十二

 

「和やかな雰囲気の中、すみません」
 急に近くで声がして、聖黒さんと輝石君のやり取りに気を取られていた私は身体をびくりとさせて振り向いた。そこには見たことがない二人の男性と一人の女性が立っていて、その三人の姿はどことなく白月の臣下三大を思い起こさせる。目の前にいる三人は、天界の人特有の美しさを誇る人たちだ。
「どうかしたのか?」
 蒼士さんが三人に向かって声を掛けると、真ん中に立っていた男の人が少し情けない表情をして言った。
「斎野宮邸に行ったら、姫様はこちらだって聞いて」
 真ん中の男の人は私に視線を据えてから、深々とお辞儀をした。
「姫様、お初にお目にかかります。私は安部真咲(まさき)、黒龍――闇音様の臣下三大筆頭です。先日は闇音様がご無礼をいたしまして、申し訳ございませんでした」
「あ、あの人の……」
 合点がいった私が呟くと、真咲さんは軽く頷いた。
「闇音様は私たちには何も仰らずに姫様のところに突撃訪問したものですから、私たち三大はこうして改めて参らせていただきました」
「今日は、闇音様はいらっしゃらないのですね」
 聖黒さんが訊ねると、真咲さんは困った表情を浮かべた。
「いらっしゃらないと言いますか……実は私たち、勝手に抜け出してきまして。闇音様はお仕事でお忙しいようでしたから。ですから闇音様に見つかる前に帰らないといけないんです」
 困惑の表情ながら、あははと笑う真咲さんを見て、朱兎さんが呆れたように微笑みながら溜め息を零した。
「真咲を見ていると元気が出るよ、僕」
「お仕事なら仕方ないですよね? きっと昨日もお仕事の都合であんな時間になったんだと思いますし」
 私の隣でむっとした表情を輝石君が浮かべたのに気がついて、私は輝石君が口を開く前に言う。すると真咲さんがほっとした表情を浮かべた。
「ありがとうございます、姫様。あの、こちらの二人も紹介させていただきます」
 真咲さんはそう言うと、二人に目で合図を送った。すると後ろに立っていた女の人が、優雅に一歩前へ出てお辞儀をした。
「初めまして、姫様。黒龍臣下三大、禅等(ぜんとう)芳香(よしか)と申します」
 その人は女性特有の柔らかい表情を浮かべてそう言った――けれど、その声はとても低く、まるで男性のようで、姿と声にとてつもないギャップがある。
 私はありありとその疑問を表情に出してしまったらしく、芳香さんは頬を掻いて困ったように微笑んだ。
「どうやら姫君も勘違いなさったみたいですが、私これでも男です。外見も名前も女みたいですから、小さな頃から間違われてきたんですが……正真正銘の男なんですよ?」
「え!?」
 その言葉を聞いた私は思わず声を上げてしまって、けれどすぐに両手で口を覆ってから「すみません」と頭を下げた。
「いいえ。間違われるのは慣れていますし、それだけ私が美しいということだと捉えていますから」
 芳香さんは本当に気にした風もなく、艶やかに微笑んだ。
「じゃあ最後は彼ですね」
 芳香さんが最後の一人を示すと、その人は一歩前へ出て私に深く一礼した。
「お初にお目にかかります。黒龍臣下三大の悒名(ゆうな)(あきら)と申します。姫様とお会いできて光栄です」
 彰さんはそう言うと、優しく微笑んだ。すっと通った鼻筋、綺麗なアーモンド形の瞳、形のよい唇という飛び抜けて整った顔立ちの人だ。その上、柔らかい物腰で表情には優しさが滲み出ているようだった。美しさだけで言うなら、黒月家の当主や泉水さんにも劣らないように思える。
 私がそんなことを考えていると、隣で輝石君が遠慮がちに彰さんに声を掛けた。
「彰、今度時間が空いたときでいいんだ。また屋敷によってくれないか?」
 彰さんは少し目を見開いて、私から輝石君へ視線を移した。
「白亜、悪いのか?」
 彰さんは顔をひそめて輝石君を見つめる。その声から、心配で堪らないという思いが伝わってきた。
「最近、調子悪くて……姉ちゃんが彰の名前をずっと呼んでるんだ。彰は仕事で忙しいって言っても聞いてくれなくて、悪いけど……」
「輝石が謝ることじゃないよ。私も白亜のことは気に掛かっていたし、時間を作って会いに行くから。白亜には明日の夕刻頃に会いに行くと伝えてくれるかな」
 彰さんは柔らかい表情で、輝石君を見下ろす。それは聖黒さんと輝石君に初めて会った日、聖黒さんが輝石君に向けていた、労わるような優しい笑顔と同じだった。私はそれを見て、輝石君のお姉さん――白亜さんと、彰さんは親しいのかもしれないと感じた。
