼんやりとする頭の中で、目に映る蒼士さんがゆらゆらと揺れているように思えた。
「闇音様。ご自分がおっしゃっている意味をお分かりですか? ご当主、奥方様。どうしてそれに反論なさらないのです?」
 蒼士さんは縋るような声で、何かを切望するような瞳で、闇音と両親を交互に見つめていた。
「反論できないのだ。私は――」
「反論してください!」
 蒼士さんは父の言葉を遮ると、珍しく声を上げて言った。
「では……私は何のために十六年間を過ごしたのですか? 私は何のために――」
 蒼士さんはそこで言葉を切ると、膝の上で強く拳を握って俯いた。私はそんな蒼士さんをどこか冷静な目で見つめていた。
 どうして蒼士さんはこんなに感情的になっているのだろう。どうして闇音は私を冷たい目で見つめるのだろう。どうして父も母も私と目を合わせようとしないのだろう。
「美月。あなたは十六になったその日から、一年以内に力の発現がなければ――」
 母は辛そうにそこまで言うと、また顔を俯ける。
 十六歳から一年以内に力の発現がなければ――。その言葉の先が、ぼんやりと頭の中に浮かぶだけで明確にはならない。表情が欠落してしまったように、私は無表情に母を見つめていた。その言葉の先を、はっきりと聞くために。
「死ぬ」
 けれど思いがけず隣からその答えが届く。
 闇音は私を表情なく見下ろして、淡々とその宣告を下していた。まるで命を奪う死神のように、まるで死の国へ誘う天使のように、凛とした美しさで。
 私はまだ他人事のように呆然として闇音を見つめていた。その言葉の意味が、重みが、まったく私に圧し掛かってこない。
「聖黒さんは知っていたんですね」
 蒼士さんの冷たい声が聞こえる。定まらない視線を蒼士さんの方へ無理やり向ける。霞む視界の中で見えたのは、今まで一度たりとも見たことがなかった蒼士さんの怒りに震える顔だった。
 聖黒さんは蒼士さんを悲しそうに見つめてから、頷いた。
「ええ、知っていました。私は美月様が生まれた日、令様からこの話を聞きました。四神では私以外、誰も知りません。朱兎も、輝石も――」
「どうして知っていたのに黙っていたんですか」
「……言う必要がないと判断したからです。実際、あなたが美月様を守るために下界へ降りるのに、必要な情報ではないでしょう」
 聖黒さんは淡々と告げると、視線を落とす。
 蒼士さんはそんな聖黒さんを一瞥してから、私を真っ直ぐ見つめた。けれど蒼士さんの視線もすぐに私から逸らされる。
「……どうして? どうして美月なんですか? 俺が下界へ降りて美月を守ってきたのは、一体何のためだったんですか?」
「蒼士――」
「触らないでください」
 蒼士さんに触れようとした聖黒さんの手を、蒼士さんが軽く払った。その目には明らかな拒絶が見て取れる。
 蒼士さんとずっと過ごしてきたから分かる。きっと今、蒼士さんは信頼していた聖黒さんに裏切られた気分なのだろう、と。
 けれど、きっと聖黒さんもすごく傷ついてる。その瞳を見れば、それも明らかだった。
「下界で十六年間暮さねば、美月の命は十六に満たないままに尽きていた。だから蒼士、君が下界で美月を守ってくれたのには意味がある。君のおかげで私たちは、十六歳に成長した美月の姿を見ることができた」
 父はそう言うけれど、蒼士さんは頭を振った。
「俺が守ってきたのは――美月の未来です。彼女が十六を過ぎても幸せに生きていけるように、俺は美月を守ってきたんです。それなのに、こんな仕打ちが――美月は下界の生活すべてを捨ててここに戻ってきたのに、こんな仕打ちがあっていいんですか?」
 蒼士さんは言うと、もう一度私を見つめる。悲しみと憤りと、そして切なさと。色んな感情が混ざり合った瞳の蒼士さんを見て、私はやっとそこで現実に引き戻された。
 途端にすべての重みが私に襲いかかってくる。今、話していたすべてのことが、私の身近に迫ってくる。
 体が震え始めて、私は蒼士さんから目を逸らした。
「私、死ぬの……?」
 やっとのことで絞り出した声は、ほとんど聞き取れないほど小さく掠れていた。

 

 

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