日の光が顔に射す。眩しくて顔を歪めてからそっと目を開くと、見慣れない天井が目に入った。寝起きのぼやけたままの頭でも、今いる場所が黒月邸の自分の部屋だと気付くまでにそう時間はかからなかった。
 見慣れない天井の木目に視線を投げかけて、これからのことを考える。
 闇音は、これから先も何も変わらない、と言っていた。そして、私のことを知ろうとは思わないし、自分のことを知ってもらおうとも思わない、とも。その言葉ひとつひとつが、胸にずしりと圧し掛かる。
 あの立葵の前で、人間が嫌いだと言った闇音の姿を思い出して胸が締め付けられる。彼の口から零れる言葉はいつでも冷たさと絶望と、悲しみに染まった言葉だ。吐き出す言葉は人を傷つけるものが多くて、けれど周りの人を冷たく突き放せば突き放すほど自分を苦しめているようにも感じられた。
 ――矛盾していると思う。だからこそ、闇音という人を理解したいと思った。

 

 目の前に座る彰さんと芳香さんは、数十冊の本を私の前へ押し出すと、優しげな笑顔を浮かべた。私の近くに座る輝石君は、思わず小さなうめき声を上げた。
「姫様、これをすべて覚えていただきます」
 彰さんは優しくそう告げると、私に一番上の一冊を手に取るように促す。私はそれを見ておずおずとその分厚い本に手を伸ばして持ち上げると、想像以上の重さに驚いた。
「重い……」
 思わず顔をしかめて呟いた私の言葉を聞き漏らさなかった彰さんは、苦笑を浮かべる。
「ですが、内容はそう難しくはありませんから」
 彰さんは安心させるようにそう言うと、私が持つ本へ視線を移した。それと同様に芳香さんも本へ視線を移すと、苦笑を浮かべた。
「姫様には婚儀の日までに、黒月家の成り立ちと歴史、それから後は都のことなどを勉強して頂かないといけない決まりになっているんです」
「もちろんその他もろもろもありますが」
 芳香さんの言葉に彰さんが短く付け足す。その二人の言葉に、再度輝石君がうめき声を上げてから、ぐっと拳を握って私を力強く見つめる。
「姫さま、気力と努力と根性ですよ!」
 輝石君は大きな声でそう言うと、一人でうんうんと頷いて私が手にしている本に手を伸ばして取り上げた。
「これには黒月家の成り立ちが書いてありますね。まずはこれから勉強しましょう!」
 輝石君はそう言うと、最初のページを開いて私の前に差し出した。
「姫君、僕たちも手伝いますから、覚えてしまいましょう。このぐらいならすぐに覚えられますよ」
 朱兎さんは目の前に高々と積み上げられた数十冊の本を軽く指さして言うと、簡単だとでも言うように口元を緩めた。
「美月様なら大丈夫ですよ」
 聖黒さんが穏やかに微笑みながらそう言うと、蒼士さんはそれに頷きながら、
「美月様は暗記がお得意でしょう。大丈夫、覚えられます」
 と言い切って、にっこりと微笑んだ。
 目の前で繰り広げられる会話に、軽く眩暈(めまい)を覚えながら積み上げられた本を見つめる。いくら暗記が得意だと言っても、これは訳が違う。付焼刃では役に立たないだろう。しっかりと頭に叩き込むとなれば、とても一週間で覚えられる量ではないように思えた。
 それでも覚えなくてはならない。嫌だとか覚えられないとは言っていられない。
 私は目の前の本から目を離さずに力強く頷いた。
 彰さんは私が本へ視線を落としたのを確認すると、説明を始める。
「そちらの本に書かれているのは黒月家の成り立ち、つまり黒龍の話です」
 私は彰さんの言葉に頷いて相槌を打つと、文章を目でなぞる。

 

 遠い昔、白龍と黒龍がいた。白龍は人々に幸せを、黒龍は人々に悲しみをもたらし、都を天上から統べる存在だった。二匹の龍はお互いの存在を認め合い、そしてお互いの存在を尊重し合っていた。
 しかし、人々は違った。幸せをもたらす白龍を敬い、悲しみをもたらす黒龍を忌み嫌うようになったのだ。人々が求めるのは幸せのみ。けれど、その幸せは悲しみがあってこそ感じられるものだということに、人々は気付かなかった。そのために白龍と黒龍は心を痛めた。
 彼らは二匹で一対。どちらかが欠ければ、もう片方の存在もなくなる。どちらか一方を求めれば、他方は消える。
 その最悪の事態を避けようと、二匹は都を放棄した。人々に、白龍と黒龍のどちらかが欠ければこの世界は均衡を失うのだと身を持って教えるために。
 始め、人々は二匹が都を放棄したことすら気付かなかった。しかしやがて、都に不穏な空気が漂い始めた。人々は苦しみ、そして知った。二匹が都を放棄したことを。白龍と黒龍がいてこそ、都の繁栄があるのだと。人々は願った。もう一度、白龍と黒龍に都を統べてもらうことを。
 そして、その願いを聞き入れた二匹の龍は都へと戻った。もう一度、都を統べるために。
 しかし二匹は考えた。白龍と黒龍という姿では、人々からあまりに遠すぎると。やがて二匹の龍は、その姿を人間に変え地上へ下り、都を二分してそれぞれが治めることに決めた――。

 

