十八

 

 真咲さんと芳香さんは仕事に戻るために黒月邸へ戻り、輝石君を除く三神も自分の屋敷へと帰って行った。
 私は、輝石君と彰さんと一緒に、輝石君のお姉さん――白亜さんのお見舞いへ行くため、西家へとお邪魔していた。
「二人ともここで待っててください。姉ちゃんの様子を見てきますから」
 輝石君は、彰さんと私を応接間へ通すと、襖の向こうへと姿を消した。
 西家のお屋敷は斎野宮邸よりは小さいと輝石君は言っていたけれど、それでもとんでもない広さだった。よく手入れが行き届いた庭には鹿威しの音が響き、落ち着いた雰囲気が漂っている。そして西家にはたくさんの女中さんがいて、彼女たちが輝石君と白亜さんのお世話をしているということだった。
 私が周りをくるくると見渡していると、彰さんが小さく笑った。
「珍しいですか?」
「珍しいというか、広いなって思って」
 私が彰さんに気の抜けた表情をしてみせると「確かに」と楽しそうに笑いながら彰さんも同意してくれた。
「彰さんのお家も、このくらい広いんですか?」
「そうですね。私の実家もこのくらいの広さです。もっとも私は、今は黒月邸で生活していますから、あまり実家には顔を出せていないのですけど」
 彰さんはそれから真面目な表情になると、じっと私を見据えた。
「姫様。不躾な質問なら、お答えくださらなくても構いません」
 彰さんは静かに告げる。その様子に緩んでいた気を引き締めて、彰さんを見つめ返した。
「ご結婚のことですが、どうお考えですか?」
 なんとなく質問を予測していた私は、やっぱりと思いながら頷いた。
「闇音を選ぶか、それとも泉水さんか、ということですか?」
 私の直球に彰さんは少し面食らったように視線を泳がせたけれど、すぐに気を取り直した様子で私を真っ直ぐ見つめた。
「そうです」
 私は再度頷いてから、考えながら口を開く。
「この三週間、泉水さんはほとんど毎日と言っていいぐらい私を訪ねてくれました。本当に他愛もない話題しかないときでもずっと気遣ってくれて……だから私は泉水さんに惹かれてると思います」
 真っ直ぐ見つめてくる彰さんに、嘘や誤魔化しをしてはいけないような気がした私は、今の自分の気持ちを言葉にする。彰さんは私の言葉に穏やかに頷いた。
「彰さんや真咲さん、芳香さんも毎日のように私を訪ねてきてくれて、三人と仲良くなることができて本当に嬉しいです。三人のことは大好きですけど、でも闇音のことを好きかどうかと言われたら、好きではないです」
 私は言ってから、少し考えて訂正を加えた。
「好きじゃないと言うよりは、よく分からないと言った方が正しいと思います。闇音とはゆっくり会話をしたこともないし、私は闇音ことがよく分からないんです。闇音は私に自分のことを分からせないようにしているような気もします。きっと闇音の方も私のことなんて知らないだろうし、興味もなさそうだし……」
 彰さんは黙って聞いた後、少し考える様子を見せてから「そうですね」と小さく言った。
「正直言って、今は闇音か泉水さんか、どちらを選ぶとかそういうことは考えてないんです。それに私は結婚するなら、お互いを望み合って結婚したいって思うんです。本当はそんなことを呑気に言っていられる時期は過ぎたってちゃんと分かっているんですけど」
 私が言い終えると、彰さんは優しい微笑みを浮かべて私を見つめてくれた。
 私のこの答えで彰さんは満足してくれたのだろうかと考えていると、ちょうど襖が開いて輝石君が顔を出した。それが合図となって、彰さんと私はそれまでの会話を止めて輝石君へ顔を向けた。
「今日は姉ちゃん、あんまり調子よくないみたいで……体調はいいんですけど、あんまり……。すみません、せっかく姫さまにも来てもらったのに。あの、それでも会ってもらえますか? 失礼はしないと思いますから」
 輝石君は言い難そうに告げて、小さく俯いた。私はその様子に慌てて言った。
「そんな、誰のせいでもないんだから気にしないで。私だって勝手に着いてきたくて来たんだし。私の方こそ迷惑じゃないならお会いしたいです」
「ありがとうございます。どうぞ、こっちです」
 輝石君は悲しそうに微笑んでから、彰さんと私に向かって促すように言った。

