三十七

 

 小梅さんはあのまま何も答えずに家へ帰ってしまった。これから泉水さんと小梅さんがどうなるのかは私には分からない。けれど、これで二人を縛る(かせ)はなくなった。二人が幸せになってくれるなら、例え自己満足と言われたとしても、私はこれでよかったのだと思えた。
 私がそんなことを考えながら牡丹の間へ入ると、一人で帰ってきた私を見て優花ちゃんは不思議そうに首を傾げた。
「美月様、お一人ですか? 小梅は?」
 ちらりと私の後ろを確かめながら、優花ちゃんが口を開く。私は小さく苦笑を浮かべながら、門の外を見やって短く答えた。
「先に帰るって」
「そうですか……」
 私の答えに訝しげに眉をひそめながらも、それ以上は何も言わずに優花ちゃんは自分を納得させたようだった。小梅さんも私も何も言わないのなら、自分が訊ねることではないと、判断した様子で。それを見て、私は申し訳なくなって慌てて付け足す。
「さっきはごめんね。あの……。いつかきっと、優花ちゃんにも話せる日がくると思う」
 私が丁寧にそう言い終えると、優花ちゃんは分かったと言うように、じっと私を見つめて頷いた。
 それから私は四神家と臣下三大の姿を確認して言った。
「さっきお母さんから、みんなが私を探してるって聞いたんだけど……闇音はいないの?」
 部屋をぐるりと見渡すと、部屋の上座の席はぽっかりと空いており、そこに闇音はいなかった。そしてもう一度、部屋に四神家と臣下三大しかいないことを確認すると、遠慮がちに言葉を付け足す。
「あと闇音の、その……お義父(とう)さんとお義母(かあ)さんは?」
 闇音のご両親、じゃあまり親しみが湧かないし、かといって、龍輝さんと更さんというには恐れ多すぎる。ここはひとつ、もうすぐ嫁ぐということを考えて「お義父さんとお義母さん」と呼んだ方がいいのかな、と一瞬のうちに色んな考えが頭を駆け抜けて、少し口ごもりながら私は言った。
 すると彰さんが困ったように微笑みながら言う。
「闇音様は先程、少し外を歩いてくると仰って、庭へ出て行かれました。龍輝様と更様は、会合が終わるとすぐに黒月邸へお帰りに」
 彰さんの言葉に四神家の一同は、あからさまに不満げな表情を浮かべた。
「どうも総帥とその奥方は、この婚儀に関心がないご様子ですね」
 いつもは穏やかな聖黒さんが、少し皮肉を込めてそう言う。その表情は決して穏やかとは言えないものだ。その様子にはらはらした様子で真咲さんは身を縮めた。
「すみません……」
 消え入りそうな声で真咲さんがそう告げると、はっとした様子で聖黒さんはいつもの穏やかな雰囲気を纏う。
「決してあなたを責めているわけではありませんよ。ただ我々としては、これは見過ごせない事態です」
 聖黒さんは真咲さんを気遣いながらも、断固とした様子で続ける。
「斎野宮の姫が嫁がれると言うのに、この状況は如何なものでしょう」
 聖黒さんが眉間に皺を寄せながら、ぽっかりと空いた上座を見据えた。
「本来なら総帥と奥方にもこの場におらずとも、せめてこの屋敷内にはいて欲しかったものです」
 最後まで攻める勢いを衰えさせずに聖黒さんが言いきると、臣下三大は一様に畳へ視線を落とした。
「それに、あのお二人は闇音様が妻を迎えられるというのに、どうしてああも無関心でいられるんでしょう?」
 臣下三大の様子を横目で見やりながら、朱兎さんが解せないという様子を見せてぽつりとこぼす。
「闇音様は息子でしょう? しかも跡取り、さらに今は当主の座におわす方。なのに、どうしてああも冷たくいらっしゃれるのでしょう? 僕には理解できません」
 朱兎さんがぽつりとこぼしたその言葉に、臣下三大は視線を落したまま何も答えなかった。その姿からは、答えることをはっきりと拒否する空気が読み取れる。その様子に何かしらの事情を感じた四神家と私は、首を傾げながらお互いの顔を見合った。
 少しの間、沈黙がその場を支配する。誰も何も言わずに、この場にいない三人のことを考えていた。
 そして、ついにそれに耐えきれなくなった様子の輝石君が、妙に明るい様子で声を上げた。
「それで、姫さま。明後日には黒月家へ入られますけど、準備は我々に任せてくださいね」
 輝石君の明るい声に我に返った一同は、強張っていた空気を打ち解けさせた。
「準備って具体的には何をするの?」
 準備、という言葉に言いようのない不安な気持ちが押し寄せて、私は四神家を見つめて頼りない声をあげる。
「特には何も。生活必需品はあちらで揃えられておりますし、花嫁衣装などは私たちが運びますから」
 蒼士さんが私の様子を見て少し可笑しそうに、そしてどこか切なそうに微笑んで言った。
 それにぎゅっと胸が締め付けられる。けれど、私は言葉を発する代わりにぎゅっと唇を引き結んだ。
