二十六

 

 それから輝石君は思い出したように、けれどとても不自然に話を断ち切って、ときどき訪ねてくるという雪留君の話を始めた。
 雪留君がよく早朝に訪ねてきて嫌味だけを言って帰るだとか、早起きが出来ないから知恵を貸せと言ってきただとか、それはどれも他愛ない話だった。けれど、その話を頑張って楽しげに語ろうとする輝石君を見ると、さっき思わず零してしまった言葉が悔やまれた。
 無神経なことを言ってしまったのだ。きっと輝石君をとても傷つけてしまった。けれど輝石君はそれを責めるでもなく、しんみりとした空間を明るくしようとしてくれている。
 私はそんな輝石君を見つめながら、胸が痛むのを感じた。
 輝石君に謝罪の言葉を告げれば、きっと輝石君の方が辛くなってしまう。そう思うと私の口から「ごめんなさい」という一言は出てこなかった。私がこの一言を吐き出せば、輝石君の気持ちの行き場がなくなると、咄嗟にそう思ったのだ。
 私は闇音に言われた言葉を思い出して、胸がずんと重くなるのをひしひしと感じていた。
 私は甘い。甘やかされて育って、何も分からないままここまで大きくなってしまった。
 無意識に零す言葉が、それが悪意の言葉ではなくても誰かを傷つけることがあると、ちゃんと分かっていなかった。その甘えが今、目の前の大切な友人を傷つけてしまったのだ。そしてそれは、輝石君だけじゃなく、小梅さんや泉水さんや、そしてきっと蒼士さんのことも――。
 甘やかされて育ったから何も知らなかった、という簡単な言葉では、決して許されることではないだろう。
 輝石君は話に一区切りついたのか、ほっと息を吐き出すと、たい焼きを手に取って頬張り始めた。私はそれを見て、罪悪感にまみれる心を何とか落ち着かせて、同じようにたい焼きを口に運んだ。
 白亜さんの好物だという輝石君お手製のたい焼きは、さっき食べたときの甘い味とは違って、どこか胸に迫ってくるものがあった。
「美月さま。俺、別に悲観的になってああ言ったんじゃないんですよ。仕方ないことなんです……分かってください」
 私が沈黙しているのを気にしてか、輝石君はそう呟いた。
 私は、何一つ成長できていない自分が、無性に恥ずかしくなった。
「失礼します」
 黙々とお菓子を口に運ぶ輝石君と私は、襖を隔てた廊下から、彰さんの声が聞こえてきて同時にそちらへ目をやった。程なくして襖が開かれて、彰さんと白亜さんの姿が目に入る。彰さんの隣に立つ白亜さんは、見るからにぼんやりとしていて、顔色は青白い。
 輝石君は素早く立ち上がって白亜さんの元まで駆けて行くと、彼女の手を握って部屋に連れて入った。
「体調が悪くなったみたいで――急に顔色が悪くなったから中に連れてきた」
 彰さんは白亜さんの手を引く輝石君にそう告げると、心配そうに白亜さんの顔を覗き込んだ。
「姉ちゃん、大丈夫? ――ごめん、彰。姉ちゃんは自分のこと何も言わないから、体調が悪くても誰かが気づいてあげるしか出来なくて」
 輝石君は白亜さんを振り返って優しげに訊ねてから、彰さんを見つめて言った。
 私も二人のやり取りを見て慌てて立ち上がると、押し入れまで歩いて行きながら輝石君に向かって言う。
「お布団敷いた方がいい? 勝手に押し入れ開けても大丈夫?」
「あっ! それは俺が――美月さまは座っててください」
 後ろでぱたぱたと足音が聞こえて私は振り返ると、さっと手を上げて走り寄ってくれる輝石君の動きを止めた。
「私で出来ることならやりたいの。お布団、敷いてもいい?」
 私で役に立てることがあるなら、少しでも力になれることがあれば。それがたとえ布団を敷くという、取るに足らないようなことだとしても、何かしたかったのだ。
 そんなほとんど押しつけとも思える私の言葉にも、輝石君は真摯に頷いてくれて、私の後ろにある押し入れを指さした。
「一番上にある布団を敷いてくれますか? 場所はどこでもいいので」
 私は分かったと頷くと、早速押し入れに向かった。すっと襖を開けて一番上に積まれている分厚い敷布団を引き抜くと、それを両手で抱えてよたよたと歩き、畳の上に置く。そのまま敷布団を広げようとすると、彰さんが駆け寄ってきて私の手にそっと触れた。
「私も自分で出来ることがあれば、お役に立ちたいです」
 優しく瞳を細めて彰さんはそう言うと、手際よく敷布団を広げていく。私はそれを見て、心の中で深く感謝しながら、少し駆け足で押し入れに戻ると、今度は掛け布団を引き抜いた。
「姉ちゃん、ここで休んで。……大丈夫だから」
 後ろから輝石君のなだめるような声が聞こえる。
 私は急いで掛け布団を持って戻ると、布団の上で背筋を伸ばして座る白亜さんの膝の上にそっと布団をかけた。
 彰さんは白亜さんのすぐ隣に膝をつくと、窮屈そうな白亜さんの着物の衿を少しだけ弛めた。
「白亜、苦しくなったら言ってくれ。私はここにいるから」
 ぼんやりとした瞳で前を見据える白亜さんの肩に軽く手を置いて、彰さんが小さな声で告げた。
 私は輝石君の隣に座ってじっと白亜さんを見つめる。すると、白亜さんの顔が不意に私の方に向いて視線が合わさった。さっきまで鈍い光を放っていた白亜さんの瞳は、私と目が合った瞬間に突然、輝きを取り戻した。
 輝石君と彰さんもそのことに気がついたのか、不思議そうな表情で私の顔に視線をやってから、じっと白亜さんを見つめた。
「白亜? 美月様がどうかした――」
「闇音様」
 白亜さんは彰さんの言葉を遮って、確かな声でそう呟いた。
 私を真っ直ぐ見つめて。

 

 

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