 

「姉ちゃん、入るよ」
 白虎が繊細に描かれた襖の前で、輝石君は部屋の中に向かって声を掛けて、すっと襖を開けた。
 部屋は美しく整えられていて、縁側越しには花が散って青葉を付けた桜の木が見えた。開け放たれた障子を通って柔らかい風が部屋を満たしている。とても開放的な部屋だった。
 そしてその部屋の中央に、きちんと敷かれた布団の上で浴衣を着た女の人が、しっかりと座って桜の木を見つめていた。
「彰が来てくれたよ。それに姫さまも。前に話しただろ? 斎野宮の姫さまが天界に戻られたって」
 輝石君のその言葉にまったく反応せず、彼女は桜の木を見つめたままだった。
「姉ちゃん?」
 輝石君が白亜さんに歩み寄って傍に座ると、白亜さんは訪問者に今気づいたとばかりに、輝石君に焦点を合わせて優しく微笑んだ。
「姫さまと彰が来てくれたんだ」
 輝石君がそう言いながら私たちを手で示すと、白亜さんはこちらへゆっくりと視線を移した。痩せている人特有のぎすぎすした感じが目に見えて分かる彼女は、少し窪んだ瞳で私を見つめている。
 白亜さんの頬は少しこけていて、眼の下には黒い隈がある。この隈はここ二、三日でついたような生易しいものではないとすぐに分かる。彼女の身体からは生気があまり感じられず、精神的に参っているという印象を受けた。
 けれど、彼女は美しさを失ってはいなかった。顔立ちが端正だということも手伝ってか、やせ細っている今でも十分に美しい。元気だった頃の彼女を知らない私でも、その姿がぼんやりと連想できるくらいだった。
 痩せていても、あまり生気が感じられなくても、精神の奥底から滲み出るような強い意志がどことなく見え隠れしている。今は精神的に参っていたとしても、それに負けない強さが彼女からは感じられた。
「こんにちは」
 その身体に見合った小さな、か細い声を絞り出すようにして白亜さんは言った。
「こんにちは」
 白亜さんを不躾にならないように丁寧に見つめながら、私もそう返した。
 白亜さんは私から彰さんへ視線を移すと、さっとその瞳に生気を宿して彰さんを見つめた。
「彰さん」
 彰さんは白亜さんの言葉に答えるように、私に小さく頷いてから白亜さんの傍へ寄る。私も彰さんの後ろについて、白亜さんの傍に腰を下ろした。
「白亜。前に来た時よりも顔色がよくなったみたいだね」
 彰さんは優しく、壊れ物を扱うように柔らかく、白亜さんの髪を撫でた。その行為ひとつだけで、どれほど彰さんが白亜さんを大切に想っているかが伝わってくる。
「彰さん」
 白亜さんはしっかりと彰さんを見つめて、再度呟いた。
「白亜。姫様だよ。斎野宮の姫様だ」
 彰さんは優しく白亜さんにそう言うと、私を手で示す。彰さんに促されて、白亜さんは私に焦点を合わせた。
「姫様。私がお仕えする方です」
 白亜さんはそう呟くと、私に優しく微笑んだ。その笑顔は、何の問題も抱えていないように見えた。
「こんにちは、白亜さん。斎野宮美月です。輝石君の自慢のお姉さんにお会いできて嬉しいです」
 私が優しく微笑み返すと、白亜さんは小さく頷いた。そしてまた彰さんへ視線を戻すと、縋るように言った。
「彰さん、きっとまた来てください。来てくださいね。必ず来てください」
「来るよ。暇を見つけて必ず来る。それに今日はもう少しいられそうだよ」
 彰さんは強く握りしめないように注意しているように、白亜さんの手をそっと握った。
「姉ちゃん。今日は体調もよさそうだし、みんなで食事にしたらどうかな。彰、今日はうちで食べてってよ」
 輝石君が二人を優しく見つめながら口を挟んだ。
