十七

 

 私が天界にやってきてから三週間が経った。
 結婚相手を決める日も刻々と近づき、五週間後には会合が開かれるということを両親に聞かされた。その会合の席で、白月・黒月・斎野宮の三家が集まり、双方の合意によって嫁ぎ先が決められるそうだ。
 日が経つにつれて段々と、結婚という言葉が現実味を帯びて近づいてくるのがはっきりと感じられた。けれど、私はなるべく普段どおりに過ごそうと心がけて、四神家の四人と一緒に、やっと馴染んできた天界で緩やかに生活を続けていた。
 蒼士さんは私に対して少しずつ前のように接してくれるようになり、聖黒さんは時々輝く笑みを浮かべて毒舌を吐き、朱兎さんは優花ちゃん自慢を次々と繰り広げ、輝石君は小さな声で毒を吐くも、すべて聖黒さんに聞き拾われて慌てていた。
 あの日、雪留君の小さな告白を聞いた後も、輝石君は雪留君に対する態度を変えなかった。いつもどおり喧嘩して、周りに諭されてなんとなく仲直りをするという調子だったので、雪留君は輝石君が話を聞いていたことにもまったく気づいていないようだった。
 そして雪留君は私に対しても、少し態度を柔らかくして接してくれるようになっていた。雪留君は泉水さんの付き添いではなく一人で斎野宮に来ては私と少し話をして、輝石君と喧嘩して帰って行くようになった。
 泉水さんはというと、三大を連れて暇を見つけては毎日のように斎野宮や小野原に遊びに行っている私たちを訪ねてきてくれていた。いつも優しい笑顔と態度で接してくれる泉水さんに、私は自分でもはっきりと分かるほど惹かれていた。
 反対に闇音に対しては、小野原で思いがけず出合ったあの日以来、一度も顔を合わせておらず、黒月闇音という人物を掴みきれていない状態だった。闇音がまったく顔を出さないことを申し訳なく思ってか、闇音の臣下三大である真咲さん、彰さん、芳香さんはほとんど毎日、足を運んでくれていた。

 

