あと二十分で午後三時を迎える。
 お茶を飲みながらそわそわしていると、聖黒さんが穏やかな笑みを浮かべて「御茶請けもどうぞ」と可愛らしい形の和菓子を進めてくれた。
「あぁ、もう落ち着かないなぁ」
 私が思わず独り言を零すと、聖黒さんが笑った。
「そわそわとしていらっしゃると、せっかくのお顔が台無しですよ」
「もう、別に持ち上げなくてもいいですよ。私からは何も出てこないですから」
 冗談だと知りながらも照れてぶっきらぼうに答えると、聖黒さんがふわりと微笑んだ。
「和やかだね」
 朱兎さんがお茶を飲みながらそう言うと、輝石君が本当に聞き取れるか聞き取れないかというぐらいの小さな声で「聖黒って二重人格」と呟いた。
「輝石、聞こえていますよ。私は地獄耳ですから」
 聖黒さんが輝石君の方を振り向く。私からは聖黒さんの表情は見えなかったけれど、きっとあの般若も真っ青の笑みを浮かべているはずだ。
 輝石君が「聞こえるように言ったんだ」と意味不明の言い訳をしていたところだった。蒼士さんが慌ただしく部屋へ戻ってきたかと思うと、急いで告げた。
「美月様、白月家の御当主がお着きになりました」
「えっ? まだ三時まで時間があるのに」
 急いで時計を確認すると、まだ時計は二時四十分を過ぎたところだった。
「やはり白月の御当主は早めに来ましたか。予想どおりですね」
 聖黒さんも時計を確かめている。朱兎さんが私の耳元に近づいて「白月の御当主はいつも約束のお時間より早めに到着される方なんです」とこっそり耳打ちしてくれた。
「『約束の時間より早く着いたのは自分だから、美月様のご用意が整うまで待つ』と仰っておいでですが。どうなさいますか?」
 蒼士さんが少し首を傾げて私に訊ねる。私はもう一度、時計に目を走らせてから頷いた。
「待ってもらうのも悪いし、私も早く会えるなら早く会ってしまいたいし――その人はどこにいるの?」
「西庭でお待ちになっています」
「西庭……」
 確か昨日、この屋敷には東西南北それぞれに庭があると四神の四人が教えてくれたな、と思い出す。私の部屋は南の庭に面した所で、芍薬の間は東の庭だったはず。でも西庭にはまだ行ったことがない。
「ご心配なさらずとも、僕たちも一緒に行きますよ」
 困惑した私の表情を見てか、朱兎さんが先にそう言ってくれた。
 四人に頼りっぱなしな自分が少し情けなくなったけれど、今は素直に力になってもらうことにして、私はお礼を口にした。
 立ち上がって部屋を出て、長い静かな廊下を歩く。その道のりで、私は未来の旦那さんになるかもしれないその人のことを考えた。
 嫌味な人だったらどうしようとか、冷酷非道な人だったら怖いなとか、恐ろしく年上だったらどうしようとか、色々と考えては見たけれど、ぴんとくる考えはなかった。
 まだ私は十六歳で、結婚なんて考えたこともなかったのだ。高校へ通って、大学へ進学して、就職して、結婚なんてその後の出来事だと思っていた。
 それが今は、こんなにも身近にある。その不思議さと抗えない波に、私は誰にも気づかれないようにそっと溜め息を零した。

 

