十三

 

「あぁ、本当に可愛いわねー」
 うっとりと私を見つめてそう言う女性は、朱兎さんのお母さん朱音(あかね)さんだ。
「有様のお若い頃を思い出すわー」
 朱音さんはそう言うと私にがばっと抱きついた。
「母上! それ以上はおやめ下さい! 姫君が驚いておられます!」
 慌てて朱兎さんが朱音さんと私の間に割って入ると、人差し指を立てて叱る仕草をする。朱音さんはそんな朱兎さんを見つめて眉根を寄せたけれど、その顔を美しく整ったままだ。朱兎さんや優花ちゃんの完璧な顔立ちは朱音さんから受け継いだものらしい。
「でも朱音の気持ちも解からないではないよ」
 朱音さんと朱兎さんの間に割って入って心地よい声で笑うのは朱兎さんのお父さん美貴斗(みきと)さんだ。朱音さんをはきはきと表すなら、美貴斗さんはおっとりといった感じで、朱兎さんの持つ雰囲気はどうやら美貴斗さん譲りらしい。
 名前を見て分かるように、南家の直系は朱音さんだ。もともと南家は女系一族らしく、朱音さんは美貴斗さんを婿養子として迎えたそうだ。その二人の間に生まれた待望の男子の第一子朱兎さんは、南家の歴史で百五十年ぶりとのことだった。
「父上が母上をそうやって甘やかすから……」
「朱兎君も大変ねぇ」
 女性らしい柔らかな笑みを湛えながら穏やかにそう言って会話に入ったのは、蒼士さんのお母さん撫子(なでしこ)さんだった。
「でも本当に、有様のお若い頃を思い出しますね」
 撫子さんの言葉に苦笑を浮かべて頷いてから、私へ視線を向けて蒼士さんのお父さん青治(せいじ)さんが言った。
 私は蒼士さんと撫子さん、青治さんの三人を見比べてどこか似ているところを探そうとして、すぐに共通点を見つける。三人は顔立ちはそこまで似通ってはいないけれど、持っている雰囲気がよく似ている。優しくて、けれど頼りがいがある、周りを安心させてくれるような柔らかな空気だ。
「蒼士が美月様を恐れ多くもここまでお守りしてきたと思うと、感慨深いものがあります」
 青治さんは蒼士さんへ視線を送って目を細める。その視線に蒼士さんが恥ずかしそうに、こほんと不自然に咳払いをした。
「ですが本当に、蒼士のおかげですよ。ここまで美月様を大切にお守りしてきたのは蒼士ですから」
 恥ずかしそうにしている蒼士さんを見つめて、聖黒さんが加えてそう言った。
「やめてください。俺は当然のことをしただけで……」
「いいえ。それが素晴らしいことだと私は思いますよ」
 聖黒さんとそっくり同じ口調で優しくそう言うのは、聖黒さんのお父さん黒雲(こくうん)さんだ。蒼士さんは黒雲さんの言葉に軽くお辞儀をすると、私へ視線を移す。私と目が合った瞬間に、その瞳が優しく細められるのを見て、私は思わずどぎまぎしてしまった。
「ですがこうして美月様とお会いでき、私共ももう心残りはありません。あなた様にお会いすることが長年の夢でしたから」
 聖黒さんのお母さん優紀子(ゆきこ)さんは頬に手を添えてそう言うと、ねえあなた、と黒雲さんに同意を求めた。
「奏雲も帰ってこられればよかったのですが、仕事が忙しいとのことで……。残念でなりません」
 黒雲さんは優紀子さんの言葉に頷いてから、地方へ勤めに出ているという聖黒さんの弟奏雲さんの名前を口に出すと、それから奏雲さんを思うように遠い目を彼方へ向けた。黒雲さんは口調だけではない、きっと黒雲さんが若い頃は聖黒さんのようだったのだろう、とすぐに想像がつくくらいにその顔立ちや醸し出す空気もよく聖黒さんに似ている。そして黒雲さんは今、聖黒さんが輝石君のことをそっと見守る時の視線とそっくり同じ目をして遠くを見つめていた。
「奏雲、元気ですかねー」
 頬杖をついて輝石君がそう零すと、聖黒さんが微笑んだ。
「あの子は私とは似ていないと思いますか? 輝石?」
「全然似てないと思う! だって奏雲はすごく優しいし」
 にっこりと優しく微笑む聖黒さんに面前切ってそう断言した輝石君は、だんだんと聖黒さんの笑顔が変化していくのを目の当たりにして、頬を引き攣らせた。
「う、嘘! すっごく似てるよな! 主に優しい所が!」
「ええ、そうですよ。奏雲と私はよく似ています」
 聖黒さんの笑顔の変化が止まったことにほっとして輝石君は小さく息を吐く。
「あの子はあれでいて強かな子ですからね。何事も元気に乗り切るでしょう」
 一見爽やかそうだが、その実黒いものが垣間見える笑顔を浮かべて聖黒さんは言い切った。
 聖黒さんの黒さが見える、と内心思いながら二人のやり取りを見つめていた私は、隣に蒼士さんが座ったのを見てどきりと心臓が飛び跳ねるのを感じた。
「今日はおめでたい日ですね」
 蒼士さんは私の色内掛を見つめてそう言うと、にっこりと微笑んだ。
「うん……」
「気乗りしませんか? ご結婚は」
「そ、そういうわけじゃないよ!」
