三十三

 

 会談に使われる部屋は、この世界へ初めて来た日に、父と母と四神家の四人と話をした芍薬の間だった。畳はこの日のためにすべて表替えされたようで、新しいイグサの香りが漂っている。相変わらずの広すぎる空間と、これから起こることを考えて落ち着かない私は、そわそわと周りを何度も見渡した。父と母はそんな私を見て、先程からずっと苦笑を浮かべている。
「美月」
 父がそわそわと首を動かしている私に向かって、苦笑交じりで私の名を呼んだ。
「少しは落ち着きなさい。そんな風だと、誰もお前を娶ってくれない」
 父はそう言うと、私を落ち着かせるようにぽんぽんと私の膝を叩いた。けれどそれで私の心が落ち着くはずもなく、私は先程よりは少し遠慮がちに周りを見渡し続けていた。すると不意に母と目が合って、私は少しはにかみながら畳へ目を落とした。母はその様子に少し笑いながら言った。
「せめて四神家の四人がいてくれれば、美月も落ち着いたでしょうに……」
「けれど、これがしきたりだからな」
 父の静かな声に母と私は顔を見合わせて、母はうんざりという様子でふうっと息を吐いた。
「しきたり、ね……」
 母はそう言うと、ぼんやりとした視線を縁側越しの庭へと落とした。父はそんな母を横目で見やりながらも、何も言わずに小さく息を吐いた。そして私へ視線を移すと、少し悲しげな笑みを浮かべる。
「美月、今日の会合でお前の嫁ぎ先が決まる。もう心は決まったのか?」
 私は父をしっかりと見つめて頷いた。父は私が頷くのを見ると、少し表情を柔らかくして、そっと私の手を握った。
 私が父の手をそっと握り返したときだった。襖がすっと開かれ、男の人の顔が見えた。その人は手をついて私たちに深く一礼すると、言った。
「白月の総帥とその奥方、そして当主がお見えになりました」
 その人の声に促されるように、さっと三人の人が部屋へ進んできた。
 最初に入ってきたのは泉水さんのお父さんだろう。どことなく醸し出す雰囲気が泉水さんと似ていて、泉水さんの柔らかな銀色の髪はお父さん譲りのようだった。そしてその次に入ってきたのが泉水さんのお母さんだった。柔らかな雰囲気の美しい人で、その人は母と目が合うと、にっこり微笑んで周りに気づかれないようにか、小さく手を振った。母はそれを見てにっこりと微笑み返すと、小さく手を振り返した。どうやら二人は知り合いらしい。
 そして最後に入ってきたのが泉水さんだった。泉水さんはいつもとは違う、真面目な顔つきで、私と視線を合わせるのを避けているかのように、私と目を合わせようとしなかった。
 三人がそれぞれ席に座ると、父が親しげに口を開いた。
「皆さん、お元気そうでなにより」
 父がそう言うのを聞くと、泉水さんのお父さんは泉水さんが浮かべる笑顔とそっくり同じ、穏やかな笑みを浮かべて言った。
「令さんも奥方様もお元気そうで。そして、彼女が美月さんですね」
 彼はそう言うと私を見つめて、柔らかく微笑んだ。私は泉水さんのご両親に向かって一礼すると、二人はにっこりと微笑んでくれた。
「さすが令さんと有ちゃんの娘さんね。若い頃の有ちゃんにそっくり。唯一違うのは御髪の色かしら? それにしてもお綺麗ですこと」
 泉水さんのお母さんが私を見つめて、懐かしそうに目を細めて言った。私は言われ慣れないその言葉に、曖昧に微笑んで返すのが精一杯だった。
「美月、紹介しよう。こちらは白月家の総帥、白月告水(つぐみ)氏。そしてその奥方の白月愛海(まなみ)氏だ」
 父はそう言うと、泉水さんのご両親を順番に手で示した。二人は父に紹介されると、軽く頭を下げて、それからまた私を見つめると優しく微笑んだ。
「愛海ちゃんと私はね、娘時代ずっと一緒にいたのよ。ほとんど一緒に育ったって言ってもいいぐらい」
 母は懐かしそうに愛海さんを見つめながら言った。すると愛海さんがその言葉を受け取って、頷いて見せた。
「そうなのよ。私たちの両親が、元々仲がよくてね? それでお互いの家に男の子と女の子が生まれたら結婚させようって約束してたらしいの。けれど生まれてみたら、二人とも女の子じゃない? だから結局両親は泣く泣く諦めたそうよ。でも私たちはそれこそ姉妹のように一緒に育ったの」
 母もその言葉に頷いて、それから二人は遠い娘時代に思いを馳せると、憂いを含んだ溜め息を漏らして同時に言った。
「あの頃が懐かしいわね」
 奥さん二人のそんな言葉を聞いた、告水さんと父は顔を見合わせて苦笑を浮かべた。
 みんなが和やかな雰囲気に包まれている最中でも、泉水さんは一切口を開こうとしなかった。私はそんな泉水さんへ視線を移すと、泉水さんと目が合った。すると泉水さんは一瞬だけ微笑むと、またすぐに私から視線を外して目を伏せた。私はあからさまともいえる泉水さんのその態度に少し胸が痛んで、それからその思いを勢いよく消し去った。今は落ち込んでいる時ではないのだ。