「姫さまもどうですか? ……と言いたいところだけど、姫様を食事に誘ったって言ったら他の三人にどんな目に遭わされるか分かんないし、第一ご当主と奥方様に怒られそうだな。ご当主も奥方様も姫さまと一緒にご飯食べたいだろうしなぁ」
 輝石君が困った様子で、うーんと悩みながら腕組みをした。私はそれを見て少し笑ってから口を開く。
「食事に誘ってくれてありがとう。でも、私はお暇するよ。外で食べてきたらきっと、お父さんもお母さんも、すごく寂しそうな顔するだろうし」
 私は想像しながら笑って、嬉しい申し出を断った。きっと今日も、父が私の食事を用意してくれているだろう。そう思うと帰らなければという気持ちになる。
「ええ、そうした方が無難でしょう」
 彰さんも私と同じ想像をしてか、小さく微笑みながら言った。輝石君も笑いながら頷くと、立ち上がって白亜さんと彰さんに言った。
「じゃあ姉ちゃん、俺は姫さまを送ってくるから。彰、留守番頼める?」
「ああ、任せてくれ。でも私もそこまで姫様をお見送りするよ」
 彰さんはそう言うと、白亜さんに向き直った。
「白亜、姫様を見送りに行ってくるから。すぐ戻るよ」
 彰さんの言葉に、白亜さんは真っ直ぐ彰さんを見つめて頷いた。
「白亜さん、お会いできて嬉しかったです。また来てもいいですか?」
 私がそう声を掛けると、白亜さんはゆっくりと彰さんから私へ視線を移して、にっこりと微笑んだ。
「少しの間、待っててくれ」
 彰さんが白亜さんに声を掛けて、三人で部屋を後にした。輝石君が静かに後ろ手で襖を閉めると、ほっと息を吐いた。
「今日はちゃんと全員のこと分かってたみたいでよかった。姫さまのことも、ちゃんと分かったみたいだし」
 輝石君はそう呟くと、ゆっくりと廊下を歩きながらぼんやりと庭を見つめた。
「時々、誰のことも分かってない時があるんです。俺のことも、彰のことも……」
 輝石君がぎゅっと眉根を寄せてそう言うと、彰さんが俯いた。
「白亜さんって、とても優しい人なのね」
 私がそう言うと、輝石君は足を止めて不思議そうに私を見つめた。
「少ししかお会いできなかったけど、でも、それだけでもそう感じたから。きっと、輝石君や彰さんのこと、心から愛してる優しい人なんだろうなって。輝石君と彰さんを見る目が、すごく優しかったから」
 輝石君は私の言葉を聞くと、ぎゅっと顔を皺くちゃにして泣きそうな表情になった。
「はい。姉ちゃんは、ほんとに心が優しくて綺麗な人ですから」
 輝石君はそう言うと、ぐっと拳を作って目を拭った。私は輝石君に掛ける言葉が思いつかなくて、咄嗟に輝石君の手をぎゅっと握った。輝石君も熱い手で私の手を強く握り返した。
 彰さんへ視線を遣ると、彼は苦悩に満ちたような表情を浮かべていた。
「白亜はよくなるよ」
 彰さんははっきりとそう告げると、輝石君を優しく見下ろす。彰さんの言葉には、希望や夢ではなく、必ずそうなるという確信の響きがあった。
「必ずよくなるから。いつか白亜は前のように、優しく輝石の世話を焼く元気な白亜に戻るよ」
「――うん」
 輝石君は彰さんの言葉に、目を押さえながら何度も頷いた。

 

 

 輝石君は私を斎野宮まで送り届けてくれると、いつもどおりの元気な笑顔で「また明日」と言ってくれた。私はその様子にほっとして胸を撫で下ろしながら「また明日ね」と返した。
 輝石君が門から外へ出ていく様子を見送ってから、居間にいるはずの父と母のもとに顔を出しに行く。なぜか二人に会いたい気分だった。
 人気のない廊下を通って居間へひょこっと顔を出すと、そこには父と母ではなく、黒月闇音が座っていた。

 

 

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