十九

 

 飛石の上をテンポよく進みながら、さっと周りの景色を見渡す。目の前に見えてきた別棟はこじんまりとしていて、それを初めて目の当たりにした聖黒さんは顔色を変えた。きっとここに当主が住んでいるというのが信じられないのだろう。不満というよりは、純粋に疑問に思っているらしいことが聖黒さんの表情から窺えた。
「前に来たときも思いましたけど、この別棟は簡素な造りですね」
 朱兎さんが別棟を見渡して静かに告げた。
「最初はこの別棟と闇音様はあまりにもしっくりこないと思っていたんですが、この簡素で執着がない構えは闇音様とよく似ていると今は思います」
「……では朱兎、あなたはここが闇音様がお住まいになるのがふさわしいと?」
 朱兎さんの言葉を吟味するように顎に手を当てながら、聖黒さんがそっと呟いた。
「そういう意味じゃないよ。ただ何と言うか……」
 朱兎さんは聖黒さんの言葉にすぐに首を振って否定すると、少し首を傾げて宙を見据えた。
「闇音様って一見すれば冷たくて尊大で、寝殿の当主の部屋に相応しい人に感じられるけど、でも本当はそうじゃないって気がするんだよ、僕は。闇音様を見てると、無理に他人に冷たくしてる気がする。本当は素朴な人で、当主の器は確かにあるけど、でも当主には向かない人なんじゃないかなって――」
 朱兎さんはどこかぼんやりと夢を見るようにそう呟くと、はっとして口をつぐんで私に一礼した。
「すみません、口が過ぎました」
「あっ。えっと、気にしないで。……って私が勝手に言えることでもないけど……」
 朱兎さんの謝罪が向かう先は闇音に対してであるので、どう対応すればいいのか分からない私は戸惑いながら、深く頭を下げる朱兎さんのつむじを見つめた。
「ところで、これはどうすればいいんだ? 勝手に玄関に入ってもいいのか?」
 ぽんと軽く朱兎さんの肩に手を置きながら、蒼士さんが困った様子で別棟を見つめている。朱兎さんは顔を上げると、蒼士さんと同じように困惑の表情を浮かべた。
「さあ、どうだろう。前に美月様とこちらに伺ったときは、彰がいたから……」
「じゃあ三大の誰かを捕まえればいいってことだな」
 輝石君は袖をまくる仕草をして、鼻息荒く前進する。それを苦笑を浮かべた聖黒さんが引き止めた。
「捕まえるとは物騒な物言いですね。とにかく正攻法で行きましょう。戸を叩いて、応答がなければ玄関へ上がらせて頂きましょう」
 聖黒さんが小さな子どもに言い聞かせるように輝石君に向かってそう言うと、物足りなさそうに輝石君が唸った。
「輝石。三大の誰かを捕まえようにも、今は恐らく皆別棟の中にいるだろう。聖黒さんの言うとおりにした方が早い」
 輝石君をたしなめるように蒼士さんがそう言うと、輝石君は憮然としながらも頷いた。聖黒さんはそんな輝石君の表情を、微苦笑を浮かべながら見つめると戸に向き直って軽くノックした。
 とんとん、という小気味よい音が響いて数十秒後、戸の向こうから誰かが廊下を歩く足音が聞こえて、次いで戸がそっと開かれた。その隙間から現れたのは彰さんだった。
「どうかなさったんですか? 皆さん、勢揃いで」
 彰さんは全員を見渡すと、驚いた様子で目を見開いた。
「闇音様はいらっしゃいますか? 取り次いで頂きたいのですが」
 聖黒さんが穏やかな笑みを浮かべながらそう言うのを、彰さんはそっと柳眉を寄せて聞く。そして私へ視線を走らせると、心配そうな表情を浮かべて訊ねた。
「何事かありましたか? 龍輝様か更様に何か――?」
 言葉を濁しながら言いにくそうに彰さんが訊ねるのを、私は慌てて手を振って否定する。
「違います。そうじゃなくて、ちょっと闇音にお願いがあって」
 どうやら相当勘が鋭いらしい彰さんに肝を冷やしながら私がそう言っていると、彰さんが背にしている廊下の奥から芳香さんの声が聞こえてきた。
「彰、何事?」
 そう言う声は段々と近づいてきて、すぐに彰さんの後ろからひょっこりと芳香さんが顔を出す。そして先程の彰さんと同じように私たちを見渡した。
「何かありました? 美月様までいらして」
「闇音様に御用だそうで――とにかくお入りになって下さい」
 彰さんは芳香さんの問いに答えると、最後は私たちに向かってそう言って広く戸を開けた。
「では私が闇音様に取り次いで参ります。少々お待ち下さいね」
 私が蒼士さんに促されて玄関へ入ると、その後に続いて四人が玄関へ入る。芳香さんはそれを確認すると、にっこりと微笑んで廊下を進んで行った。
 彰さんはその後ろ姿を見送ってから全員を廊下に上がらせるとにっこりと微笑んで、付いてきて下さい、と促した。
「調度よい時間にいらっしゃいました。先程、仕事がひと段落ついたところです」
 ゆっくりと廊下を進みながら彰さんは私を振り返ってそう言うと、また前を向いて歩き出した。
「あの、闇音の部屋に向かってるんですか?」
 芳香さんが戻ってこないまま、順調に前へ進んでいく彰さんに戸惑いながら私は声を掛けた。すると彰さんは不思議そうな表情を浮かべて、再び私の方を振り向いた。
「そうですが……闇音様にお会いしにいらしたんですよね?」
「はい。そうなんですけど……。すぐに会えるものですか? 闇音の都合がいい時間まで待つ、ということにはなりませんか?」
 もともとない自信をさらに失くして私が縮こまりながら彰さんを見上げると、彰さんは驚いたように口をきゅっと結んでから柔らかく微笑んだ。
「まさか。丁度仕事の切りもつきました。闇音様が美月様にお会いするのを嫌がる理由など、私には到底思い浮かびませんが」
 彰さんは私を安心させるように優しくそう言ってくれた。けれど闇音から好かれている、ましてやこうして押し掛けたも同然の私を素直に受け入れてくれる自信など微塵もない私は、何と答えればいいのか分からず俯いた。
 私の気持ちが伝わったのだろうか、私の後ろを歩いていた朱兎さんが身を乗り出して私の耳元に囁いた。
「大丈夫ですよ。こうしてわざわざ足を運んだ美月様を無下に追い返すことなど出来ません」
 闇音の立場を考えれば、確かに無下に出来ないのだろうと思う。けれどそれはお義父さんが言っていたように、私が斎野宮の姫≠セからだろう。黒月家の当主≠ナある闇音は斎野宮を無下に出来ない、という意味にすぎない。
 私はまだ、斎野宮という家が持つものやこの天界での立場がどのようなものなのか分からない。けれど、朱兎さんや聖黒さん、そして彰さんが胸の底に秘めた、本当の言葉の意味を察することは容易かった。

 

 

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