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「それにしても驚きました」
 未だに呆然とした様子を見せて、真咲が言った。
「何がです? 美月様のことですか?」
 ぼんやりと空へ送っていた視線を真咲へ向けて聖黒が訊ねる。真咲はその問いに無言で頷いた。
「確かに可愛らしい方だとは思っていましたが、外見もあんなに美しいとは……」
「それは我らの主に失礼ですね。そのように言われるのは心外です」
 率直な真咲の意見に、にっこりと微笑みながら聖黒は冗談を返す。けれどそれを冗談だとは捉えられなかった真咲は、明らかに慌て出した。
「す、すみません」
 わたわたとしながら謝罪する真咲に、聖黒は今度は苦笑を浮かべた。
「冗談ですよ」
「聖黒のは冗談に聞こえないんだよ。あんなこと言われたら、普通の人は戦慄する」
 輝石がやれやれといった表情で聖黒を見やると、聖黒は微笑んだまま、すみませんと小さく呟いた。
「私なんて、初めて負けたと思いました」
 芳香が視線を落としながらそう呟くと、隣に座っていた彰が少し呆れた様子を見せた。
「つまり美月様のみではなくて、女性に対して、ということですよ。私、自分でも女性っぽい顔立ちだと自負していますから、今まで女性に美しさで負けたと思ったことなかったんです」
 自信を持ってそう言う芳香に、朱兎は明らかに苦笑を浮かべた。それを目ざとく見つけた芳香は、少々不満そうに唇を尖らせた。
「ところで輝石。今日は屋敷へ帰らなくても大丈夫なのか? 白亜は?」
 そのまま不満を口に出そうとした芳香を遮った形で、彰が普段ならもう既に西家へと帰っている輝石へ話しかける。すると輝石は、うん、と答えてから体を彰へと向けた。
「今日は婚礼だったし、やっぱりこっちにいた方がいいかと思って。姉ちゃんのことは女中さんがやってくれるし、心配ないよ」
 輝石の答えに頷いた彰は、けれどすぐに不安げに顎へ手をやって考え込む仕草をみせた。
「でも白亜が心細いんじゃないか? 私が見に行こうか?」
「今から? もう夜も遅いのにいいよ。大丈夫だよ」
 彰の真摯な眼差しを受けて輝石は慌ててそう返した。けれど彰は納得がいかないように眉根を寄せてみせる。
「そうですよ。あなた方は明日も早くから仕事でしょう。そろそろ休まれた方がよいのでは?」
 聖黒がそれとなく促すと、彰はそうですね、と呟いて空に浮かぶ月の位置を確認した。
「皆様も早く休んでください。それでは先に失礼します」
 彰の言葉を受けた真咲は部屋を出て行こうとして、ふと足を止めた。
「――蒼士? 大丈夫?」
 真咲は小さく屈んで蒼士の顔を覗き込んだ。先程から一言も発していなかった蒼士は、その声に我に返って勢いよく真咲を見やると、微笑んで頷いた。真咲はその様子を怪訝そうに見つめて、けれどすぐに思い直した様子で四神へ向かって一礼した。
 真咲が立ち去るのに倣って、芳香と彰も続いて部屋を出て行く。それを無言で見送ってから、心配そうな瞳を浮かべて輝石は呟いた。
「美月さま、大丈夫かなー」
「今夜のこと?」
 それに答えるように朱兎がそう言うと、輝石は無言のまま頷く。
「あのお二人じゃ、甘美な夜とはならないだろうけどね」
 輝石が難しい顔を浮かべて頷くのを見てとって、朱兎が苦笑を浮かべて言った。
 そんな二人のやり取りに気づかれないように小さく溜め息を吐いてから、聖黒は笑みを浮かべる。その笑みを浮かべたまま、黙り込んでいる蒼士へ視線を送った。
「蒼士? どうしました?」
 優しい声でそう訊ねる聖黒に、蒼士は苦笑を漏らして目を伏せた。
「何でもありません」
 静かに答える蒼士に、輝石と朱兎がそっと顔を見合わせた。
「美月様のことなら心配ありませんよ。あのお二人の間に何が起こるというんです?」
 見るからに覇気がない蒼士を見つめて、聖黒がまるで元気づけるかのようにそう言う。けれどその言葉に反応したのは蒼士ではなく朱兎だった。
「それってどういう意味?」
「どういう意味もこういう意味もありません。その言葉どおり、今夜は何も起こりません」
