十七

 

 闇音はいつも、あんな冷たい眼差しと態度を受けてきたのだろうか。それも実の両親から――。
 闇音が彼らについて語るときはいつも、冷めた感情と微かな寂しさが見えていた。
 自室に戻ってすることもなくただ座っていると、思考は闇音と義理の両親へと向かう。私は同じ部屋の中にいる四神家のことをすっかり失念して、ずっとそんなことを考えていた。
 闇音とそして同時に、義理の両親が抱えるものを朝のあの数十秒間で垣間見た気がする。血の繋がった親子に、あそこまでの確執を生むきっかけとなったことは一体何だったのだろう。お互いがお互いを否定している。それがどれほど悲しいことなのか、傍から見ているにすぎない私には痛いほど分かるのに、当事者である彼らにはそれが見えていないかのようだった。
「何か熱心に考え事ですか?」
 十分以上黙り込んでいた私に痺れを切らしたのか、朱兎さんが正座を崩しながら訊ねる。私は朱兎さんの声にゆっくりと頭を今いる空間へ戻しながら朱兎さんへ視線を移した。
「いえ、別に大したことじゃなくて。……いえ、やっぱり大したことかもしれない」
 最後の一言は自分自身へ呟く。
 大したことじゃないはずがない。薄々感じていた彼らのすれ違いを、新参者である自分がどうこう出来るとは到底思ってはいない。でも私に出来ることがあるのなら、何かしたい。――闇音はこんなことを私が考えているのを知れば、きっと嫌な顔をするだろうけど。
「闇音さまのこと、ですか?」
 少々面白くなさそうに頬を膨らませて、輝石君が言った。輝石君のその表情があまりにも子どもっぽくて、私はそれを見て少し笑うと頷いた。
「そう。闇音のことなんだけど」
「やっぱり。……って、何で今笑ったんですか? 俺、心外です」
 今度はあからさまに眉間に皺を寄せて輝石君はそう言うと、つんと顔を背けた。
「ごめんね。なんか面白くて」
「面白いって褒め言葉じゃないですよ!」
 私が笑みを浮かべたままそう言うと、輝石君はむっとした表情を浮かべてこちらへ顔を戻す。
「いいえ、輝石にとっては褒め言葉ですよ。この言葉以上に輝石を褒め称えることは出来ませんからね」
 これ以上怒らせては、と思った私が笑いを堪えて膨れた輝石君を見つめていると、まるで追い打ちをかけるかのように聖黒さんがにっこりと微笑んでそう言う。聖黒さんの言葉にさらに気分を害した様子の輝石君は、何やらぶつくさと呟いて再びそっぽを向いた。
「今日はどうします?」
 輝石君を取り成そうと考えを巡らせていた私は、聖黒さんが続けて言った言葉に首を傾げた。
「……と言いますと?」
 意味が分からずそう返すと、聖黒さんは微笑みを崩さずに言った。
「もう取り立てて勉強する事柄もありませんし、かといって黒月の奥方として何か仕事があるわけでもありません。これから日がな一日ぼんやりとして過ごすなんて楽しくはないでしょう。何かなさりたいことなどありませんか?」
 聖黒さんは私に答えを促すように柔らかな視線を送る。私は頭を捻らせて、何かいい案はないかと考えを巡らせた。けれどすぐに何か浮かぶはずもなく、困った私は視線を宙へ漂わせた。
「特に何も……。これがしたい、あれがしたい、っていうのが今はなくて」
 少し眉間に皺を寄せて考え込みながら私が呟いていると、ふわりと空気が揺れるのを感じた。見れば、先程まで離れた場所に座っていた蒼士さんが、私のすぐ近くまで来て座り直しているところだった。
「前に仰っていましたよね、街へ行きたいと」
 蒼士さんは少し崩して座りながら言った。
「どうですか? 街へ行ってみては」
 そうだった、と心の中で呟きながら、私は思わず笑顔になって何度か頷く。
「そうでした。街へ行ってみたいです」
 そう言いながら聖黒さんの方へ振り向けば、聖黒さんが意外にも笑顔を消して困った表情をしているのが目に入った。
「やっぱり街はだめですか?」
 名残惜しく思いながら困り顔の聖黒さんを見つめてそう言うと、聖黒さんが苦笑を浮かべた。
「いえ。闇音様へ伝えれば、おそらくいい返事がもらえると思いますよ。ただ――」
 聖黒さんはそう言うと黙り込んでしまった。それを隣で見ていた輝石君が、じれったそうに口を挟む。
「ただ?」
「ただ、そんなに街が魅力的なのかと」
 輝石君に半ば強制的に促されて聖黒さんはそう言い切ると、どこかばつが悪そうな表情を浮かべて、また口をつぐんだ。
