十六

 

 はっとして目覚めると、辺りはまだ薄闇に包まれていた。
 そっと隣へ顔を向けると既に隣はもぬけの殻で、私はほっと息を吐いた。気が抜けて、伸びをしようと手脚を伸ばすと体中が軋むように痛いことに気づいて、私は顔を歪めた。昨日はずっと布団の隅で縮こまって眠っていたので、どうやらそのせいらしい。
 本当なら闇音と同じ布団で眠りたくはなかったのだけれど、まさか部屋から出て行くわけにもいかず、けれどこの部屋にあるのは既に敷かれていた二人用の布団だけだった。さすがに畳の上で寝るのは辛いだろうという考えに至ったため、私は隣で雄大に眠る闇音に気を遣って――というよりは気を張って、邪魔にならないように小さく体を丸めて眠ったのだ。
 丸まって眠ったことと、終始気を張っていたことで眠りと覚醒の狭間のような睡眠を取ってしまったため、どうやら眠り自体が浅かったらしい。霞がかかったような頭を両手で軽く押さえて、私は小さく呻き声をあげた。
 頭がぼんやりする。確実な寝不足と疲労感に溜め息が漏れた。
 まさかこれから毎夜、ここで闇音と二人きりで眠らされるのだろうか――そこまで思考が覚醒すると、私は勢いよく体を起こした。それだけは何とかならないだろうか――お義父さんとお義母さんには悪いけれど、闇音と一緒にいるとまったく安らげず、眠った心地がしないのだ。
 そしてそれは、闇音も同じだと思う。
 急に覚醒して目が覚めた昨日の夜中、隣にそっと視線を送ったとき、闇音が起きていることが何となく分かった。その後も何度が起きた私はその度に闇音の様子を窺って、その都度罪悪感が込み上げてきた。浅い寝息を立てながら何度も寝返りを打つ闇音と、その険しい寝顔を見ていると、自分がいることで彼の眠りを妨げているとはっきりと分かったからからだ。
 やっぱり闇音も私と一緒の寝室を使うのは、ましてや同じ布団で眠るなど、願い下げだろう。
 何とか上手い言い訳はないだろうか、と寝起きの半覚醒の頭の中で必死に考えを巡らせながら私は布団から抜け出して、身支度を整えるべく部屋を後にした。

 

 

 灰色の空気が辺りを覆っている。一歩外へ踏み出せば、明るい朝の陽気が待っているというのに、この家の朝食の空気はいつもどんよりと重い。暗いのではなく、重いのだ。
 隣には闇音がいつもどおり黙々と箸を進めていて、向かい側には少し距離を取って隣り合わせに座っている――こちらも一言も発さず黙々と出された朝食を食べ続けている――お義父さんとお義母さんが座っている。
 こんなに重い朝の風景があるだろうか。田辺家でも、そして斎野宮家でも、朝の食卓はいつも賑やかで活気にあふれていた。
 黒月家へ入った最初の頃は、この場を少しでも和らげようと話題を探しては口に出していたけれど、お義父さんとお義母さんはいつも軽くこちらを見てすぐさま膳へ視線を落としたり、軽く頷く程度で会話に加わってくれることは一度としてなかった。終いには闇音に睨まれる始末で、私はみんなで会話することをすっかり諦めてしまっていた。これが黒月家の慣わしなら、いきなり嫁いでやってきた私が無理強いして変えていいものではない、と考えるようにもなった。
 四神家の三人と――今日は輝石君もいるので四人だけれど――三大が食事を取っている大広間の隣の小部屋から、楽しそうに歓談する声がこちらにまで届くことがある。そんなとき、私はいつも羨ましいと思っていた。いつかこの大広間で、この四人であんな風に楽しく会話をしながら食事を取る日が来ればいいのに、と。
 けれど現実は違う。
 私は黙々と箸を動かしながら、緊張のあまり味のよく分からない食事を噛み砕いていると、闇音がそっと箸を置くのが横目に入った。食事が済んだ彼はそのまま無言で立ち上がると、衣擦れの音だけを残して部屋を後にした。
 その後ろ姿を気づかれないように盗み見てから、私は自分の膳へと視線を落とす。闇音は多分、これから仕事に取り掛かるのだろう。とすれば、今朝考えた提案をする時間はなくなってしまう。今すぐ食事をやめて後を追いかけた方がいいだろうか――。
「それで、昨夜は何事もなかったのだな」
 箸を置いて立ち上がろうとしたまさにそのとき、低い単調な声が届いて、私は反射的に声のする方へ顔を向けた。すると目に入ったのは、両手を膝の上に置いて悠然と座るお義父さんの姿だった。
「……え?」
 真っ直ぐ私を見つめるその視線に、闇音の視線に混じる冷たさとは違う種類の冷えたものを感じながら、私はお義父さんを見つめ返した。
「昨夜は何事もなかったのだな、と聞いた」
 私が呆然と問い返す様子を眉を寄せながら見つめて、お義父さんは言った。そこまで来てようやく、自分に投げられた質問の意味を解してさっと顔が火照るのを感じる。
「え、えっと。その……」
 しどろもどろになりながら何とかそう呟いた私は、恐る恐るお義父さんを見る。それ以上どう言葉を続ければいいのか分からず、視線を落として手をぎゅっと握った。
 こういう場合、何と答えれば一番いいんだろう。私としては簡単に、何もなかった、と答えても大丈夫な気もしたけれど、それだと黒月家の当主である闇音に不都合に働くかもしれない。それに今本当のことを話せば、実際に何事≠ゥが起きた場合にも本当のことを話さなくてはならなくなるんじゃないだろうか。
 必死で頭を回転させていると、今度はお義父さんのそれではない一段と冷たい声が私の耳を打った。
「私は闇音に期待していませんから」
 声に誘われるように顔を上げると、お義母さんが無表情のまま目を伏せているのが目に入る。お義母さんは視線を感じたのか、声と同じ冷たい表情を浮かべてちらりと私を見てからすぐに、誰とも視線を合わせたくないかのように顔を背けた。
「美月さんと彼がどうなろうとどうでもよいのですけれど――不本意ながらもあれが黒月の跡継ぎですから、子は残してもらわねばなりません」
 お義母さんはそう言葉を続けると、最後に真っ直ぐ私を見据えて感情のない氷のような声色で告げた。
「それが当主と貴方の最低限の務めでしょう」
 そう言ってからしばらくお義母さんは私を値踏みするように見つめると、興が冷めたとでもいうようにふいと顔を背けて部屋を後にした。
 お義母さんが退出する様子を固唾を呑んで見つめていた私は、前に座るお義父さんが立ち上がったことに気づかなかった。
「貴方は斎野宮の姫君だ――丁重に扱いはする。だが、貴方があれの子を産むことができなければ、当主の妻としては意味がないということだ。その時にはそれなりの対応をさせてもらうということを頭に留めておいて頂きたい」
 頭上に降ってきた丁寧な言い回しの冷たい声に、私はゆっくりとお義父さんを見上げた。その途端、急に体に震えが走った。
 お義父さんの言葉に嘘や偽りの色は一切見えず、それ故に言葉の意味をさらに冷たく、そして厳しくしていた。お義父さんの目は限りなく冷やかで、それは恐らく自分と――それだけではなく闇音にまで向けられた感情なのだとすぐに察しがついた。
 息をするのも忘れるような威圧感を纏いながら、お義父さんは私に一瞥をくれると部屋を後にした。

 

 

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