十一

 

 誓いの言葉以降、私は再びぼんやりとした意識の中で儀式を行ってしまった。仮にも一生に一度の結婚式だというのに、と私は悔しい思いで歯がみをした。
 でも、ぼんやりとはしていたけれど失敗はしなかったらしい。あの後、闇音は一度も私へ鋭い視線を向けることはしなかったし、誰も怪訝そうな表情を浮かべなかったので、そこからそう推察できた。
「何か考え事?」
 突然響いた母の声に、私は我に返って母へと視線を移した。
「ううん、何でも」
 私は横で微笑みながら少し首を傾げている母に微笑んで見せると、ゆっくりと歩きながら自分の手元へ視線を落とした。
 左手の薬指にはめられている銀の指輪。華美な装飾は施されていないけれど、ところどころに小さな宝石がはめ込んであって、綺麗な紋様が彫られている結婚指輪だ。
 光に反射してきらきらと光る指輪を見つめて、それから無意識のうちに溜め息を吐く。
 闇音と結婚したということに気が滅入ったというわけではなくて、今夜が刻々と近づいてきていることにある種の恐怖を感じていたのだ。
「花嫁さんがそんな浮かない顔をするものじゃないわ。これからせっかくの披露宴なのに」
 母は私の顔を覗き込みながら少し咎めるようにそう言う。その言葉に思わず苦笑を浮かべて「はい」と返事をした。

 