「あっ、そうだった! 闇音様は十九歳の181cmで、ちなみに私は二十四歳の178cmです!」
 輝石君と彰さんのやり取りを全員が黙って見ていたら、急に真咲さんが声を上げてその場の雰囲気を壊した。真咲さんの発言の意味が分からなくて、全員が一様に真咲さんをまじまじと見つめる。けれど真咲さんはそれを気にした風もなくはきはきと告げた。
「雪留君が教えてくれたんです。自己紹介のときに年齢と身長も言わないと、姫様の世界では失礼にあたる、と。闇音様のを伝えたのは、きっと闇音様はお伝えしていないのではないかと思いまして」
 全員が一瞬にして固まる。私はぼんやりと雪留君の意地悪さを秘めた愛らしい笑みを思い浮かべた。
「真咲……」
 蒼士さんが残念なものでも見るように呟くと、真咲さんは疑問符が頭の上に乗っているような表情をした。
「何?」
「それは嘘だ……」
 蒼士さんが今度は可哀想なものを見るようにそう言うと、真咲さんはショック! というような表情を浮かべた。
「輝石が雪留の身長の調査がしたくて、白龍臣下三大に身長を聞いたんだよ。年齢は単なる目眩ましだよ」
 朱兎さんが真咲さんに続けて教えると、なおも真咲さんはショッキングな表情を浮かべた。
「騙された……」
 真咲さんはそう言うと頭を抱え込んだ。
「普通は気づくよなぁ」
「ええ、普通は気づきますよね」
 輝石君と芳香さんが追い打ちをかけるように言うと、真咲さんはさらに落ち込んだ様子で小さくなった。そんな真咲さんの様子を見ていると、可哀想だけど笑ってしまった。
「姫様、笑わないでください……」
「ご、ごめんなさい」
 がっくりと肩を落とす真咲さんに、私は笑いを噛み殺した。
「いいえ、真咲。あなたは役に立ったよ。おかげで姫様の笑顔が見れたのだしね?」
 芳香さんがそう言うと、彰さんも深く頷いた。なんと答えていいのか迷ったらしい真咲さんは、笑顔のような怒ったような微妙な表情を浮かべた。
 私はそんな三人を見て違和感を覚えた。この明るく優しい三人と、あの冷たく重い印象の黒月闇音とがまったく結びつかなかったのだ。
 私が押し黙って、三人を見つめて彼のことを考えていると、それを察したらしい真咲さんが、じっと私を見つめて言った。
「姫様。闇音様のことを悪く思わないでくださいね」
 真咲さんはそう言うと、闇音を思い浮かべたのか、労わるような表情を浮かべた。
「闇音様はああ見えて、とても優しい方なんです。それを表に出す方法を忘れてしまわれただけで――」
 真咲さんは悲しそうに俯くと、続けた。
「昔はとても優しく明るい方でした。ですが慕っておいでだった龍雲(りゅううん)様を亡くされてから――」
「そこで何をしている?」
 真咲さんの言葉を、低い声が遮る。
 反射的に三大の後ろへ目を遣ると、こちらに向かって人が歩いてくるのが見えた。黒い着物にすらりとしたシルエットのその人は、私たちを見渡している。彼が発したのは特別大きな声というわけではなかったのに、はっきりと頭の中に響くような不思議な重々しい声だった。
「闇音様!」
 はっとした様子で真咲さんが振り向いた。
「俺に黙ってその娘に会いに行くとは、いい度胸を持った臣下三大だな」
 その声に冷たさを含んで、彼は臣下三大に一瞥をくれた。
 昨夜、夜の闇の中で凛と立っていた彼は、昼の明るい光の中にいるとより一層その冷たさが引き立つ。光と闇のコントラストにぞっとするほど彼の冷淡な美しさが際立っていた。
「申し訳ありません。ですが私たちも姫様にお会いする必要があります。いずれあなたの元に嫁がれるかもしれないお方です」
 芳香さんが彼に深く一礼してそう言った。けれどその態度とは裏腹に、芳香さんの声には彼への反発と軽蔑の色がうかがえた。
「芳香、お前の役目は何だ。その娘を守ることか?」
 彼は私を顎でしゃくると、冷たく目を細めて芳香さんを見据えた。
「私の役目は闇音様を守ることです。ひいてはその奥方となられる方をも守る役目を遣わされていると存じております」
 芳香さんは彼の冷たい視線に怯むことなく言い切った。そんな芳香さんを彼は何の感情も伴わない視線で見つめてから、真咲さんに向き直った。
「真咲。俺のいない場で、勝手に俺のことを話すな。気分が悪い」
「申し訳ありません、闇音様」