 慌ててそう言い返すと、優しく目を細める蒼士さんと視線がかち合う。
 こうして蒼士さんから優しい視線を送ってもらうのは、とても忍びない。私はきっと、今も蒼士さんの気持ちを踏みにじってるはずなのに、どうして蒼士さんはこんなに私に優しくしてくれるんだろう。
「美月様?」
 蒼士さんはそう呼び掛けると、そっと私の顔を覗き込んだ。今度は心配そうな蒼士さんと目が合って、私は無理やり微笑んでみせた。
 ――そうだった。蒼士さんは普段どおりに振る舞おうとしてくれているのに、それを私が台無しにしてしまってはいけない。
「ごめんね。何でもないの」
 笑顔を浮かべて手を振ると、蒼士さんは腑に落ちないような表情を浮かべながらも納得した様子で顔を下げた。
「奥方様」
 その時、ちょうどタイミングよく真咲さんの声が聞こえてくる。
 真咲さんが呼んだ名を聞いて、私は思わず周りを見渡した。さっきはいなかったお義母さんが大広間に顔を出したんだろうか、と思ったのだ。
 けれど私の予想に反して大広間の中にお義母さんの姿はない。じゃあ一体どこに、と思いながら真咲さんの姿を見ると、真咲さんは真っ直ぐ私を見つめていた。
「え?」
 思わず間抜けな声が零れる。
「奥方様? 私はそろそろ下がらせていただきますね。闇音様がどこかへ行かれてしまったので……」
「え?」
 もう一度間抜けな声を出すと、真咲さんは不思議そうに私を見つめた。
「あの、奥方様? どうかされましたか?」
「ちょ、ちょっと待ってください。まさかとは思うけど、奥方様って――」
「あなた様のことですが」
 真咲さんは当然とでも言うように私を手で示しながらそう言い切る。
「今までは姫様≠ニ呼んでいましたが、もうご結婚されて我々の主の奥方となられたのですから奥方様≠ナす」
「ま、待ってください。それはちょっと――」
「嫌ですか?」
 私が顔を青ざめさせながらそう言うと、真咲さんは困った表情を浮かべて返す。
 それは確かに奥方≠ナはあるけれど、さすがにそう呼ばれるのには抵抗がある。私はまだそう呼ばれるには貫録も何もかもが足りないし、それ以上にそう呼ばれてもしっくりこないのだ。
「嫌というより、慣れないというか……」
 申し訳なくなって私が小声でそう言うと、真咲さんは顎に手を当てて考え込む仕草を見せた。
「では美月様≠ナは? これは三大に限ったことではなく、輝石と朱兎も同じことです。もう姫君と呼ぶよりは奥方様と呼ぶ方がいいでしょうし、でもそれが嫌なら皆揃ってお名前で呼ばせて頂くというのはいかがでしょう」
 困り果てた様子の真咲さんに助け船を出すように蒼士さんは最初の一文を真咲さんへ向かって、その後は私へ向かってそう言うと、同意を求めるように首を傾げて視線を送った。
「それがいいです。名前で呼んでもらった方が嬉しいですし」
 名案だ、と思って蒼士さんに心の中で感謝しながら私は勢いよく頷く。真咲さんは私を一瞬見つめてから、微笑んで頷いた。
「では、美月様」
「え? 何の話?」
 私が返事をするよりも早く、ひょっこりと顔を突き出して輝石君が割り込んだ。
「美月様の呼び方の話」
 蒼士さんが輝石君にそう伝えると、輝石君の顔がぱっと明るくなった。
「そっか! 姫さまは姫さまじゃなくなったのか!」
「そう。だからこれからはお名前で呼ぼう、ということに決まった」
「では、僕たちもこれからは美月様とお呼びしても?」
 輝石君に次いで朱兎さんが顔を出して私にそう言うと、口元を緩めて微笑んだ。
「お願いします」
 朱兎さんに笑顔を返してそう言ってから、私は真咲さんに向き直る。
「闇音、いなくなったんですか?」
 真咲さんにそう言ってから上座へ視線を走らせる。すると確かに、闇音の席はぽっかりと空いていた。
「はい。おそらく別棟へ戻られたのだろうと……」
 申し訳なさそうに真咲さんが答える。その様子に私は手を振って笑顔を浮かべると言った。
「真咲さんが悪いわけじゃないですよ。それに闇音、こういう席はあまり好きじゃなさそうですし、仕方ないです」
「申し訳ありません。あの、彰と芳香はまだこちらに残りますので、何かご用があれば彼らへお願いします」
「わざわざありがとうございます」
 真咲さんに軽くお辞儀しながらそう返すと、真咲さんは微笑んで別棟へと向かって歩き出した。
 真咲さんの後姿を何気なく見つめていると、今度は入れ違いに泉水さんが直と私へ視線を据えて、しっかりとした足取りでこちらへ歩いてくるのが目に入った。その視線の強さに驚きながら泉水さんを見つめていると、泉水さんはふいに表情を和らげて手招きをした。
 思わず周りを見渡してから恐る恐る人差し指を自分の顔へ向ける。すると泉水さんは微笑みながら頷いた。

 

 

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