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 当主と奥方の話が終わって、五人は下がった。美月は「疲れたからもう休むね」と四家の当主に、笑顔になりそこなった笑みを向けて自室へ戻って行ってしまった。
 美月の消えた後姿を追うようにして顔を廊下の闇へと向けていた朱兎が、ぽつりと零す。
「姫君って、いつもああいう寂しそうな感じなの?」
「いや、そんなことない。さっき初めてお会いした時は俺の冗談に、にこって笑ってくれたし」
 朱兎の疑問を受けて輝石が答える。すると聖黒が、
「いつあなたは冗談なんて言ったんですか?」
 と不思議そうに訊いた。
 輝石はその問いかけに「あー、うー」と言葉にならない言葉を発して誤魔化すと、話を変えようと美月が立ち去った後を寂しげな表情で見つめていた蒼士に視線をやった。
「蒼士は十六年間、姫さまと一緒だったんだろ。姫さまってどんな人なの?」
「僕も知りたい。自分の主になる人だし」
 朱兎も輝石に同調して言うと、期待の表情で蒼士を見つめた。聖黒も「そうですね」と同意して、三人の目は蒼士に向けられた。
 蒼士はその視線に気づくと、縁側に座って空に浮かぶ満月を見上げた。その髪が、淡い月の光に照らされて反射する。
「そうですね。美月は――」
 蒼士が言いかけると、聖黒がすかさず「蒼士」と咎めるように彼の名を呼ぶ。蒼士は聖黒に言われる前に既に口を覆っていたが、律義に「すみません」と謝罪してから改めて話し始めた。
「美月様は、決して目立つ存在ではなかった。どこにでもいそうな、そんな人で」
 蒼士は言いながら、視線を足元へ落とす。その視線には、美月への優しさと愛しさが込められている。けれど蒼士にとっては幸いなことに、顔を地面へ向けたことで、他の三人には蒼士の表情が読み取れなくなっていた。
「けれど、美月様と知り合われた人々は彼女に魅了された。一見平凡そうで、でも彼女には人の心を惹きつける何かがある」
 静かに告げられるその言葉に、三人が瞠目して蒼士を見つめる。表情を見なくても分かるはっきりとした愛情が、蒼士の言葉から伝わってくる。それに気がついた三人は、言葉を失った。
 そっと、朱兎と輝石は顔を見合わせる。お互いに困った表情を浮かべていた。
 聖黒は蒼士を見遣って、決して厳しくはなく、けれど諦念を促すような口調で言った。
「蒼士。以前はどうあれ、美月様は我々の主です。それに美月様は二ヶ月後には白月家か黒月家へ――」
「分かっています」
 蒼士は聖黒の言葉を遮って、少し投げやりに言った。いつも穏やかな蒼士が、そのような口調で話すことは珍しいことだった。
「分かっています。俺のこの気持ちが、決して報われないことは」
 蒼士は顔を上げて聖黒を真っ直ぐに見つめる。
「だけど、どうしてこの気持ちを抑えることができたでしょう。どうしたら美月を愛しく思わずにいられたでしょう」
 聖黒は真摯に向けられる瞳に、返す言葉が見つからずに口を引き結ぶ。蒼士が主を呼び捨てにするのを注意することすらできなかった。
「最初は任務だった。御当主と奥方様から下して頂いた使命を必ず果たそうと、それ一心だけだった」
 胸に迫ってくるようなその言葉を聞いて、輝石がそっと俯いた。
「少しずつ成長していく美月を傍で見守って、美月のどんな人にでも優しくできる美しい心を知った。任務なんてそんなことは関係なく、美月を護りたいと思うようになった。俺に笑いかける美月を見て、どんなに俺が幸せだったか、分かるでしょうか」
 蒼士は空に浮かぶ恨めしいほど美しい月を見上げて、強く拳を握った。
「俺のこの想いは、十六年間かけて育ってきたものです。今さら、消そうと思っても消えない」
「蒼士……」
 強い瞳で、決して揺るがない心を秘めた蒼士に、朱兎が居ても立ってもいられずに声を掛ける。けれどその言葉は、宙に消えてしまったかのように蒼士には届かなかった。
「何も望んでなんてない。美月は、俺が美月を愛してることを知らない。伝えるつもりもない。俺は、美月が幸せになってくれることだけを願ってる――だから、何も望んでなんていません」
 ただこうして美月を想い続けているだけです、と蒼士は最後にぽつりと零した。

 

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