二十三

 

「真咲! 何度言えば分かるの!? それはこっちだって!」
 大きな荷物を抱えてうろうろする真咲さんを見つけて、芳香さんが苛立ちながら叫んだ。
「ごめん! こっちか」
 荷物を落とさないように気をつけながらも小走りで芳香さんの方へ駆け寄って、真咲さんが言った。
「その荷物を運ぶようにって奥方様に指示されたときに、どこへ運ぶかってちゃんと聞いたはずでしょ!」
 よろめく真咲さんを見つめて、溜め息を吐きながら芳香さんが言った。
「まあまあ、芳香。人間、うっかりすることもあるよ」
 彰さんが芳香さんを宥めながら、真咲さんに優しい視線を送った。
「それは私が運んでおくよ。真咲はこっちの小物を牡丹の間へ運んでおいてくれ」
 彰さんは真咲さんから荷物を受け取って、自分が持っていた小物を真咲さんに手渡すと足早に歩いて行った。
「ありがとう、彰」
 ほっとした表情を浮かべて、真咲さんは彰さんの後姿に声を掛けた。
「ごめんなさい。三人にまで手伝わせてしまって……」
 私は近くに立つ真咲さんと芳香さんに向かって、申し訳なく思いながら頭を下げる。
 黒月三大が斎野宮を訪ねてきてくれたのは、白月三大がやって来てからすぐのことだった。三人は白月三大と同じように、目の前で繰り広げられる忙しなさに手伝いを買って出てくれたのだった。その時に私もどさくさに紛れて手伝っていたけれど、すぐに母に見つかって「お茶を飲んでいるように」と二度目のお達しを受けたのだった。
「いいえ、姫様が気になさることではありませんよ。それより真咲、早く運ぶ!」
 小物を持って佇んでいた真咲さんは、芳香さんの言葉にはっとして急ぎ足で牡丹の間へと向かった。
「幸いにして私たちは準備に追われて忙しいということもありませんので」
 芳香さんは真咲さんの後姿をしっかりと見送りながら、私に話しかけた。
「黒月は準備に忙しくないんですか?」
 私は驚いてすかさず問いかける。
「あ、いえ。黒月も婚姻の準備に大忙しですよ。ですがあの家は少し冷めていらして……いえ、よしましょう。こんな話は」
 芳香さんは自分で言い出しながら、首を振って話を終わらせた。そして、自分も荷物を運ばないといけないから、と言って人混みの中へ消えて行った。
 今、斎野宮邸はさらに人でごった返していた。四神の四人はもちろん、白月と黒月の臣下三大まで揃って、全員が荷物を運び入れるのを手伝ってくれていた。そのお陰で、ほとんどすべての荷物が既に屋敷内の決まった部屋へ運び入れられており、残すところわずかとなっていた。
「何事だ? この人の多さは」
 仕事が片付いたらしい父がいつの間にか私の隣に座っていて、初めてこの大騒動を目の当たりにしてぽかんとした表情で呟いた。
「仕上がった着物や小物を運び入れるのに、こんなに人が必要なのか?」
 父はぐるりと周囲を見渡して、信じられないと言った表情を浮かべている。
「でもそろそろお終いみたいです。ほとんどの荷物が運び入れられて、後は確認するだけだってお母さんが言ってました」
 私の言葉を聞いて、父は最前線で生き生きと動き回っている母を見つめた。
「母親の気持ちはよく分からんな。あんなに生き生きとしているとは……」
 父はそう呟くと母をまじまじと見つめた。
「何が分からないんですか?」
 私は首を傾げながら父を見つめた。すると私の視線に気づいた父が、小さな声で話し始めた。
「美月。お前には何も言わなかっただろうが、有はお前が嫁ぐことを望んでいなかった。心の底から嫌がっていたと言ってもいいだろう」
 父は寂しげな表情で私を見つめた。
「やっとのことで、十六年ぶりに手元に戻ってきた娘だ。それをたった二ヶ月で他の家へやらなければならない。それが私たち親にとってどれほど酷なことか、お前にも想像できるといいが……」
 父はぐっと眉間に皺を寄せて、苦しげな表情を浮かべた。
「有はお前が帰ってきたその日から、毎日のように嫁がせるのを遅らせてくれと、泣いて私に懇願していたのだ。せめて一週間でも、一日でもいいからと」
 私はその言葉に驚いて目を見開いた。母は、私と一緒にいる時にはそんな素振りは一切見せなかったのだ。
「私は有の涙を見て、お前が生まれた日のことを思い出した。あの日も有は、美月を手放したくないと私に泣いて懇願していた」
 父は束の間、十六年前に思いを馳せた様子で涙ぐんだ。私は父のその言葉から、父の悲しさと母の辛さを思って、悲しい気持ちで俯いた。
「……すまない、美月。私は今度もどうしてやることもできない」
 父は涙を溜めた澄んだ瞳で私を見つめた。私は咄嗟にハンカチを取り出して父に差し出していた。
「謝らないでください。お父さんが悪いわけじゃないです。全部仕方なかったことですから。それに、嫁いだとしてもこの家に二度と帰ってこれないわけじゃないって、聖黒さんが言ってました。気安く立ち寄ることはなかなかできないかもしれないけど、縁が切れるわけじゃないって」
 私は父の顔を真っ直ぐ見つめて続けた。
「嫁いだらなかなか帰ってこれないとは思うけど、できるだけお父さんとお母さんに顔を見せにくるって約束します。嫁いでも私は、お父さんとお母さんの娘ですから」
 最後の言葉に特に心を込めて、父の心に話しかけるように私は言った。父は小さく頷きながら、私の瞳を見つめて柔らかく目を細めた。
「ありがとう」
 父はそう言って、私の手を取ると優しく握り締めてくれた。

