◆四◆

 

「それで先輩? 僕らは今、こうして桐生千影のストーカーに成下がったわけですけど」
「ストーカーって嫌な言い方だな……」
「でも間違ってないですよね? 僕たちストーカーしてますし」
 柊は小さく見える桐生の背中を指差してから、俺と彼自身を順番に指差した。
 学校の授業をすべて終えた柊と俺は今、同じく学校を終えた桐生の後姿を追っている。ストーカーと言うととても変質的に聞こえるけれど、実際はそういうものではない――と俺は思っている。というか、そう信じたい。
「確かに跡をつけてるけど、ストーカーじゃない」
 俺は自分の願いを口に出してから、桐生が角を右に曲がったことを確認して歩き出す。
 彼女との距離は十分開いている。だから足音が聞こえるはずもないけれど、自然と忍び足になっていた。
 ゆっくりと慎重に歩いていると、隣で盛大な溜め息が漏れた。それにつられて見下ろすと、悲しげな表情の柊がいた。
「何でこんなことしてるんだろ、僕……」
 哀切たっぷりに呟かれた台詞に苦笑いが零れる。
「柊は帰ってもいいから」
 隣で揺れる茶色の頭に軽く手を置いてから再び前を向く。そして少し歩調を早めて柊を通り越した。
 そのまま柊は帰るだろうと考えて構わず歩く。けれどその予想に反して茶色の髪が俺の隣で再び揺れ始めたのが見えて、俺は驚いて足を止めた。
「帰らないのか?」
 少し首を傾げて柊を見下ろすと、柊はきゅっと唇を結んで頷いた。
「先輩を一人で行かせるわけにはいきません。だって先輩は桐生から物の怪の気配を感じたんですよね?」
 確かめるように訊ねてくる柊に迷いなく頷くと、柊は続けた。
「だったらそんな人間と先輩を二人きりにさせるわけにはいきません。神野も多分、そう言うと思うし」
 柊は最後の一言を、苦虫を噛み潰したような表情で付け足す。それを見て苦笑を浮かべてから、俺は軽く頭を下げた。
「ありがとう」
「そんな、頭を上げてください」
 柊は少し狼狽えたような声を出した。それに俺が顔を上げると、柊はおろおろとした表情で俺を見上げてから、すぐに頼もしい顔つきに変わった。
「先輩の納得がいくまで付き合います」
「ありがとう。柊は優しいな」
 微笑んでそう告げてから、また前を向く。桐生を見失うわけにはいかないのだ。
 柊は桐生千影を人間≠セと言った。そして神野もあっさりと、それが妥当だろうと言っていた。
 けれど俺は納得がいかない。
 あの日、桐生から感じた気配は間違いなく物の怪のものだった。それはあの場に物の怪がいたとか、そういう類のものではない。確かに、桐生千影から気配が発せられていたのだ。
 柊や神野の言っていることが間違っているとは思わない。彼らの読みは俺のそれよりもずっと当てになるだろう。
「でも先輩。桐生の何が――いえ、違いますね。僕と神野が人間≠セって言い切ったことが、気になるんですか?」
 少し小さめの声で柊が訊ねてくる。俺は真っ直ぐ前を向いたまま、曖昧に頷いた。
「そうだな」
 そう言ってから、改めて考えながら言葉を紡ぐ。
「俺も桐生が物の怪だって思ってるわけじゃない。桐生は人間≠ネんだろう、柊や神野が言うように」
「それなら何が気になるんですか? 感じたっていう、例の気配ですか?」
「それが一番だな」
「じゃあ二番目は?」
 柊の鋭い指摘に、俺は思わず隣を振り向いて目を見開いた。柊はにこっと微笑んで小首を傾げる。その表情の可愛らしさと、彼の心に巣食っているであろう意地の悪さのギャップに苦笑が浮かんだ。
「誘導尋問か」
 口元にだけ笑みを浮かべると、柊が隣で肩を竦めた。
「恨むなら神野にしてくださいね。僕は先輩が無茶しないように、神野が傍にいれないときは傍にいろって言われただけですから。まあ、そんなことは神野から言われなくてもそうするんですけど」
 柊は左耳に二つ開けているピアスをいじりながら、少々不満そうに告げる。
「それでこうも言われたわけです。『響が必要以上に桐生千影に入れ込むことがないように、あいつが気になっているらしいことを探り出せ』って」
 柊は事もなげに続ける。けれど俺は柊が言った神野の言葉に不審を感じて、眉根を寄せた。
「神野がそんなこと言ったのか?」
「はい」
 こくんと頷く柊を眇め見て、俺は小さく息を吐いた。
 神野が俺にそんな忠告をするのは二度目だ。もっとも、今回の件に関しては柊を通して知ったわけだから直接言われたわけではないけれど。
 一度目は忘れるはずもない、桜井に対してだった。桜井が物の怪に憑依されていると踏んでいた神野は、彼女と俺を近づけさせないようにしていた。
 そして、今回は柊を監視――そう言うと聞こえは悪いけれど――につけるという念の入れようだ。
 やはり、桐生千影には何かあるらしい。
「それで二番目は何ですか、先輩?」
 無邪気に――いや、無邪気を装って訊ねてくる柊を見下ろして、今度は俺が肩を竦めた。
間諜(スパイ)には黙秘で通す」
「そんな! あっ。誤解しないでくださいね? 先輩の納得がいくまで付き合うっていうのは僕の本心の言葉で――」
「そうか、ありがとう」
「心が籠ってないー!」
 柊はこの世の終わりのような表情を浮かべてそう言った。
 その声の高さに慌てて柊を制しながら、曲がり角を右に折れたところだった。
「尾行には向いていないんじゃないかしら」
 感情が消え失せてしまったかのような色のない美しい声が、突然浴びせられた。
 驚いて前を向くと、無表情の桐生が細く長い腕を威圧的に組んで俺を真っ直ぐ見据えていた。

 

 

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