 闇音と私がお色直しをしている間に、大広間は先程の仰々しさから一転して、賑やかな雰囲気を醸し出していた。
 お色直しにかかった時間はせいぜい三十分というところだったのに、大広間の中は神前などすべてがなくなっていて、すっかりいつもどおりに――参列してくれた人たちの分の沢山のお膳がある以外は――なっている。
 母の後ろから感心しながら大広間を見渡していた私は、そのまま促されて上座へと歩いて行く。真っ直ぐ顔を上げて歩けば、上座のお膳の前で楽に座り崩した闇音の姿があった。
「……お色直しだったはずじゃ……」
 席に着きながら、先程と変わらない紋付羽織袴姿の闇音を見つめて私が小声で零すと、闇音は面倒そうに息を吐いた。
「面倒くさい。だいたいこの披露宴はお前のためのものだ。斎野宮の奥方が、美月の白無垢姿も色内掛姿も見たい、と主張なさったから開いたまでだからな」
「そうだったんですか……」
 心底面倒そうな闇音の表情を見て、恐縮しながら思わず敬語を使う。母がどれほど強い調子で主張したのかが目に浮かぶようだった。
「でも闇音にも衣装が用意されてたでしょう?」
 確か化粧担当班の二人が、お色直しをしてくれている時にそう言っていたのだ。闇音は婚儀で束帯を着用するはずだったけれど紋付羽織袴を着ていたから、披露宴では何を着用するのだろう、と。
「束帯か? あんな面倒なもの、着たくはない」
 今度は険しい表情を浮かべながら闇音はそう言うと、何かに気付いたように眉根を寄せて大広間の中を見渡した。つられて私も周りを見渡してみると、部屋の中は水を打ったように静かだった。
 部屋に入ってきて、挨拶も何もなしにいきなり闇音と話し込んでしまったのがいけなかったんだろうか。
 真っ直ぐに見つめられる視線に戸惑いながら必死に謝罪の言葉を探していると、聞き覚えのある声が耳に入ってきた。
「ひ、ひ、姫さま?」
 素っ頓狂な輝石君の声を聞きつけてそちらへ顔を向けると、口をぱくぱくさせて目をまん丸にしている輝石君が目に入った。
 私は不思議に思いながら輝石君を見て首を傾げると、そのまま改めて部屋を見渡した。この部屋にいるほとんどすべての人が私を見て驚いた表情を浮かべている。輝石君の隣に座っている聖黒さんも目を見開いているし、朱兎さんに至っては私と目が合うとすぐに逸らしてしまった。
 私が何かまずいことをしてしまったらしい。おろおろとしながら改めて謝罪の言葉を探し始めると、隣で闇音が鼻で笑うのを感じた。
「まあ、当然だろうな」
 闇音は小声でそう言うと頬杖をついてちらりと私へ視線を送った。
「皆、お前の姿に驚いているだけだ。別にお前が粗相をしたわけじゃない」
 闇音から聞かされた言葉に呆気にとられながら彼を見つめていると、近くで巫女装束に身を包んだ女性がこほんと咳払いをするのが耳に入った。
「お二人も揃いましたし、これより披露宴を執り行います。と言いましても略儀でございますので、皆さま、お好きなように席をお立ちになり、お食事してくださいませ」
 巫女の彼女はそう言い終えると深々と一礼して大広間から去って行った。
 私の方は未だ、闇音から発せられた言葉に目を見開いて彼を見つめ続けていた。
 つまり、これは私の――闇音曰く上手く化けた¥態に、全員が呆気にとられているということだろうか。
 そう考えるとなんだか腑に落ちず、もやもやとした気持ちが胸に広がった。
「ひ、姫さま? すみません、俺。その、さっきの反応に特に深い意味はないんです」
 俯いていると輝石君の妙におどおどとした声が聞こえる。その声に顔を上げると、いつの間にか目の前に座っていた輝石君がびくりと体を震わせた。
「姫さま、眉間に皺が寄ってます……」
 輝石君は小声でそう言うと頬を引き攣らせながらも微笑んだ。けれどその目は笑っていない。
 どうやら私は、不機嫌かつ凄みのある表情をしているらしい。輝石君の怯えようを見て私はまた違う気持ちでもやもやしながらも、努めて平穏な表情を浮かべるように努力した。
「私、そんなに変? それは確かに、今までずっと素顔でいたから化粧した顔を見慣れないっていうのは分かるけど……」
 私が少し唇を尖らせてそう言うと、輝石君は慌てた様子で首を思いっきり振った。
「違います、姫さま! その、いつもと雰囲気が違ったので驚いただけです。とても、本当にとてもお綺麗です」
 輝石君は、最後の一文に特に心を込めてそう言ってくれる。けれどあまりに真剣にそう言われたので、今度は急速に恥ずかしくなって私はまた俯いた。
「本当に綺麗だよ、美月ちゃん」
 柔らかな声が聞こえてきて、私は俯けていた顔を上げる。目の前にいたのは、予想どおりの人物だった。
「二人とも、今日はおめでとう」
 その人――泉水さんはにっこりと穏やかに微笑むと、私から闇音へと視線を移した。
「どうも」
 泉水さんの言葉に素っ気なく闇音が返すと、泉水さんはその返答に微かに苦笑を浮かべた。それから少し闇音を見つめると、泉水さんは苦笑を消し去って私へ真面目な顔を向けた。
「ところで美月ちゃん、どうして今まで出し惜しみしてたのかな?」
「どういう意味ですか?」