 

 

 やっとのことですべての荷物が部屋へ納められ、確認も済んで、準備は終了した。既に日は傾いて、明るさと暗さが程良く混じり合った夕暮れが訪れていた。
 父と私はこっそりと抜け出して台所へ向かって大勢の人々の分のおむすびを作り、手伝ってくれた人々にそれを振る舞った。みんな身体を動かした後だからか、美味しそうにそれを頬張ってくれて、数分後には山程あったはずのおむすびはすべてなくなった。おむすびを食べ終えると、四神と両家の臣下三大を残して、他の人々は撤収して行った。
「疲れた……。けど、姫さまとご当主のお手製おむすびが食べられたから、十分働いた甲斐がありました」
 輝石君はふうっと息を吐いて足をぐっと伸ばすと、疲れた顔をしながらも笑顔を輝かせた。
「そう言ってもらえると嬉しいな」
 父がその様子に目を細めて笑いながら言った。
「ほんと、疲れたよ……」
 輝石君とは対照的に、雪留君は辛そうに顔を歪めて腕を揉みしだいていた。
「まあ、ごめんなさいね。私ったら気づかずに……」
 母が申し訳なさそうに雪留君を見つめた。その時になって初めて、雪留君の決して逞しいとはいえない手足に気づいたようだった。
「いいえ、お気になさらないでください」
 雪留君は母に向かって無理やり笑顔を作って言った。疲れからか、少し引き攣ってはいたけれど、いつもの愛らしい笑顔だった。
「これで準備も整いましたね。後はご結婚の日を待つのみです」
 聖黒さんが静かにそう言った。それに反応してか、蒼士さんがぴくりと身体を動かした。蒼士さんは複雑そうな、物言いたげな表情を見せたけれど、結局何も言わずに畳に視線を落とした。
「そうだな……」
 父が聖黒さんの言葉を受けて、少し考えるようにそう言うと私をちらりと見た。
「会合まであと二週間だ。美月、心は決まったのか?」
 父の言葉を聞いて、母は素早く私を見つめた。四神の四人や両家の臣下三大は、遠慮しながらも私に視線を送ってくる。
 全員から注目されてしまった私は、言葉に詰まって父を見つめ返した。
「いや、ここで言わせるのは酷だな。悪かった」
 私の困った表情に気づいたらしい父は、申し訳なさそうに素早く言った。
「そうよ、令さんったら」
 母はどこかほっとした様子で小さく頷いていた。
「えっと……ところで今日は、泉水様はいらっしゃらないの?」
 ぎこちなくなった雰囲気を断ち切るように、朱兎さんが明るい調子で言葉を紡ぐ。その様子が優花ちゃんとよく似ていて「兄妹なんだな」と私はぼんやりと思った。
「今日はどうしても抜けられないお仕事がありますので、泉水様は……」
 譲さんが朱兎さんの言葉を受けてそう返した。
「泉水君も大変ね……」
 母が小さく呟くと、父もそれに頷きながら真咲さんの方を向いて、
「闇音君は?」
 と穏やかに訊ねた。
「闇音様もお仕事がお忙しいようです……」
 真咲さんが父の視線から逃れるように俯いて答えた。父は真咲さんの答えを聞くともう一度頷いた。
「そう言えば、彼は突然やってくる人だったな。まあ、仕事の手が空いたらやってくるだろう」
 父はこの間、闇音が突然屋敷にやってきた日のことを思い出している様子だった。
 そして少しの間、不意に訪れた沈黙がその場を支配した。その一瞬の間に、外の夕闇が一層暗さを増したように感じられた。
 こうしてここからゆっくりと景色を見ることができるのも、あと少ししか残されていない。二週間後には私は嫁ぎ先を決める。そうすれば、すぐにでも結婚式が執り行われて、私はこの家から出て行かなくてはならない。
 ふと、初めてこの世界にやってきた日のことを思い出した。あの時は、この世界が嫌で、たくさんの愛情を注いで育ててくれたお父さんとお母さんが恋しくて、目の前にいる蒼士さんが別人に見えて、何もかもが辛くなった。二ヶ月後に嫁ぐと、ほとんど他人と同じような父と母から言われて、受け入れることで精一杯だった。
 それが今は、この家を、両親を、ここで過ごした日々を、懐かしく愛しく感じる。外が闇に染まっていくこの景色さえも、かけがえのないことのように思える。
「もうこんな時刻に。私たちはそろそろお暇させていただかなくては」
 博永さんが沈黙を破って、そう告げた。その声に私は、漂っていた意識をこの場に戻した。
 ぼんやりとしていたらしい彰さんも、博永さんの声に促されて外を見つめると言った。
「本当に時間が過ぎるのは早いですね。私たちも下がらせていただきます」
「ああ、そうだな。六人には申し訳なかった。うちの準備の手伝いまでさせてしまって」
 父は六人の顔をゆっくり見つめて言う。
「いいえ、お気になさらないでください。私たちが勝手にさせていただいたことです」
 譲さんがすかさずそう言うと、父は柔らかく微笑んだ。
「ありがとう」
「お礼を言うのは私たちです。ご当主と姫様、おむすびをありがとうございました。とても美味しかったです」
 芳香さんがそう言うと、真咲さんも隣で笑顔を浮かべて頷いた。
 そして六人はそれぞれお礼と暇を告げて、それぞれの屋敷へと帰って行った。

 

 

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