「それで姫様、私はこう思ったわけです」
 初夏の香りを含んだ涼しい風が小野原に吹き渡る中、芳香さんがずいっと指を一本立てて、真剣な表情を浮かべた。
「これは絶対、真咲が食べたに違いないって!」
「な、なんで俺なの!?」
 芳香さんの咎めるような鋭い視線を受け止めきれずに、真咲さんは狼狽えながら声を裏返した。
「だって、絶対真咲でしょう? 私たち臣下三大の中で一番の甘党は真咲。しかも輝石君の作るお菓子には目がないときてる。絶対に真咲が犯人!」
 話をまとめると、輝石君にお土産として渡された芳香さんの分のお菓子を真咲さんがこっそり食べたらしい。大の大人がお菓子で、と少しだけ思うけれど、芳香さんが拘るのも分からなくはない。それくらい輝石君のお菓子は美味しいのだ。
 芳香さんはぎろりと真咲さんを睨む。蛇に見込まれた蛙状態となってしまった真咲さんは、おろおろと助け船を探して私の後ろに隠れた。
「あっ! すぐに姫様の後ろに隠れる! それで許されると思ってるの!?」
「ごめん! ほんとごめん! 闇音様の話が長くてお腹空いてたし、輝石君の作る菓子は美味しいから、つい。まさか芳香のだって知らなかったんだよ」
 私の後ろに隠れて、小さく顔を出しながら情けない声を出して真咲さんは弁解した。
「まあまあ、芳香さんも。真咲さんもこんなに反省してるんだし、許してくれませんか?」
 仕方なく私が真咲さんを庇ってそう言うと、鼻息荒く芳香さんはそっぽを向いた。
「真咲はいつもそう! いつも姫様に庇ってもらっちゃって、そうしたら私が許さないといけなくなるの分かってやってるんだから」
 芳香さんは真咲さんにしかめっ面を見せてそう言うと、すたすたと木の下まで歩いて行ってどっと座り込んだ。
「芳香。大人げないよ」
 彰さんが苦笑いを浮かべて、その後を追った。
「真咲もちょっと考えれば分かるだろうに」
 傍で二人のやり取りを無言で見守っていた蒼士さんが、呆れたように真咲さんを見遣る。それにしょんぼりした様子で真咲さんが俯いた。
「だって、お腹空いてたし……」
「これで臣下三大の筆頭だなんて、信じられないよね。ほんと……」
 朱兎さんが呆れながら真咲さんを見つめたけれど、その視線には優しさも含まれていた。
「……面目ないです……」
「まあ、真咲はまだ若いですし、これからでしょう」
 聖黒さんが優しくそう言った後、思い出したように小さく、
「――といっても、私とは三つしか変わりませんが」
 と付け加えた。
 その言葉に真咲さんはショックを受けたようにふらふらと歩きだしたので、急いで輝石君が後を追いかけた。
「おい、どこ行くんだよ? そんな落ち込まなくても……聖黒はちくちく嫌味言うのが趣味みたいなもんなんだから」
「輝石、聞こえていますよ?」
 ふふふ、と微笑みながら聖黒さんが言う。輝石君はびくりと身体を固くして、ぎこちなく振り向いた。
「う、嘘だよ。冗談だって。それより真咲! また菓子ぐらい作るから元気出せよ」
 ぽんっと肩を叩いて少し的外れに輝石君がそう言うと、真咲さんはきらきらと瞳を輝かせて輝石君の手を強く握りしめた。
「ありがとう!」
「なんだよ……結局菓子が目当てかよ……」
 輝石君が呆れながらも、嬉しそうに輝石君を見つめる真咲さんに向かって頷いて、またお菓子を作ると約束していた。
「芳香も、また作るからさ。機嫌直せよ」
 真咲さんの手をなんとか振り解いて、輝石君は芳香さんの方を向いて声を掛ける。すると、芳香さんもにっこりと女性のような柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「すまない、輝石。どうもうちの臣下三大は食い意地が張っている者が多いらしくて」
 彰さんが真咲さんと芳香さんには聞こえないように、輝石君の耳元まで屈んで小さく言った。
「いいよいいよ。どっちみち毎日姉ちゃんに菓子を作ってるから、ついでだよ」
 輝石君が笑顔でそう言うと、彰さんの顔が少し曇った。
「白亜、どうかな。ここ二、三日は足を運べてないけど、何か変わったことはないかな」
「うん……特にこれといっては」
 輝石君のその答えを聞いて、彰さんは少し考えるように頷いた。
「今日、この後だけど寄ってもいいかな?」
 その言葉に、輝石君は急いで彰さんの顔を見上げた。
「でも仕事は? 最近忙しいんだろ?」
「仕事は切りがついたし、闇音様は真咲が傍にいれば何も仰らないから、私が抜けても問題ないだろう」
 彰さんの申し出に輝石君は「そうか」と軽く頷いた後、私へ向き直った。
「姫さまもいらっしゃいますか?」
「え?」
 急に話を振られて驚いた私は、とても間抜けな表情で輝石君を見返してしまった。
「もちろん、無理にとは言いません。姉は前にも話したとおり、少し問題を抱えていますし。でも、姉は小さな頃から姫さまにお会いするのを楽しみにしていたので、できれば……」
 輝石君は少し俯きながら言う。私はその言葉にきゅっと胸が締め付けられた。
 会ったこともない私を白亜さんは心配してくれていたのだろう。その優しさに胸が詰まる。たとえ白亜さんが白虎の務め上仕方なく私を思ってくれていたのだとしても、それでも感謝の気持ちで一杯になる。
「そんな、私はもちろん白亜さんに会いたいよ。でも、私が行ってもいいの? 迷惑じゃない?」
 私は勢いよくそう言うと、ちらりと彰さんを見て、輝石君に「白亜さんは彰さんに会いたいはずじゃ?」と目で訴えた。そのサインに気づいたらしい輝石君は、小さく笑いを零すと首を振った。
「姉は、姫さまにもお会いしたいはずですから」

 

 

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