 泉水さんの真剣な眼差しにそう答えると、泉水さんは私の全身を手で示してさらに言う。
「その姿のこと。前から綺麗な子だとは思ってたけれど――失礼にあたるならごめん――まさかここまでだとは思わなかった」
 泉水さんは言いながら眉根を寄せて、責めるように私を見つめた。
「そ、そんなことありません」
 その視線を受けて私が必死でそう答えると、泉水さんはふっと笑みを零した。
「冗談だよ。いや、綺麗だって言ったのは冗談じゃないけどね」
 朗らかに泉水さんはそう言うと、後ろに控えていた白月臣下三大を振り返った。それに気付いた譲さんが居住まいを正してから一礼して言った。
「お二人とも、本日はおめでとうございます」
 そう言って顔を上げた譲さんは穏やかな笑顔を浮かべている。いつも冷静な譲さんの笑顔を、今まで数えるほどしか見たことがなかった私は、少し驚きながらお辞儀を返した。
「結婚生活のことで分からないことがあれば、譲に訊ねるといいよ。きっといろいろ助言してくれるだろうし」
 泉水さんは少し悪戯っぽく微笑みながら、譲さんの横顔へ視線を送る。すると譲さんが疲れた様子で小さく溜め息を吐いた。
「え!? 譲さんってご結婚されてたんですか?」
 そんな二人のやり取りに、私は譲さんと泉水さんを交互に見つめながら思わずそう言っていた。
「はい。四か月ほど前に」
 譲さんは冷静な口調で私にそう言うと、続いて泉水さんへ鋭い視線を送った。
 譲さんが結婚してたなんて、と心の中で思いながらしげしげと譲さんを見つめていると、譲さんは私へ視線を戻して苦笑を浮かべた。
「ところで姫君。どうですか? 新しい生活は」
 博永さんが優しく微笑みながら少し首を傾げてそう言う。私はその声を聞いて、譲さんから博永さんへ視線を移して苦笑を浮かべた。
「まだ慣れたとは言えませんけど、でも大丈夫そうです」
「姫、何かあったら僕たちに言ってね? ほら。周りに約一名、頼りない人がいるでしょ?」
 雪留君はずいっと身を乗り出して私の真ん前に顔をつき出すと、にっこりと目を見張るような愛らしい笑顔を浮かべる。その隣では、雪留君とは正反対にしかめっ面を浮かべた輝石君がぎろりと雪留君を睨みつけた。
「その約一名って、まさか俺じゃないだろうな?」
「よく自分のことが分かってるじゃない。もちろん、輝石のことだよ」
 雪留君は輝石君の鋭い視線に臆することなく、笑顔を崩さずにそう言い切った。
「さっきだって一人だけ大声あげちゃって、あれじゃ姫が可哀想だよ」
「姫さまの何が可哀想だっていうんだよ」
「輝石みたいな臣下を持ったことが」
 雪留君のしれっとしたその一言に、輝石君は大きく目と口を開けて顔を赤くした。
「どういう意味だよ、それ!」
「はいはい。いつものように喧嘩に発展するのはやめなさい。今日はせっかくのおめでたい席なのに」
 雪留君に詰め寄り始めた輝石君を押しとどめて、泉水さんが苦笑を浮かべてそう言った。
「雪留、そういう物言いはよくないよ」
 博永さんが諭すように雪留空に向かってそう言うと、雪留君は悪びれた様子もなく顔を背ける。そんな雪留君へ輝石君は燃えるような視線を注いだ。
「あの! 皆さん、ご飯食べました? まだですよね? せっかくお膳に美味しそうな料理が並んでるのに、食べないともったいないですよ。ほら、輝石君も雪留君もお腹空いたでしょ? 食べておいでよ。また後でゆっくり話そう。ね?」
 輝石君と雪留君の喧嘩は仲がいい証拠ではある。けれど時にいき過ぎてしまうのが厄介だ。
 私は慌ててそう一人でまくし立てると、立ち上がって二人の背中を押した。二人は納得がいかないというような表情を互いに浮かべたけれど、何も言わずに席へと戻って行く。それが合図となって、泉水さんと譲さん、博永さんも苦笑を浮かべながら席へと戻って行った。
「お前も気を遣って大変だな。あんなのは放っておけばいいのに」
 闇音は輝石君と雪留君の後姿を交互に見てから、私を見上げてさらりとそう言った。
「闇音もちょっとは仲裁に入ってくれれば――」
「あんなのは放っておけばいい」
 私の言葉を途中で遮って闇音はそう断言すると、お膳に向って箸を動かし始めた。私はむっとしながら闇音のお膳へ視線を落として、それを見て少し驚く。
 闇音は口出しは何もしなかったけれど、私たちが話している間は一切お膳に箸をつけていなかったのだ。これは一種の気遣いだろうか。それともそういう(しつけ)のよさなのだろうか――。
 おそらく後者で間違いはないだろうけれど、何にせよ闇音が私を無視せずにいてくれたように感じて、私は初めて闇音に対して嬉しく感じた。
 そして改めて部屋を見渡す。
 両親が、近くに座っている告水さんと愛海さん――泉水さんのご両親だ――と楽しそうに談笑しているのが目に入る。二人の幸せそうな笑顔を見て心が和むのを感じながら、そのまま視線をずらしてお義父さんとお義母さんの席を見つめる。
 けれど、二人はその場所に座ってはいなかった。

 

 

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