目が覚めた瞬間、ここがどこだか分からなかった。眠い目をこすって周りを見渡してみて、やっとここが新しい自分の部屋だと思い出せた。
「やっぱり、夢じゃなかったのね」
 小さく零す。
 昨日の出来事はすべて私の空想で、今までと変わらず今日がやってこれば――という小さな期待は、やはり当然の如く叶えられることはなかった。
 一度目を閉じて、大きく深呼吸をする。暗くなった気持ちや行き場のない思いをすぐに整理することはできない。けれど、気分を入れ替えることならできるはずだと自分自身に言い聞かせて、起き上った。
 いつまでも叶わないことを願っていても駄目だ。この環境に早く慣れて、そうすればきっとここでの生きがいも見つかるはずだ。そう思って、昨日用意してもらった着替えをもって襖を開けた。
「おはようございます、美月様。よく眠れましたか?」
 襖を開けると聖黒さんが立っていた。
「そろそろお目覚めになられた方がよろしいかと思い、お部屋に上がらせていただこうと思っておりました」
 聖黒さんは私の寝起き姿をまったく気にせず、爽やかな笑顔でそう言った。
「ぅええぇぇぇ!」
 聖黒さんを見上げて咄嗟に変な声を出してしまった私は、急いで後ろを向いて襖を力任せに閉じる。こんな寝起き姿を初対面同然の人――それも男性に見られるなんて、不覚を取ってしまった。
「ななな、何で聖黒さんがここに!」
 素っ頓狂な声をあげて、襖越しの聖黒さんへ訊ねる。
「私たちは美月様をお護りするのが使命ですので。屋敷に詰めさせていただいております」
 聖黒さんは私の失礼な行動にも気を留めていないような、優しい声でそう答えた。
「こんな朝早くから!?」
「朝早くと申しましても、すでに十時を過ぎております」
 聖黒さんが苦笑いを浮かべたのが、その声から伝わってきた。
「聖黒、無理もないよ。昨日はきっとすぐには寝付けなかっただろうし」
 聖黒さんの声に次いで、朱兎さんの声が聞こえる。どうやら襖の向こうには朱兎さんもいるらしい。
「もしかして、もう四人ともそこにいるの……?」
 恐る恐るそう訊ねる。どうか違うと言ってくださいと、心の中に懇願が広がっていく。
「屋敷には四人とも到着しておりますが、ここには朱兎と私しかいませんよ」
 聖黒さんは笑い声を洩らしながらも、私が知りたいことを的確に答えてくれた。
 私は聖黒さんの言葉を聞いて、襖に背中を預けてほっと胸を撫で下ろした。なんとか私の間抜けな姿を目撃したのは二人だけに留められそうだ。
「あの、私、これから支度しようと思って。洗面所へ行きたいので、私の姿が見えなくなるまで目を瞑っててください」
「どうしてですか?」
 聖黒さんが不思議そうな声で訊ねてくる。
「寝起き姿を見られたくないからです!」
 焦れったく思いながら、襖を見つめて必死に言い切る。朱兎さんが私の言葉に笑ったのが小さく聞こえた。
「分かりました。姫君がお望みなら、僕たちは庭の方を向いて空でも眺めています」
 襖の向こうで二人が動く気配がして、縁側から庭へ出たのが足音から分かった。
「姫君、準備はできましたよ」
 朱兎さんのその声を聞くや否や、私は部屋から飛び出して、二人の姿も見ずに洗面所へ向かって駆け抜けた。

 