「そちらに記されていることは、もちろんすべてが事実というわけではありません。一部、伝承的な部分もあります。ですが、大まかにはそのとおりだと言えます」
 彰さんは私が持つ本を示してそう言うと、私の目の前から一冊恐ろしく分厚い本を取り出した。
「こちらの本の方が詳しく書かれていますが、取りあえずは大まかな流れが読み取れればいいので、そちらの本を重点的に覚えて参りましょう」
 私は自分が手にしている本と、彰さんが持ち上げた本の厚さを見比べて、慌てて頷いた。さすがに一週間弱であの分厚さの本の内容すべてを覚えることは不可能に思え、それなら自分が手にしている本の内容を覚えるという方がまだ現実的に思えたのだ。
 それから今し方、自分が読み終えた部分をもう一度目で追って、口を開く。
「あの、ここに書かれてることってすべてが本当ではないんですよね?」
「ええ。すべてが事実ではないですけど、黒龍云々というのは本当ですよ」
 私の問いに芳香さんがにっこりと微笑んで答えた。
「え? じゃあ、闇音って黒龍の末裔ってことですか?」
 私が驚いてそう口にすると、彰さんも芳香さんも、さらには四神家の面々も、当然という様子で頷いた。
「じゃあ、泉水さんは白龍の末裔なの?」
 続けて私がそう言うと、もう一度全員が一斉に頷いた。
「ちなみに、僕たちは四神の末裔ですよ」
 驚いて言葉も出ない私に、朱兎さんが追い打ちをかけるようにそう言った。
「美月様が天界に戻られた日に、令様がお話していたと記憶していますが……」
 目を見開いて四人の顔を見つめている私に、聖黒さんが苦笑を浮かべながら言った。
「でも、化身って言われたけど、まさか本当にそうだったなんて……」
 私が途切れがちにそう言うと、聖黒さんはうーんと唸った。
「確かに、化身というのとは少し違いますね。私たちは四神であって四神でない。彼らは人間に姿を変え、そして人間と交わっていったので、私たちの中に流れる血は、ほとんどが普通の人間とそう大差はありません。それは白龍と黒龍も同様です」
 聖黒さんは事もなげにそう言うと、にっこりと微笑んで見せた。聖黒さんがあまりにも普通にそう言うので私も、それならそうなのだろうと思って、割とすんなりとそれを受け止めることができた。確かに驚きはしたけれど、彼らに龍や四神の血が流れていても、別段おかしなことだとは思わなかったし、彼らが彼らであることに何ら変わりはないと思ったのだ。
「でもまあ、普通の人とは少し違うところもありますけど」
 朱兎さんが思い出したようにそう口に出したので、私は少し首を傾げて見せた。
「例えば、蒼士は飛べます。姫君を天界まで連れてきた時、飛んできませんでしたか?」
 朱兎さんの言葉に、そういえば、と思って私は蒼士さんを見つめる。今まで特に考えたことはなかったけれど、そう言われてみれば私は蒼士さんに連れてきてもらったのだった。
「さて、お話が弾んでいるところ申し訳ありませんが、姫様。お昼までにこの本は終わらせてしまいたいので、そろそろ本に視線を戻して頂けますか?」
 私が四神家の四人にさらに質問を浴びせようと口を開いた瞬間、彰さんが苦笑を浮かべながら申し訳なさそうに言った。私はその言葉に忘れかけていた今の状況を思い出して、慌てて本へ視線を戻した。

 

 

 部屋に射しこむ光は、淡い夕焼けの色だ。今日は彰さんの詰め込み指導によって、丸々五冊分の本を読み終えた。どれも黒月家の成り立ちと歴史に関する本だった。――それがしっかりと頭に入っているかは別問題だけれど。
「疲れた……」
 重くなった肩を回しながら私が小さく呟くと、周りで四神家の四人が微笑んだ。
「ですが、美月様はさすがです。この短時間で、五冊分の内容を頭に入れてしまわれましたから」
 聖黒さんが優しくそう言うと、朱兎さんも頷いた。その言葉に私は慌てて手を振る。
「でもそれは彰さんと芳香さんの話が上手だったからです」
 急いで私がそう言うと、二人は照れたように微笑んだ。
「姫様の呑み込みが早いので、滞りなく進められましたから。私たちは何もしていません」
 芳香さんがそう言うと、彰さんも穏やかに頷く。それからすっかり傾いた太陽を見て輝石君へ視線を送った。
「輝石。そろそろ帰った方がいいんじゃないか? 白亜も心配しているだろう」
 彰さんの言葉にはっとしながら輝石君も外を確認すると、慌てて立ち上がった。それから私の前まで移動すると、片膝をついた。
「姫さま。申し訳ないですけど、これで俺は下がらせてもらいます。あっ。お見送りは結構です。また明日」
「気を付けて帰ってね。無理はしないでね」
 急いでいる様子の輝石君を引き止めないように短くそう言うと、輝石君に手を振った。輝石君はそれを見てにっこりと微笑むと小さく手を振り返してから、急ぎ足で部屋から出て行った。
 輝石君の後姿を見送ってから、私も外を確認する。
 闇音はどうしているんだろう、という言葉が頭を掠める。今まで勉強に忙しなくしていて、周りのみんなも一生懸命私のために付き合っていてくれていたので、聞きそびれていたのだ。
「あの」
 私が口を開くと、彰さんと芳香さんが優しげな笑みを浮かべながら私を見つめる。
「今日は、闇音はどうしてるんですか?」
 私の言葉を聞くと、芳香さんは私から視線を外した。彰さんはそんな芳香さんを横目で悲しげに見つめてから口を開いた。
「今日は真咲を連れて出ています」
「お仕事ですか?」
「はい。そう聞いております」
 彰さんも手短にそう言うと、その話題を断ち切るように微笑んだ。
「そろそろ夕食の時間ですね。広間へ移動しましょうか。今日の勉強もここまでに致しましょう」

 

 

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