 両親同士の和やかな会話が続く中、先程と同じように襖が開かれ、男の人が顔を出した。その人はやはり先程と同じように手をついて一礼すると、言った。
「黒月の総帥とその奥方、そして当主がお見えになりました」
 男の人が言い終えるや否や、さっと襖が大きく開かれ、三人の人が部屋へ入ってくる。
 まず入ってきたのは闇音のお父さんだろう人物で、そこにいるだけでその場の人を威圧で押し黙らせてしまうことが可能なのではと思えるような人だった。次に入ってきたのはとても綺麗な長身のすらりとした女の人で、闇音のお母さんらしかった。彼女の顔立ちは闇音に受け継がれたらしい。冷たさと美しさが混在する魅力的な顔立ちだった。
 そして最後に姿を見せたのが闇音だった。彼は泉水さんとは違って、部屋へ入るなり私を見つけると、感情の籠らない瞳で私を射抜いた。彼は、闇音のお父さんですら霞んでしまうほどの威圧感を放っている。
 父は三人が席に付くのを待って、それから私へ紹介するように闇音のご両親を手で示した。
「こちらが黒月家総帥、黒月龍輝(りゅうき)氏。そして、その奥方の黒月(さら)氏だ」
 私が二人に向かって一礼すると、二人はにこりとも微笑まず無愛想に私を見つめて軽く一礼を返した。二人は口を開く気もないようで、まるでこのことに関して自分たちは何の関係もないとでもいうような雰囲気が漂っている。
 父はそれに一瞬だけ眉をしかめてから、この場にいる九人をぐるりと見渡すと静かに言った。
「それではこれで全員が揃いましたね」
 母は私の手をぎゅっと握りしめた。
「今日はご存じのとおり、娘がどちらの家へ嫁ぐかを決める会談が執り行われる日です。このことは二百年前、当時の三家の当主によって決められました」
 父がそう続けると、母と私以外の人々がゆっくりと頷いた。
「それでは前置きはこのぐらいにして、本題へ入りましょう」
 父は目の前にした六人に向かってそう言うと、隣に座る私へ視線を落とした。
「美月、この会合は形式的なものだ。お前が嫁ぎたいと思う相手の名を呼べばいい。それでこの会合は終わる」
 父はそこで言葉を切ると、不安げに空中に視線を漂わせた。
「この会合が終われば、お前はすぐにその家へ嫁ぐ。おそらく二、三日中に相手の家へ入り、そして一週間のうちに結婚の儀をあげるだろう」
 父のその言葉に、内心は急すぎないかと思ったけれど、私は素直に頷いた。ここに至るまでの日々を考えてみれば、このぐらい急でもおかしくないと思ったのだ。
「美月」
 母は私を元気づけるかのようににっこりと微笑むと、握っていた手を優しく両手で包みこんでくれた。私はその手の暖かさに勇気をもらいながら、ゆっくりと前に座る六人を順番に見つめた。
 全員が私の言葉を待っている。全員が私を直と見据えている。ぴんと張り詰めた空気が部屋中を覆って、その様子に気圧されそうになる。
 するとすかさず父が自由な方の私の手を取って、強く握りしめてくれた。私に送られる視線には、私を励ますような温かなものしか含まれていない。
 私は父と母の優しい視線を受けながらまっすぐ前を見つめた。告水さんと愛海さんは辛抱強く私を優しく見つめてくれている。それとは対照的に、龍輝さんと更さんはまるで興味がないとでも言うように、私を見据えていた。
 声を出す前に一度、泉水さんを見つめる。すると私の視線に気づいた泉水さんが、何か言いたそうに私を見つめ返した。その泉水さんの視線に、はっきりと小梅さんの影を見て取って、私は一度目を伏せてから、泉水さんに微笑んで見せた。
「私は……」
 言いながら、もう俯かないように前を見つめると闇音が目に入った。闇音はいつおどおり淡々と私を見つめている。私はそのまま闇音を見つめ返すと、振り絞るように声を押し出した。
「黒月闇音と結婚したいです」
 私がそう言うのを聞くと、父と母は同時に深い溜め息を漏らした。二人は私以上に気を張って、息を凝らしていたようだった。
 告水さんと愛海さんへ私の言葉が届くと、二人は目に見えてがっかりと肩を落とした。その様子に申し訳ない気持ちになって、私は二人を上目遣いでちらりと見てから、泉水さんへと目をやった。泉水さんは少し驚いた様子で、じっと私を見つめている。今度は私がその視線を避けるように畳へ視線を落とした。
「美月の気持ちはお聞きのとおりです。黒月家はどう思われますか」
 父が龍輝さんと更さんと闇音を見据えて、少し硬い声でゆっくりと尋ねた。
「娘を受け入れてくれますか?」
 父のその問いかけに、龍輝さんと更さんは無言で闇音を見やった。闇音は二人の方へは見向きもせずに、まっすぐに私を見つめて、父の問いに短く答えた。
「もちろんです」
 その冷たい響きを持った言葉は、一瞬にして私を覆った。

 

 

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