 支度がすっかり済んで遅い朝食を取った後、私は四人の元へ向かった。
「姫さまー、おはようございます!」
 私の姿を見るなり、輝石君が元気よく手を振りながら満面の笑顔を向けてくれた。
「おはようございます、美月様」
 蒼士さんもそれに続いて、笑顔で挨拶をしてくれた。
「おはよう、輝石君、蒼士さん」
 にっこりと私も挨拶を返す。
 改めて四人を見てみると、揃いも揃って美形だ。しかもこの美形四人は私を護ってくれるらしい。ここに友達がいれば、今までの比にもならないくらい羨ましがられそうな状況に身を置いている。けれど、当の私からすれば肩身の狭い環境だ。
 どう贔屓目に見ても平凡としか言いようがない私が、美形にばかり囲まれて肩身の狭い思いをしないわけがない。私がもう少し綺麗だったらこの環境にもっと楽な気持ちでいられたかもしれないのに、と少し残念に思う。
「どうかなされましたか?」
 蒼士さんが心配そうに私を覗き込んできて、私は急いで笑顔を取り繕って手を振った。
「ううん、なんでもないよ。それより、いくつか訊きたいことがあるの。答えてくれますか?」
 気持ちを切り替えてから、私は意識して真剣な顔つきを浮かべる。四人の顔を見渡すと、みんな一様に頷いてくれた。
「まず一つ目ね。皆さん、おいくつですか?」
 私があんまり真剣に訊きたいことがあると言ったせいだろうか。四人とも心なしか「それだけ?」といったような拍子抜けした表情を浮かべた。
「蒼士さんは二十一歳よね。それで母は三十六だって言ってたけど、父の歳も知らなければ、あなたたち三人の歳も知らないんです。これから長く一緒にいるのに、それぐらい知っておきたいと思って」
 私がなおも真剣にそう言うと、聖黒さんが優しく目を細めてくれた。
「令様は御歳四十歳になられます。令様と有様は、令様が二十二のとき、有様が十八のときに御成婚なさりました」
「二人とも若くで結婚したんですね」
 少し驚いて、でも確かにそんな雰囲気がすると納得しながら私が言うと、聖黒さんが、
「お二人は幼い頃から相思相愛だったとお聞きしておりますから、ご結婚も早かったのでしょう」
 と教えてくれた。
「では次は私自身のことを。私は二十七歳です。よく輝石からは還暦をとうに過ぎた爺様のようだと言われますが」
 聖黒さんが笑顔を崩さずに告げる。聖黒さんの台詞に出てきた輝石君が、ぎょっとした様子で口を開いた。
「え! 何で知ってんの!」
「――やはり言い触らしていたのはあなただったんですね」
 聖黒さんがいつもとは違う黒い凄みのある笑みを浮かべて輝石君を見遣る。まさに口走ってしまったとはこのことだろう、と私は同情しながら輝石君を見つめた。
「すみません、もう言いません! あと、俺が言った言葉はちゃんと撤回しときます!」
 輝石君は聖黒さんを見上げて、早口で告げた。
「輝石も相変わらずだなー。聖黒の地獄耳を侮っちゃいけないよ」
 朱兎さんが笑ってそう言うと、聖黒さんが朱兎さんのことも同じ笑みで見つめる。それに気がついた朱兎さんも急いで、
「地獄耳っていうのはもちろんいい意味だから!」
 とフォローにならないフォローをしていた。
 私はこのやり取りに、とうとう笑いを堪え切ることができなかった。お腹を押さえて笑っていると、蒼士さんが優しい視線を私へ向けてくれるのを視界の隅で捉える。きっと、蒼士さんは私のことを誰よりも心配していてくれたんだろうと、そのとき改めて感じた。
「じゃあ、次は俺。俺は十七歳で、姫さまよりは一つ年上です。だから俺のこと頼ってくださいね!」
 輝石君がぽんっと胸を叩きながら言う。すると聖黒さんが輝石君の頭に手を置いて、綺麗な微笑みを浮かべた。
「本当に頼りにしてくださいね。輝石の身長は165cmと低いですが、見かけによらず頼りになる子ですから」
 優に180cmは超えているだろう聖黒さんがどこか嫌味っぽく言う。優しい笑顔とは違って、意外と聖黒さんは意地が悪そうだった。
「身長は関係ない」
 輝石君は聖黒さんの手を振り払って、ふてくされている。そんな輝石君を見て聖黒さんは「ちょっとした仕返しです」とにっこり笑った。
「そう言えば、私とあんまり変わらないね」
 確か私の身長は163cmだった、と思いながら何気なく輝石君に向かって言うと、輝石君はショックを受けた様子で「姫さまー」と力なく言った。
「輝石はきっとこれからまだまだ伸びる。180cmの俺が言っているんだから間違いない」
「嫌味だろ、それ!」
 蒼士さんが哀れそうにぽんっと輝石君の頭を叩く。するとそれにかっと目を見開いて、輝石君が怒鳴った。
「僕は二十二歳で、179cmです」
 追い打ちをかけるように朱兎さんがにこやかにそう言うと、輝石君は遂に拗ねてしまった。ぶつぶつと「低くない、俺は低くない……」と呟いている。その背中に哀愁が漂っていて、私は慌てて輝石君の背中を励ますように叩いた。
「輝石君、身長なんて関係ないよ。大切なのは心だよ」
 私がそう言うや否や、輝石君はきらきらとした瞳を私へ向けて「姫さまー」と私の手を握った。
「では美月様、次の質問は?」
