二十四
夕暮れの中、さわさわと葉を揺らしながら風が吹き抜ける。その風に美しい銀色の髪をなびかせながら、私の隣で泉水さんは小さく溜め息を吐いた。
「最近忙しくてね……」
そう言うと泉水さんは風に揺れる色とりどりの葉をぼんやりとした様子で見上げた。
今日の泉水さんはどことなく元気がない。かすかに疲労の雰囲気を纏っているように感じられた。
「お仕事が、ですか?」
私が泉水さんを見上げてそう訊ねると、泉水さんはにっこりと微笑んだ。
「それもあるけどね。最近はもっぱら婚姻の準備かな」
その言葉を聞いて、私は頬を染めた。けれど泉水さんはそれにはまったく気づかない様子で話を続けた。
「美月ちゃんのところもこの間は大騒動だったらしいね。私も手伝いに行ければよかったんだけど」
そう言いながら泉水さんは、申し訳なさそうな表情を浮かべて私を見つめた。
「いいえ、そんな。……と言っても、私も碌に手伝ってないんですけど」
「ああ、譲から聞いたよ。奥方様が断固として手伝わせなかったらしいね」
泉水さんは笑いながら言った。
「奥方様らしいと言えば、らしいね」
私はその言葉に微笑んで、頷いた。
泉水さんは私の様子を微笑ましそうに見ながら、そっと私の髪に優しく触れて言った。
「そう言えば髪飾り、付けてくれてるんだね。今日は桜か……よく似合ってる」
着物に合わせて、泉水さんからプレゼントしてもらった桜の髪飾りを付けている私を優しく見つめると、泉水さんはそっとそのまま私の髪を撫でた。
「朱兎さんが、付けた方がいいって言ってくれて」
その優しく温かい手に酔いしれながら、私は小さな声で言った。
「朱兎が言ってくれないと、髪飾りを付けてくれないのかな?」
泉水さんは私の言葉に不満げにそう言った。
「そうじゃないですけど……」
私がさらに小さな声でそう返すと、泉水さんがふっと微笑んだ。
それから泉水さんは突然真剣な表情になると、綺麗にオレンジ色に染まった空を見つめながら話し出した。
「美月ちゃん、結婚について考えたことある?」
そう訊ねると泉水さんは私の答えを聞かずに続けた。
「私は最近よく考える。結婚という言葉が身近に迫っているから、というのも理由の一つだけれど、もっと違う何かがあるような気がして」
私は泉水さんの真剣な横顔を見つめたまま、言葉を発することができなかった。今は何も言わずに泉水さんの話を聞く時だ、と何となく感じた。
「正直言って私は今、自分が何をすべきなのか分からないんだ。……こんな自分が心底嫌になるよ」
寂しげな表情でそう言い終えると、泉水さんは夕暮れの空から私に視線を移した。
「もうすぐ会合だね」
泉水さんのストレートな切り出しに、私は少し身じろぎしてから泉水さんに視線を据えた。
「……そうですね」
この話題は、四神や臣下三大がいる時でも、二人きりでいる時でも、避けてきたものだった。何となくこの話題に触れることが今までできなかったのだ。
「美月ちゃんはどう思ってる? この結婚について、どう思う?」
泉水さんは直と私を見据えている。その表情は真剣そのものだった。
「今更何か言ったところで、もう何も変えられないだろう。時期を遅くすることも、何もかも。だけど、私は君の気持ちが聞きたい。もしかすると、君は望まない結婚を強いられているのかもしれないんだから」
「望まない結婚?」
私は泉水さんの言葉を小さく繰り返した。
「そうだよ。美月ちゃんは突然この世界に連れ戻されて、二ヶ月後に結婚しないといけないと言われて、闇音か私かどちらかを結婚相手に選べと突きつけられている」
泉水さんは私を思い遣るように、優しくそう言った。
「嫌だと普通なら思うだろう」
そう言われてみて、私は初めて自分の心と向き合った。
嫌だ、と思ったことがあっただろうか。確かに急すぎるとは思ったけれど、不思議とその決定に反抗する気持ちは生まれなかった。
「嫌だって不思議と思わなかったんですよね……」
私はそのまま声に出して言った。
「もうすべてが仕方ないことなんだって、最初は諦めてたから」
天界にやってきた頃の自分を思い出しながら、そう言った。
今更何を言っても何も変えられないだろうことを私は感じていた。だから反抗する気持ちなんて生まれなかったのだ。もう、すべてが遅いのだと思っていたから。
泉水さんは私の答えに眉間に皺を寄せて私を見つめる。その視線には悲しさが含まれていた。
「だけど、今は何だろう……。諦めてるわけじゃなくて、だけど仕方ないとも思ってて……。うまく言葉にできないけど、結婚ってそんなに悪くないかもしれないって思ってます」
私はつっかえながら泉水さんにそう伝えた。
「どうして?」
泉水さんはそう言うと、その言い方は少し不躾だったと感じたらしく、小さく咳払いをして付け足した。
「つまり、ほとんど無理やり結婚させられるのに? 闇音や私は、自分が後継ぎだとそう自覚した瞬間から、君と結婚するかもしれないと、そう思いながら育ってきた。だけど美月ちゃん。君は突然降って湧いたような話だっただろう」
泉水さんは小さな頃の記憶を手繰り寄せるように空中に視線を投げながら、丁寧に言い終えた。
「確かにそうでしたけど、でも――」
この先を言うべきか、言わずにいるべきか。
もう会合まで二週間を切っている。合意の上で結婚したいと思っているのなら、そろそろ切り出さないといけないことだ。
けれど、自分に言えるのだろうか。泉水さんを目の前にして、どう言えばいい?
「……泉水さん」
少し声を裏返しながら、顔を赤くして、私は意を決して言葉を続けた。次に出てくる言葉が何なのか、自分でも想像がつかない。流れに任せるしかない。
泉水さんは少し首を傾げると、いつものように柔らかい視線を送ってくれた。泉水さんの銀色の髪は、夕暮れのオレンジに染まって輝いていた。
「泉水さんはどう思いますか? 私と結婚すること」
遠回しなのか、ストレートなのか、あまり区別のつかないその言葉が宙を漂って、泉水さんの元へ届く。
泉水さんは私の言葉を聞くと、少し驚いた様子を見せた。そして一歩私に近づくと、優しく微笑んで私の頭を撫でてくれた。
私はこの答えが何を意味するのかと、近づいた泉水さんの瞳を見つめた。
横から照らしている夕陽のオレンジが、美しい銀色の髪と同じく、泉水さんの惹き込まれるような不思議な色合いの瞳も染めていた。
泉水さんは、どう言えばいいのか分からない、といった感情を正直に瞳に映し出している。その瞳は私を気遣うように優しく細められていたけれど、私の気持ちをさらりとかわすような冷たさもあった。
言葉に出して言われたわけではないけれど、はっきりと拒否されるよりも辛い、柔らかな毛布にくるまれたような悲しさが私を包んだ。
泉水さんを見つめていられなくて、ぎゅっと拳を作って俯いて自分の足元を見つめる。その瞬間、私の頭に置かれた泉水さんの手から彼の感情が流れ込んでくるように、不意に私の心に言葉が過った。
彼は今、私の向こう側に、愛する女性を想い描いている。
――そして、その人は私ではない、と。
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