 朱兎の疑問ににべもなくそう答える聖黒に、今度は輝石が納得のいかない様子で食い下がった。
「何で? もしかした闇音さまが無理やり――とかそういうこともあり得るかもしれないだろ」
「あり得ません。あの方は嫌がる方を無理強いするような方ではありません」
 きっぱりと聖黒がそう言い切る。けれどそれでも納得がいかない様子を見せて、輝石は頬を軽く膨らませた。
「分かんないだろ、そんなの何があるかなんて――考えるだけでも嫌だ。俺たちの姫さまなのに……」
 ぽつりと呟いたその言葉を聞き咎めて、聖黒が真剣な表情を浮かべて輝石を見やった。
「輝石」
「何」
 ふてくされた輝石はぞんざいに返事をした。
「闇音様のこと、まだ分かっていないのですね。あの方は優しい方ですよ」
「そうは見えない」
「それはあなたの観察眼が養われていないということです」
 厳しくそう告げる聖黒に、見るからに不満を浮かべて輝石が言い返す。
「どう見たって優しくないだろ。あの人のどこが優しいんだよ? 姫さまのこと恐がらせてばっかで、姫さまのこと何も考えてない。あんなだったら俺たちの方がよっぽど姫さまを――美月さまを幸せにできるよ」
「輝石」
 静かな、けれど凄みを利かせた低い声が響く。その声に我に返った輝石は顔を歪めて口をつぐんだ。
「いい機会ですから言っておきます。美月様に対して臣下以上の感情を抱かないように――蒼士、あなたもです」
 目を伏せていた蒼士は、ゆっくりと目を上げてそれを聖黒へ定める。静かにそう告げる聖黒を三人が言葉もなく見つめた。
「蒼士、あなたには酷なことですが――」
「分かっています。もうずっと前から、分かってたことですから」
 蒼士は抑揚のない声でそう言うと、立ち上がって自室へと戻って行く。その寂しげな後姿は、慰めも戒めもどんな言葉も拒んでいた。
「聖黒、何であんなこと――」
 蒼士が廊下の闇へと消えていくのを見つめてから、朱兎が口を開く。すると聖黒がそれを遮って言った。
「これ以上報われない想いを抱いて、何になるのです? 仮にも蒼士は東家の当主、しかも彼に兄弟はいないのですよ。彼が跡継ぎを残さなくてはならないのです。これ以上美月様を慕っていても、どうにもなりません。あの方はご結婚されたのですよ。ずっと美月様をお慕いしても構いません、気持ちは自由です、などと無責任なことを私は言えません」
「そうだけど、でも言い方ってものがあるだろ」
 今度は輝石がそう主張する。けれどそれすらも聖黒は無碍もなく首を微かに振って否定する。
「ではどう言えばいいのです。美月様が闇音様とご結婚された事実は変わりません。他にどんな言い方があったのですか? 優しさだけが思いやりではありません」
「それは、そうだけど……」
 聖黒が苦しげにそう言うのを聞いて、二人は言葉を失う。聖黒は聖黒なりに蒼士のことを考えているのだ、とその表情から伝わってきたのだ。
「蒼士の気持ちは分からないではないですよ。――もし蒼士ではなく私が下界へ下ろされていたなら、美月様の成長を傍で見守っていたなら、きっと私でも同じ気持ちを抱いたでしょう。ですがこの世の中には、どうやってもどうにもならないことがあるのです」
 聖黒の言葉を受けて何か言おうと口を開きかけた輝石を手で遮って、聖黒は二人へ鋭い真剣な視線を向けた。
「これはあなた方にも言えることですよ。――輝石も分かっていますね」
 静かに含みを持たせて指摘した聖黒に、輝石は頬を染めて勢いよく顔を背けた。
「え? 輝石――」
「分かってるから! 俺はちゃんと……」
 驚いた朱兎の言葉を輝石は大きな声を出して遮って、恨めしそうに聖黒を睨みつけた。
「分かっているならいいのです。あの方を守りたいと思うのは結構ですが、恋愛感情は不要です」
 輝石の視線を涼しい顔で受けながら、冷たいと思えるほど淡々と告げる聖黒もまた、心に広がっていく靄のような捉えどころのない感情に辟易していた。

 

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