 西庭へ着くと、薄い青の和服を着た背の高い男の人が庭に咲き誇る水仙を見つめていた。髪は美しい銀色で襟足が少し長く、肩についている。ここからだと顔は見えない。
 その人の周りには、二人の男の人と一人の男の子が立っていた。そのうちの一番年上に見える男の人が私たちに気づいた様子で、水仙に見入っているその人に小声で耳打ちした。水仙を見つめていたその人はそれに小さく頷いてから、くるりと私たちの方へ振り向いた。
 真っ直ぐに、迷うことなく私に向けられた瞳は、銀色とも紫色とも見える不思議な色合いで、どことなく中性的な美しい面差しを一層引き立たせている。彼がいるだけで空気が清廉になるような、そんな美しさを纏っている人だ。
「こんにちは。あなたが美月さんかな」
 その人が私を見つめて優しく言った。それはとても耳触りがいい楽器のような声だった。
「はい」
 そう答えるだけで私は精一杯だった。この人に見つめられると、何も考えられなくなりそうだった。
「私は白月家の当主の白月泉水(いずみ)。これからよろしくね」
 彼はそう言うと、後ろで控えていた三人を手で示して、
「彼らは白龍の臣下三大だ」
 と言うと、一人ずつ自己紹介するように促した。
 まず私たちに最初に気付いた男の人が一歩前へ出て、私に一礼した。冷静な顔つきをした、典型的な美形と称されるような顔立ちの人だ。
「お初にお目にかかります、姫君。私は伊藤(ゆずる)、泉水様の臣下衆筆頭でございます」
「年齢と身長は?」
 一歩下がろうとしていた譲さんに向かって、輝石君がすかさず問いかける。譲さんは少し目を開いて冷静な表情を一瞬だけ崩した。
「輝石。姫君が彼らの年齢と身長を気にかけているとは思えないけど」
 朱兎さんが輝石君にそう言うけれど、輝石君は頑として聞かなかった。どうやら先程、身長をネタにされたことが今だに不満らしかった。
「あの、すみませんけど」
 そんな輝石君を見かねて、私は譲さんにお願いする。譲さんは困ったように輝石君と私を見比べてから、軽く頷いた。
「はい。私は三十二です。身長は、確か175cmだったかと」
 譲さんは思い出すようにそう言った。彼はとても綺麗な人だけれど、笑顔がないせいかどこか冷たい印象だった。
「では次は私の番ですね。私は藤堂(とうどう)博永(ひろなが)と申します。年齢は二十六歳、身長は180cmです。姫君とお会いできて光栄です」
 博永さんは胸に手を当てて朗らかに言う。真面目そうな印象の人で、小首を傾げて笑顔を浮かべている様子がとても親しみ深い。
「じゃあ最後は僕、守光(もりみつ)雪留(ゆきと)です。歳は姫と同じで今年十六になります。身長は169cmで、輝石よりは大きいです」
 最後に自己紹介した雪留君は、ものすごく可愛かった。はにかんだような笑顔が、強張っていた私の心をすっと溶かしてくれるような心安らぐ美少年といった雰囲気だ。その上、どんな女の子も羨むような可愛らしい顔立ちだ。
 雪留君を見つめて感嘆しながら嘆息していると、輝石君の悲痛な声が隣から上がった。
「嘘だ! ちょっと前までは身長165cmだっただろ」
 輝石君が、信じられないという表情を浮かべて雪留君を見つめる。それに雪留君は先程までの愛らしい笑みを崩して、代わりに高慢な笑みを浮かべた。
「僕、ちょうど成長期なんだよね。この間測ったら169cmに伸びてたんだよ」
 雪留君はそう言うと輝石君に近づいて隣に並ぶ。確かに雪留君の方が、少し背が高い。
 愕然とする輝石君に向って、雪留君は完璧に愛らしい笑顔を浮かべて言い放った。
「残念だったね。僕は輝石より年下だけど、輝石より身長は大きいよ。それに今もまだぐんぐん成長してるし」
 雪留君はどうやら見た目とかなりギャップのある子らしい。私が思わず呆然としていると、泉水さんが今にも噛みつきそうな輝石君と雪留君の間に割り込んだ。
「はい、そこまで。輝石は身長を気にしすぎだよ。その身長でも十分じゃないか。それを強みとして考えればいいんだよ」
 泉水さんは諭すように輝石君に言ってから、雪留君に向かって、
「雪留は言いすぎだ」
 とあくまで優しく注意した。
 泉水さんに優しく諭された二人は顔をしかめながらも何となく仲直りをする。どうやら二人は犬猿の仲らしかった。
「ところで本題に入ろうか」
 泉水さんはそう言うと、私へ向き直って丁寧に話しだした。
「美月さん。もう知っていると思うけど、私があなたの婿候補の一人だ。もう一人もきっとすぐに見えるだろう。どちらを選ぶかはあなたの自由だし、選ばれなかったとしてもあなたを恨むことはしない」
「はい」
「いろいろと不安もあるだろうし、慣れないことも多いだろう。そういう時は相談に乗るよ。普段私は白月の屋敷にいるから、何か用があればそちらへいつでもおいで」
 泉水さんは柔らかい笑顔で私を見下ろした。
「私もなるべくこちらへお邪魔するようにするよ。臣下三大も連れて」
 泉水さんがそう言って、輝石君と雪留君へ目を走らせると、二人は鮮やかな速さでお互いの顔を背けた。そんな二人を見て泉水さんが笑った。
「二人は本当に仲良しだね」
「泉水様、どこをどう見たらそう見えるんですか!」
 雪留君が不服そうに怒る。泉水さんがそんな雪留君の頭を撫でると、雪留君はきゅっと口をつぐんでもう何も言わなかった。
「それでは、今日は短いけどこれで失礼するよ。残してきた仕事があってね。申し訳ないけど」
 泉水さんは少し眉をひそめて悲しそうな表情を作る。それから何事か思いついたように軽く手を叩き合わせた。
「美月さんは確かまだ十六だったね。なら美月さんよりも、美月ちゃんって呼んだ方が可愛いかな」
 泉水さんは一人で納得したようにそう言うと、次の瞬間には了解を求めるように私を見ていた。私は泉水さんに圧倒されながらも「好きなように呼んでください」と小さな声で言った。
「ありがとう。では、私のことも好きなようにどうぞ」
 そう言って泉水さんは私の目線まで腰を曲げて、正面から私の顔を見るとにっこりと笑った。
 それから泉水さんは私たちに「じゃあね」と軽く告げると臣下三大を引き連れて歩きだした。でも数歩進んだところで、急に立ち止まって振り向いた。何事かと思えば、
「私は二十一歳の178cmだよ、輝石」
 と言っただけだった。