 真咲さんがしゅんとして肩を落とす。彼はそんな真咲さんを無表情に見遣ると、私に視線を移した。
「最初に言っておく。俺はお前を知りたくもないし、お前に俺を知って欲しいわけでもない。だからお前に詮索されるのはごめんだ。勝手に人の個人的領域に立ち入らないでもらおう」
 彼の冷たい言葉を聞いた四神の面々は、かっと顔を赤くした。蒼士さんが反論しようと口を開くと、彰さんがやんわりと手で止めた。
「闇音様、言い過ぎです。第一、姫様が闇音様のことをお聞きになったのではありません。私たちが勝手に話し始めたのです。お叱りになるなら私たちを。姫様に八つ当たりなさるのは筋違いです」
 彰さんが冷静にそう言うと、彼は彰さんを見つめてから、もうどうでもいいという風に手を振った。
「美月」
 彼は私の名前を初めて呼んだけれど、その声には私を突き放す冷酷な響きが伴っていた。
「今言ったことを忘れるな」
 彼――闇音はそう言うと、三大を促してから去っていった。
「姫様、申し訳ありません」
 彰さんが申し訳なさそうに眉をひそめる。私は笑顔を取り繕って「大丈夫です」と手を振ったけれど、その手は震えていた。
「姫君、あんなの気にしないでくださいね」
 芳香さんは私の震える手を取ると、優しく包んでくれた。
「すみません、姫様。私たちはこれで――またお会いしましょう」
 真咲さんが深く一礼してそう言うと、三人は闇音の後を追いかけた。
 四人が去った後を見つめながら、全員が無言だった。それを破って私が呟く。
「仲が悪いの?」
 依然として私は、闇音が立ち去った後を見つめていた。
「闇音様と臣下三大のことですか?」
 聖黒さんがそっと訊ねる。私はそれに頷いた。
「真咲は闇音様が幼い頃から侍従として傍に仕えておりました。ですから、あのように今でも闇音様を慕っています」
 ですが、と聖黒さんはそこで言葉を切って、少し言いにくそうに話を続けた。
「芳香は反発を感じているでしょう。芳香はあの冷酷な態度の闇音様しか知りません。闇音様は臣下三大に選んでも、三大に対して取り立てて何かをするということは今までありませんでしたし、むしろ冷たくあしらっておいででしたので、芳香からすれば不当だと感じるでしょう。自分の主人からそのような態度を受ければ、反発を感じてもおかしくありません」
「彰は冷静に中立の立場を取っているみたいです。彼は公平に意見を言いますし、あの柔らかい雰囲気ですから、どちらの不況も買わないんです。だからと言って、闇音様が彰を信頼しているのかというと、それは分かりませんが――」
 朱兎さんの言葉に、私は頷いた。思い返してみれば、彰さんの発言の後、闇音は何も言わなかった。
「闇音様も、昔は本当にお優しい方でした」
 蒼士さんが、昔を思い出すように零した。その瞳が切ない痛みに耐えているように見えた。
「輝石からお聞きになったでしょう。我ら四神家の当主となるべき者――つまり第一子には、その家を表す漢字が一字当てられる、と」
 聖黒さんがそう話し始めると、輝石君と私は同時に驚いた。輝石君が説明してくれたとき、聖黒さんは私たちの会話なんて届かないような遥か前を歩いていたのだ。輝石君が小さく「さすが地獄耳」と感心しながら呟いた。
「白月家と黒月家も例外ではありません。彼らも第一子には家を表す漢字が当てられるのです。白月家は水の文字――泉水様にも入っていらっしゃいます。そして黒月家は龍の文字です」
「え? でも、彼には……」
 私がそう呟くと、聖黒さんは少し躊躇する素振りを見せた後、意を決した様子で話し始めた。
「はい。闇音様には兄上様がいらっしゃいました。龍雲様と仰って、彼が黒月を継ぐはずだったのです。ですが龍雲様は、闇音様が五歳の時にお亡くなりになられました。それ以来、闇音様は心を閉ざすようになれてしまったのです」
「お兄さんを……」
 兄を失う悲しみ。それが私にはどれほど辛いことか、想像しようと思ってもまったくできない。
 真咲さんの口から龍雲と言う人の名前が出た時、真咲さんは闇音が彼を慕っていたと言っていた。慕っていた兄を失う辛さは、闇音という人物の人格をも変えてしまったのだろうか。
 私はもう一度、闇音が去って行った方向を振り返って、じっと見つめた。

 

 

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