十四

 

 泉水さんは手招きをすると、そのまま身を翻してどんどん歩いて行ってしまった。それを見た私は、四神家の一族に適当な理由を言ってその傍を離れると、慌ててその後を追った。
 泉水さんの後を重い内掛を引きずりながら必死で追う。だんだんと大広間から離れていき、ついにはそれがすっかり見えなくなる場所まで来ると、そこで泉水さんが微笑みながら私を待っていた。
「ごめんね。せっかく楽しく話しているところで」
 少し眉を下げながら泉水さんはそう言うと、柄にもなく少しそわそわとした様子を見せる。
「いいえ。何かご用ですか?」
 初めて見るその様子に違和感を覚えながら、すぐさま私はそう返す。
 泉水さんは視線を宙へ漂わせてうーんと小さく唸ってから、落ち着きなく髪をかきあげた。かきあげられた瞬間ふわりと空気が入り込んで、その狭間から日の光が漏れる。銀色の髪の間から零れる光が彼の顔を一層際立たせた。
「何か言いにくいことですか?」
 なかなか話そうとしない泉水さんにゆっくりとそう訊ねると、泉水さんはさ迷わせていた視線を私へと据えた。
「私はもしかしたら、今から美月ちゃんに酷いことを話そうとしているかもしれない」
 悲しげに眉根を寄せて泉水さんは呟いた。けれどその言葉と瞳には、一切の迷いは感じられなかった。
「こんな日に、美月ちゃんの婚儀の日に、話すことではないかもしれない。でも、私は君に聞いてもらいたい」
 ゆっくりと、まるで自分自身に言い聞かせるかのように泉水さんは小さな声で呟く。小さいけれどしっかりとした声に、私は真っ直ぐ泉水さんの瞳を見つめて頷いた。
「私は彼女と――小梅と結婚する」
 きっぱりとそう言い切った泉水さんの表情は、けれどどこか苦しそうに歪められた。それからすぐに口を開いて、泉水さんは少し自嘲気味に付け足した。
「もちろん、小梅がそれを受け入れてくれれば、の話だけどね」
 泉水さんが寂しげにそう言った瞬間、ふわりと風が吹き抜けた。髪が風になびく様をぼんやりと見つめて、それから私は意識しながら笑顔を浮かべて口を開く。
「きっと……。小梅さんなら受け入れてくれると思います。小梅さんは、すごく泉水さんのことを愛してるから」
 ゆっくりと泉水さんの目を見つめて言葉を紡いだ後、私は目を伏せた。そのすぐ後に泉水さんの手が私の頭に置かれるのを感じる。
「ありがとう」
 泉水さんはそう呟くと、しばらく私の頭を撫でてくれた。
 泉水さんの手が優しく私の頭を撫でてくれるのを感じると、どこか複雑な気持ちが体中に広がっていく。頭と心が、これで本当に最後なのだ、と自分自身へそう告げるのが分かったのだ。
「美月ちゃんは、小梅と私を思って身を引いてくれた。だから私は、決心がついた時に一番に君に知らせるべきだと思った」
 泉水さんはそっと私の頭から手を離しながらそう言った。
「ずっと迷っていたんだ。でも私は、美月ちゃんのためにも幸せにならないといけないと思った。こんなの独りよがりな解釈だとは分かってる」
 泉水さんの静かな声が耳を打つ。私は一つ深呼吸をすると、顔を上げた。
「そんなことないです。私も泉水さんと小梅さんに幸せになってもらいたいから、そう決めてもらえてよかったです」
 私がそう言うのを、泉水さんは優しく目を細めながら聞いていた。
「美月ちゃんは本当に優しい子だね。優しすぎるぐらいに――」
 泉水さんはそう言うと、私から一歩退いて悲しそうな笑みを浮かべた。
「そんな君に、私は似合わなかったよ。美月ちゃんは私を選ばなくてよかった」
 泉水さんはそう言いながらそっと目を伏せると、笑みを消してそのまま横を向いた。
 その一言が、私を思っての泉水さんの優しさだとすぐに気付く。こんな時に、私にまで優しい言葉を掛けてくれる泉水さんが、この時だけは恨めしく感じる。いっそのこと冷たく突き放してくれた方がよかったのに、とわがままにもそう感じてしまう。
「私は今日はもう失礼するよ。今日ここに来た目的は、闇音との結婚を祝うことと、このことを美月ちゃんに伝えることだったから」
 優しい声で、まるで空気に溶けていくような柔らかさを伴って、泉水さんは私の方へと顔を向ける。
「さようなら。次に会うのはいつになるかは分からないけれど――その時まで元気で」
 最後に微笑みを浮かべてそう告げると、泉水さんはそのまま踵を返して一度も振り返らずに真っ直ぐ歩いて行く。
 廊下の端に泉水さんを待っていただろう白月家の臣下三大の姿が見えて、彼らは私に気付くとそれぞれ一礼してから、泉水さんの後を追って行ってしまった。
 私は四人の後ろ姿を見つめながら、ぼんやりとそこに立ち尽くしたまま動けずにいる。左手を胸の上において、その上で強く拳を握った。泉水さんに迷惑を掛けないようにと堪えた気持ちが、今どっと溢れ出してくる。
 胸が痛かった。言葉では表すことのできない苦しみが心を覆っていくようで。
 これが私の望んだことだ。二人が――泉水さんと小梅さんが幸せになってくれるようにと私が望んだのに、いざそれが現実になろうとすると、心から喜べない自分がいる。そんな自分が嫌で嫌でたまらない。
 この期に及んでまで、あの柔らかな優しさが向けられるのが自分ではないことに絶望を抱いてしまう。とっくに決心をつけたはずの心が、駄々をこねるように叫び声を上げている。
 目にじわりと滲む涙に、私は顔を歪めた。泣きたくないと強く思えば思うほど、その意に反して涙が頬を伝う。
 どうやっても止められない感情の奔流に、なすすべもなく私は両手で顔を覆った。

 

 

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