「私の中では魅力的とかではなくて、一度は行きたい場所、というような感じです。この世界に来てから、私の行動範囲はすごく狭くなってしまったから、活気がありそうな場所に行ってみたくて」
 複雑な表情を浮かべる聖黒さんに向けて私はそう付け加える。すると黙って話を聞いていた朱兎さんが聖黒さんを見つめて口を開いた。
「聖黒は街へ行きたくないの? なら別に無理して連れて行かないよ。僕たちだけで行ってくるから」
 聖黒さんをフォローしようとしたらしい朱兎さんが優しくそう言う。すると聖黒さんはさらに苦笑を大きくして小さく左右に首を振った。
「そう言うことではないんです。ただ、街へは一度しか出たことがないので如何なものかと」
「え? 一回しか街に行ったことがないんですか?」
 聖黒さんの言葉に驚いて私が声を上げると、聖黒さんは私を見つめて真剣に頷いた。
「ええ。数日前に真咲と芳香について買い出しに出た、あの一度きりです」
 この世界で生まれて育った聖黒さんが、あの一度だけしか街へ出たことがないと言っている。私は何かの冗談なんじゃないのか、と本気で疑ってみたけれど、聖黒さんの表情からは事実以外は浮かび上がってこなかった。
 私が驚きで言葉を失っていると、輝石君が苦笑交じりで言った。
「そっか……聖黒はそうだろうなあ。いや、聖黒だけじゃなくて朱兎も蒼士もそうなんじゃないの? 朱兎だってろくに街へ出たことないだろ? 蒼士なんて下界にいたからなおさら」
「僕も街は行ったことないな。蒼士も買い出しについて出たのが初めて?」
「いや。俺は天界に帰ってくる度に、真咲について出掛けてたから」
 朱兎さんの問い掛けに蒼士さんは微かに首を振って答えてから、聖黒さんを見つめた。
「街も結構賑やかでいいと思いますよ。俺もあまり詳しくはないですけど、危険な場所でもないと思います。美月様が足を運ばれても問題はないかと」
「蒼士がそう言うのなら大丈夫でしょうね」
 蒼士さんの言葉に、聖黒さんは納得したように頷く。そして聖黒さんは私を真っ直ぐ見つめると、柔らかく笑みを浮かべて言った。
「では闇音様に街へ出かける許可を頂きましょうね」
「大丈夫ですか? みんながあんまり行きたくないって言うなら、私は無理してまで行かなくても大丈夫です」
 四人の会話を聞いて、申し訳なさと少しの気後れを感じて私は慌ててそう言った。すると輝石君が満面の笑みを浮かべて、拳を握ってとんっと胸を叩いた。
「大丈夫! 美月さま、俺に任せてください!」
 今度は小さな子どもを安心させるかのように軽く私の背中を叩きながら、輝石君は大きな声で宣言した。
「俺は街っ子ですよ。街のことはよく知ってます。と言っても、一年前までの情報網しかありませんけど」
 輝石君は最後の一文だけは小声に転じて呟く。その声は本当に小さくて、すぐ傍にいる私でさえ聞き取れるか否かという声だったというのに、少し離れた位置に座る聖黒さんには明晰に聞こえたらしい。
「一年前の情報しかないのなら頼れませんね……」
 ほうっと溜め息を吐いて困ったように聖黒さんはそう言うと、思慮深げに頬に手を添えた。
「聖黒の腹黒。地獄耳」
 悩ましげな聖黒さんの姿を見て、不満たっぷりに輝石君はそう呟く。するとそれすらも聞き咎めた聖黒さんが、爽やかでいて黒い笑みを浮かべて真っ直ぐ輝石君を見据えた。
「久々にその言葉を聞きましたね。最近はやっと輝石も成長したのだと思っていたのですが、どうやらまだまだ子どものようですね。そうやって私の悪口を言うとは」
「悪口じゃない。これは忠告なんだ」
 輝石君は、今回は焦って取り成すのはやめたらしく、代わりに妙に冷静な様子を装ってそう言った。
「そうですか? でしたら(しか)とその忠告を受け取っておきましょう」
 輝石君の新たな切り返しにも動じず、聖黒さんは笑みを崩さず間髪を入れずにそう言った。
 しばらく二人の無言の攻防が続く。そして、やはり今回も負けたらしい輝石君が沈黙を破った。
「地獄耳って、いい言葉だと思う」
 輝石君は早口でそう言うと、袖から手巾を取り出して突然湧き出た冷汗のようなものを乱暴に拭った。その様子をいつものように聖黒さんがにっこりと微笑んで見つめていた。

 

 

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