三十五

 

「じゃあ、行ってくるね」
 結局、留守番組となった輝石君と朱兎さんに手を振る。二人は蒼士さんと私に向かって笑顔で手を振り返してから、恨みがましく聖黒さんを見やった。どうやら未だに納得していないらしかった。
 聖黒さんはそんな二人にもにっこりと穏やかな笑顔を見せてから、振り返って真咲さんを見た。
「闇音様はどちらでお待ちです?」
「門の外でお待ちです」
 真咲さんは聖黒さんにそう言うと、隣に立っていた彰さんと芳香さんの方に顔を向けた。三大では彰さんと芳香さんが留守番組だった。
「じゃあ行ってくるね。あとのことはよろしく」
「気をつけてよ。真咲はちょっと気を抜くと何かやらかすんだから」
 芳香さんは気が気じゃない様子で真咲さんに言う。
 芳香さんの隣で彰さんが苦笑を浮かべて芳香さんを見てから、私に真っ直ぐな視線を送った。
「皆さん、お気をつけて。何かあればすぐに連絡をください」
 彰さんは私から視線を外して、今度は聖黒さんと蒼士さんを見る。二人は柔らかな表情で頷くと、私を促して歩き始めた。
「行ってきます」
 私は二人に向かって言うと、じっと彰さんを見つめてから、芳香さんに軽く手を振った。芳香さんは優しく目を細めて微笑みを返してくれる。けれど彰さんは作り笑顔だと分かる顔を私たち一行へ向けた。
 門へ向かって歩いていると、真咲さんが空を見上げながらぽつりと零した。
「雨になりそうですね」
「今は晴れてるけど」
 いち早く反応を返したのは蒼士さんだった。
「うん、今はね。でも北の空を見て。雲行きが怪しい」
「本当ですね。これは酷い雨が降りそうです。私たちが帰る頃は大丈夫でしょうが、夜は怪しいですね」
 聖黒さんが北を向いて顔をしかめる。それを見て私は朱兎さんに渡してもらった傘をみせた。
「大丈夫ですよ。朱兎さんが傘を持たせてくれたので」
「一本だけ、ですか?」
 私の手元を入念に見つめながら蒼士さんが言う。蒼士さんの目は、私がもう一本どこかに傘を隠し持っていないかを願うような感じだった。私はそれではっとして、蒼士さんを見つめた。
「一本だけ、だね……ごめん。もう一本もらってくる!」
 踵を返して走り出そうとした私を、蒼士さんはすぐに腕を掴んで引き止めた。
「いえ、大丈夫ですよ。斎野宮で拝借しますので」
「そうですよ、美月様。それにたとえ斎野宮で拝借し忘れても大丈夫です。我が家にも傘の一本や二本ありますから」
 さらりとさり気なく聖黒さんが話に入ってくる。その台詞があまりにも自然だったので、うっかり聞き逃しそうになってしまった。私は呑気に頷こうとして、顔を強張らせた。
 聖黒さんのことだからきっと勘付いているだろうと予想はしていたけれど、こうもさらりと言われるとは思ってもみなかったのだ。すっかり作戦を見通されていることに、私は少なからず動揺してしまった。
「えっと……そうですね……」
 力なく言う。息を吐き出して俯くと、聖黒さんは屈んで私の顔を覗き込んだ。
「美月様。私は感謝しています」
 思いがけない言葉をかけられて、私は一瞬呆然としてしまった。
「あなたがこうして妹と泉水様のために動いてくださること、感謝しています。私ではどうすることも出来ませんでしたから……。ですが私は本当に喜んでもよろしいのでしょうか?」
「え?」
「あなたは今でも好きでしょう?」
 聖黒さんは私が誰を好きなのか、ということは言わずにいてくれる。その優しさが今は心苦しく感じられた。
「私は美月様の幸せを願っています。嘘偽りなく、あなたが幸せでいてくださるなら、と――私は美月様の行動を喜んでもよいのでしょうか」
 聖黒さんの瞳に映る私が、困惑していた。ここで何を言えばいいのか分からなくて、ただ無言で聖黒さんの瞳から自分を見つめ返す私がいた。しばらく迷った挙句、私はぽつりと呟く。
「私には聖黒さんがいます。蒼士さんもいます。輝石君も朱兎さんも。真咲さんに彰さんに芳香さんも――それに闇音がいますから」
 だけどきっと、泉水さんには小梅さんしかいない。小梅さんには泉水さんしかいないように。
「そうですか……」
 聖黒さんはそれだけ言うと、背筋を伸ばして前を歩きだした。
 黙々と門へ向かって歩く。その後は誰も何も話さなかった。まるで話すことが罪に値するかのような空気さえ漂っていて、それが重苦しく感じられる。門の外に闇音の姿が見えたとき、それが救いの光に思えたくらいだった。
「闇音様。お待たせいたしまして申し訳ありません」
 真咲さんが闇音に嬉しそうに走り寄っていく。けれど闇音はそれを無感動な表情で受け止めた。
「俺は駕籠に乗っていく。お前はどうする?」
 闇音は門の前に待機している籠を指差してから、私を見てそっと首を傾げた。そこには既に人数分である五挺の駕籠があった。
 闇音が私を見て声を掛けてくれたことにほっとする。
 あの日、出過ぎたことを言ってしまったとずっと後悔していた。何があったのかも知らないのに、分かったような口を聞いて闇音を傷つけてしまったと。
 その事実は変わらないけれど、私の存在が闇音の中から消し去られたわけじゃなかったことにとても安堵している自分がいた。
 私は蒼士さんと聖黒さんを見上げてから、闇音へ視線を戻して彼と同じように少し首を傾げた。
「闇音がわざわざ手配してくれたのなら、駕籠に乗せてもらいたいな」
 闇音は私の言葉に軽く頷くと、真咲さんに顎で駕籠に乗るように指示を送る。それから闇音はさっさと駕籠に乗って行ってしまった。
 なんとも闇音らしい。だけど無視されたわけじゃない。そんな小さなことですら、今の私には救いに思えた。

 

 

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