 

 圧倒的=B
 それが泉水さんへの第一印象だ。圧倒的な美しさにあの身のこなし方、きっと誰もが憧れるだろう。
 私はぼんやりと泉水さんを思い浮かべて、そんなことを考えていた。
「姫君は先程から心ここにあらず≠ナすね」
 朱兎さんが笑いながら言う声が聞こえて、私はっと我に返って苦笑を浮かべる。けれどすぐに真顔に戻って四人を見渡した。
「あの、聞きたいことがあるんですけど」
「泉水様のことですね」
 まるで私が何を言い出すのかをあらかじめ分かっていたかのように、聖黒さんは頷いて答えた。
「はい。泉水さんっていつでも誰にでも、ああいう感じなんですか?」
 ああいう風に、優しく超然として誰にでも接するのだろうか、とずっと考えていたのだ。
「そうですね……。そうであって、そうでないと言えます」
 聖黒さんが考えながら、言葉を選ぶようにゆっくりと言った。
「心根の優しい方ですが、特に美月様には一段と優しくされたのでしょう。未来の妻となる方かもしれませんから」
 聖黒さんにはっきりと言われて、私は小さく頷く。私へのあの気遣いは一族の繁栄を得るためのものなのだろうか、と思うと少し心が痛んだ。
「ですが、それだけではないと思います。もともとお優しい方ですし、誰にでもわけ隔てなく接する方ですが――」
 そう言うと聖黒さんは口籠る。続きの言葉を引き継ぐように、朱兎さんが口を開いた。
「少なくとも、泉水様は姫君に好意を持たれたと思います。それが、恋愛かどうかはまだ分からないですけど」
 朱兎さんがまるで分析するように言う。私はそれに少し微笑んでから、ふっと息を吐き出した。
 私は泉水さんに対してまず間違いなく好意を抱いていると自分で思う。泉水さんも私を嫌わないでいてくれるなら、それに越したことはないと思えた。
「とにかく、まずお一人とはもう会われましたし少しは気が楽になりましたか?」
 聖黒さんが気遣うように訊ねてくれたので、私は聖黒さんへ視線を移して笑顔を浮かべて、はい、と頷いた。私が頷くのを確認するように聖黒さんは目を細めてから、蒼士さんの方に視線を移した。
「黒月の御当主は遅いですね。蒼士、何か連絡はありましたか?」
「それが……何も連絡がありません。昨日、今日の午後三時にはこちらへいらっしゃる、と確かに連絡があったんですが」
 蒼士さんは少し困った様子で視線を落とす。聖黒さんが溜め息を洩らした。
「まあ、これも予想どおりですか。あの方のことですから、今日お見えになればよい方でしょう」
 聖黒さんの台詞に、他の三人が神妙な顔つきで頷いている。気になった私は、自分でも気がつかない内に訊ねていた。
「黒月の当主ってどういう人なんですか?」
 私が言うと、四人は無言で互いに顔を見合せて困惑の表情を浮かべる。私がそれを怪訝に思っていると、やっとのことで蒼士さんが口を開いた。
「私たちがあの方に関して何かを先に言うことで、美月様に先入観を植え付けることなどあってはなりません。美月様がご自分の目で感じることが大切です」
 上手くかわされた、と私は思った。
 掴みどころがない人なのか――それとも何かを抱えている人なのか。私はその人のイメージを思い描こうとしたけれど、泉水さんの印象が心から離れなかった。

 

 

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