「後、僕たちも黒月邸入りしますよ。姫君に付いて行くんです」
 朱兎さんはそんな私には気がついていない様子で口元を緩めながらそう言う。そして突然はっと気づいたように、隣に座る優花ちゃんを見下ろした。
「優花、一人になるけど大丈夫?」
 いかにも心配です、という表情を浮かべて優花ちゃんを見つめる朱兎さんに、優花ちゃんは呆れた様子で溜め息をついた。
「あのね、兄様。一人って言っても、うちにはお父様もお母様もいるじゃない。いなくなるのは兄様だけなんだから、大丈夫に決まってるでしょ」
 優花ちゃんの的確な指摘に朱兎さんは「それはそうだけど」と段々と声を小さくしていった。そして消え入る声で言い終えると、大げさなほど項垂れた。けれど優花ちゃんはそんな朱兎さんにはお構いなしに、そっぽを向き続けている。
「黒月邸へ入るって、黒月邸に住むって言うことですか?」
 朱兎さんと優花ちゃんの相変わらずのやり取りに微笑みながら、私は蒼士さんに尋ねる。すると蒼士さんは頷きながら、思い出すように言った。
「ご当主と奥方様のたっての願いです。私たちは、美月様を傍で守るように、と役目を遣わされていますので、美月様が嫁がれる際はそちらの屋敷へ私たちも上がることになっていました」
「でも、大丈夫なの? みんな、当主でしょ? お家のこととか」
 私が不安げに四人を順番に見つめると、蒼士さんが苦笑交じりに言葉を発した。
「確かに私たちは当主ですが、主になって家を治めているのは総帥です。ですから私たちが家を開けても支障は来たさないんです。もちろん当主の務めもありますが、それは黒月邸でも十分こなせますから」
 蒼士さんはそこまで言うと、ただ、と小さく言葉を付け足して輝石君を見やった。輝石君はそれに気づいて難しい顔を浮かべた。
「西家は今、俺一人で仕切っています。俺にはもう両親はいないし、姉ちゃんにも家のことを任せられる状態にはありません。だから、俺だけは西家から黒月へ毎日通わせてもらいたいんです。今までみたいに」
 輝石君はそう言うと、私の答えを求めるようにそのままじっと私を見つめた。
 私は輝石君の言葉にゆっくり頷いて見せると、口を開いた。
「私はもちろん、それで構わないよ。輝石君がやりやすいようにやってくれればいいから。だから無理はしないでね」
 私がそう言うと、輝石君はほっとした様子で小さく息を吐いて、にっこりと微笑んだ。
「美月様にお話ししなければならないことも、これぐらいでしょうか」
 聖黒さんは輝石君と私のやり取りを見届けると、空中へ視線を投げながらぼんやりと言った。聖黒さんの言葉を聞いて、私はもう一度みんなを見渡すと、真剣な表情を浮かべて深々とお辞儀をする。
「これからどうぞよろしくお願いします」
 するとそれを受けて、全員がお辞儀を返してくれた。
「こちらこそ、よろしくお願い致します」
 四神家が優しげな色を言葉に載せて、口を揃えてそう言ってくれる。
 臣下三大は親しみの籠った瞳で私を見つめると、
「姫様に、快適に過ごしていただけるよう私たちも尽力致します」
 と口を揃えて言ってくれた。
 私はみんなの好意ににっこりと微笑んで見せた。こんなにも沢山の人に気遣ってもらえるのは、とてもありがたいことだ。自分は恵まれていると思わずにはいられなかった。
 そして改めてここに揃った面々を見て、ふと疑問が頭に浮かんだ。
 この世界に来たときから、四神家の当主は私を守る役割を遣わされていると、何度も耳にしてきたけれど、一体何から私を守るというんだろう。この世界に来たばかりの最初の頃は、何も分からなかったことも手伝って、この世界がとても危険なのかと本気で考えていたぐらいだ。
 でも、今は分かる。この世界は平和だし、穏やかな時間が過ぎている。ゆるやかに季節が移り変わるように、一日がゆったりとした川の流れのように過ぎていく。こんな穏やかな世界で、そうそう物騒なことも起こりそうになかった。
「あの、一つ訊いてもいいですか?」
 私が思案顔のまま口を開くと、穏やかな笑みを湛えたまま聖黒さんが私を見つめた。
「四神家のみんなは私を守るって言ってくれてるけど、具体的に何から守るんですか?」
 私の質問を聞いた四人は、きょとんとして私を見つめた後、困ったようにお互いの顔を見やった。
「……僕たちはただ守れって言われてるだけなんです。具体的には何からなのか僕たちにも……」
 朱兎さんがうーんと唸りながら腕を組んでそう言うと、蒼士さんも困ったように頷いた。
「私は、ご当主も奥方様も美月様を心配なさってのことだ、と捉えていましたが」