 蒼士さんが輝石君の手を私から引き剥がして、笑顔で訊ねてくる。
 そういえば蒼士さんは小さな頃からいつもこうして、私から男の子を引き離してたっけ、と思い出して笑いながら、私は次の質問をした。
「私、この世界に来てから綺麗な人にしか出会ってないと思うんです。ずっと傍に居てくれた蒼士さんもご多分に漏れず格好いいし、聖黒さんも輝石君も朱兎さんもみんな綺麗でしょう? おまけに母は私を産んだとは思えない若さと美しさだし、父も若くて」
 私が一気に言うと、四人は顔を見合せて一様に小さく唸った。
「そんなこと、考えたこともありませんでした」
 蒼士さんが呟くと、聖黒さんと朱兎さんが頷いた。
「確かに奥方様のあの若さは異常……いや、奇跡みたいだけど」
「そう言われるとそうかもしれませんね。私たちはこの場にずっと身を置いてきましたから、特に考えることもありませんでしたが」
 輝石君が慌てて言い直すのをちらりと見てから、聖黒さんが考え深げに言う。
「でも、姫君は僕が今まで出会ったどんな女性よりもずっとずっと素敵ですよ」
 朱兎さんが微笑みながら優しく言ってくれる。きっと私の心の中の気後れを感じ取って言ってくれているのだろうと察した私は「ありがとうございます」とお礼を口にした。すると朱兎さんは少しむっとして、
「冗談ではなくて、本当に。姫君は心根が美しい。その美しさが容姿にも表れているんです」
 と恥ずかしい台詞を恥ずかしげもなく言ってのけた。けれど他の三人もそれに深く頷いてくれている。
「先程ご自分でも言っておられたではないですか。大事なのは身長でも顔でもない。心です」
 蒼士さんはそっと大切なことを告げるようにする。私は何度か目を瞬いてから「ありがとうございます」と再び、けれど今度は心を込めて言った。
 こんな美形に言われても、本当はいまいち説得力がないような気がする。でもその優しさが純粋に嬉しかった。
「じゃあ、最後の質問です」
 少し間を置いてから四人に背を向けて、庭に咲いている椿にそっと触った。
「白月家か黒月家、どちらかに嫁がないといけないのは分かりました。でも、肝心の嫁ぎ先を決める方法は、何なんですか?」
 自分の口から出たその言葉が、心なしか暗い影を落としているように感じる。自分の声に我に返った私は、急いで明るい調子を装った。
「ほら、昨日は父も母も嫁ぐとしか言っていなくて、どうやって嫁ぎ先を決めるかまでは言っていなかったじゃないですか。だから、どうするのかなって思って――」
「無理をなさらないでください。普通は受け入れられなくて当然です」
 朱兎さんが私と視線を合わせて、顔を覗き込むようにしながら優しく言ってくれる。その優しい空気はとても居心地がよかったけれど、私は朱兎さんの瞳を見つめてはっきりと言った。
「ありがとうございます。でも、私は早く受け入れないといけないと思います」
 朱兎さんは一瞬だけ目を見張ると、小さく頷いた。朱兎さんの後ろに立っていた聖黒さんが、一段と優しく瞳を細めたように見えた。
「嫁ぎ先をお決めになるのは、美月様です」
「私、ですか?」
「そうです。美月様が一緒になりたいと思われた方と、ご結婚なさることができます」
 聖黒さんの言葉を引き継いで、蒼士さんが説明を続ける。
「一応しきたりでは、両家の合意がなければ婚姻を結ぶことはできないとされていますが、それは体裁を取り繕ってのことです。実際は白月家も黒月家も美月様を妻として迎えて一族の繁栄を――と考えておりますので、美月様が自分を選んでくださることを願っているのです」
 蒼士さんはそこで言葉を切ると、私をじっと見つめた。
「美月様が夫となさりたい方をお選びになればよろしいのです。相手は決して嫌とは言いません」
「……なんだか嫌な決め方なのね」
 温かみが感じられない内容に私は眉をひそめる。「私が選ぶ」なんて、上から白月家と黒月家を見下ろしているみたいで居心地が悪い。何より、私が選んだ相手は家のために拒否できないのではないだろうかと思うと、まだあったこともない両家の当主に申し訳なくなった。
「俺もなんか嫌味な決め方だと思います。でもそれがしきたり≠ネんですよね……」
 俯いて考え込んでいると、輝石君の不服そうな声が私の思いに同意してくれた。
「とにかく決め方は分かりました。それで、その白月さんと黒月さんにはいつ会うんですか?」
 私はまだ納得しきれていないながらも、四人に向かって訊ねる。そして自分が疑問を口にした瞬間に、不吉な考えが頭に浮かんだ。
「まさか、二ヶ月後の嫁ぐ日まで会わない、なんてことは……」
 私が恐る恐る訊ねると、朱兎さんが笑った。
「いえ、まさか。それはありません。両家の御当主は、本日午後三時にこちらに参られるそうです」
「今日ですか? そんなに急に?」
 私が驚いてそう言うと、蒼士さんがどこか機械的な優しさを浮かべて微笑んだ。
「ご結婚されるのは二ヶ月後ですから、少しでも早くお会いになられた方がよいでしょう」

 

 

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