 つまりは過保護だということだろうか、と蒼士さんがあえて口にしなかった言葉を推し量って私は首を傾げる。すると私と同じように輝石君も首を傾げながらぼんやりと呟いた。
「でも、確かに考えてみればおかしいですね。元々、四神家の当主は斎野宮の当主に仕えるべき存在なのに、俺たちの父の代は総帥に押し上げられて、若い世代の俺たちが当主になってる。しかも主は姫さまで、姫さまを守るように言い付かってる」
 輝石君はそこまで言うと、突然気づいたように顔をこちらへ向けて慌てながら、
「あっ。別に姫さまに仕えるのが嫌とかそういうわけじゃないですよ!」
 と大きな声で付け足した。
 私はその様子に笑いながら、ありがとう、とお礼を言うと、先程から何か思案している様子の聖黒さんの方をちらりと見つめた。すると聖黒さんもそれに気づいて、困ったように微笑むと口を開いた。
「私も蒼士と同じ意見です。美月様は生まれてから十六年もの間、天界にいらっしゃいませんでしたし、それでだろうと」
「……まあ、お二人の様子からすると、それが妥当でしょうか」
 朱兎さんも聖黒さんの意見に頷きながらそう言うと、優花ちゃんを見つめて、二人の気持ちがよく分かる、という表情を浮かべた。優花ちゃんはもう相手にするのも疲れたのか、無視を決め込んだ様子だった。
「じゃあ、斎野宮と四神家の関係みたいに、臣下三大のみなさんのお家は代々黒月家の当主を守ってるんですか?」
 私は朱兎さんと優花ちゃんのやり取りを横目で見つつも、臣下三大の方を向いて問いかけた。すると彰さんが顎に手を当てて少し考える仕草を見せてから言った。
「うーん……。姫様が仰っているのとは少し違いますね」
 彰さんはそう言うと、私を見つめて説明を始めた。
「まず、臣下三大は家柄によって選ばれる存在ではありません。簡単に言うと、役職名、のようなものでしょうか。血ではなく能力で選ばれる存在なのです。ですから、私の両親は臣下三大ではありませんでしたし、芳香のご両親もそうです。真咲だけは例外で、彼の祖父は闇音様のご祖父様の臣下三大の一人でした。その関係で黒月家とは付き合いが深く、彼が臣下三大の中で最も闇音様の信頼を得ているのもそれです」
 彰さんがそう言うと、真咲さんが頷きながら口を挟んだ。
「そうなんです。闇音様とは幼い頃から一緒に過ごしていまして、おそらくその関係で闇音様は私を臣下三大に選ばれたのだと思います」
「臣下三大に求められるのは、能力だけではないんですよ。当主との信頼関係も重要なんです。臣下三大に選ばれるというのは、それが白月家でも黒月家でも、とても栄誉あることなんですよ。ですから、私は闇音様に応えたいんです」
 今度は芳香さんがゆっくりと頷きながら言った。芳香さんのその言葉は少し寂しげに部屋に響いた。
 芳香さんが闇音と上手くいっていないのは、周知の事実だ。そのことを闇音は何とも思っていないのかもしれないけれど、臣下三大に選ばれた芳香さんとしては心を痛めている事柄なのだろうと、この言葉から感じられた。
 そういえば前に泉水さんが、芳香さんは闇音の冷たい部分しか知らない、と言っていたことがあった。普段の芳香さんの闇音への態度を見れば、芳香さんが闇音をよく思っていないことは明らかだ。きっとどうしても考えや彼の態度を受け入れることができないんだろう。そしてそんな自分が嫌なのかもしれない、と芳香さんを見てぼんやりと思った。
「暗くしてしまいましたね。すみません」
 芳香さんは柔らかくそう言って微笑むと、外を確認してから真咲さんに言った。
「そろそろ私たち、お暇した方がいいんじゃない? 準備もあることだし」
 真咲さんはその言葉に促されて外を見ると、一つ頷いてみせた。そして頷いてから思い出したように、空席の上座を見つめる。
「そうだった、闇音様! 闇音様をまず見つけないと。どちらにいらっしゃるんでしょう……」
 真咲さんはそう言って立ち上がると庭へ出ようしたので、それを見た私は思わず声をかけていた。
「あの、私が探してきましょうか?」
 自分で言ってから自分の発言に驚いて、私は咄嗟に口を覆った。けれど言ってしまったことは取り消せない。真咲さんは私の言葉を聞くとほっとした様子で微笑んで、
「闇音様と仲良くなられたんですね。よかった」
 と言った。
 真咲さんがあんまり嬉しそうにそう言うので、その様子に申し訳なく思った私は、咄嗟に口から言葉が出たとは言えず、ましてやあまり仲良くもないと真実も伝えられず、曖昧に笑ってごまかすことにした。
 それから闇音を探しに縁側から庭へ下りると、ふわりと暖かな風に乗って、闇音の居場所が自分でも驚くほどすんなりと頭に浮かんだ。

 

 

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