◆三◆

 

「桐生さん、ですか?」
 桜井は湯呑みを持って、きょとんとした様子で神野を見つめる。神野は真っ直ぐ桜井を見つめて無言で頷いた。俺はそんな神野の代わりに口を開く。
「桐生について感じたこととかない?」
「感じたことって言われてもなぁ……特に何もないけど……」
 困った様子で首を傾げる桜井に、神野が口を開いた。
「澄花。桐生千影と同じ空間にいる人間の反応はどんな風だ」
「反応、ですか?」
 桜井は神野の言葉を噛み締めるようにゆっくりと呟いてから、首を捻る。そんな桜井を見つめていた柊が、そっと目を閉じて息を吐き出した。
「あっ、そういえば感じたことがあったんですけど。桐生さんって他人を寄せ付けない感じがします。だからみんなちょっと遠慮してしまうところがあるっていうか――ちょっと前の波多野君とか湖塚君みたいな感じです」
「そこで俺の名前が出てくるのか……」
「あっ。でも波多野君の場合はただ寄せ付けないっていうところだけが似てるの。何て言うか、桐生さんの場合は湖塚君の方に近いかな? 湖塚君ともちょっと違う気はするんだけど……」
 再び唸りだした桜井を見て、神野が小さく息を吐いてからまとめるように切り出した。
「澄花。お前は桐生千影と一緒にいても何も感じないんだな」
「何も感じませんけど」
「お前の周りの人間はどうだ? 何か感じている様子はないか? たとえば――落ち着かない、傍に寄りたくないといったことだが」
「そう、ですね……。最近の桐生さんはそんな感じがします。私は高校に入ってから桐生さんを知ったんですけど、一年生の頃は今みたいな感じではなかったかな。確かに近寄りがたい雰囲気はあったけど」
 ゆっくりと言葉を紡いでいく桜井を見て、神野は更に口を開いた。
「つまり、お前の周りにいる人間は桐生千影と一緒にいると辛いと感じているのか」
「多分、そうだと思います」
 神野は桜井の答えを聞いて、一言「そうか」と呟く。それから神野は俺へ視線を走らせた。
「響。お前は桐生千影と一緒にいても辛くはないのだろう?」
「別に辛いとか思ったことはないな。ただ、あんまり居心地はよくない」
「そうか」
 神野は再びそう言うと、軽く髪を掻き上げて小さく首を傾げた。
 桐生と一緒にいて、辛いと思ったことはない。ただ居心地は悪い。彼女と同じ空間にいると、ときどき感じられるのだ――物の怪の気配を。
 桐生千影はクラスから孤立している。それは少し前の自分の姿と重なった。けれど桐生の場合は俺とも、そして柊とも違う異質なものを感じる。
 柊の場合は、彼の身体に潜む野狐の血のせいで周りから浮いていた。俺の場合は、物の怪を惹き寄せる血のために他人を巻き込みたくない一心で、あえて周りと距離を取っていた。
 桐生の場合も俺と似たことは言えるのだろう。何が原因かは知らないが、彼女があえて他人と距離を取ろうとしているのは明らかだ。だが、それ以上に何かがある――周りの人間の方が、彼女に近づきたくないと思う何かが。それは柊のように血の問題とは思えなかった。
「……あれ?」
 思考に耽っていると、不意に桜井の少し抜けた声が聞こえてきた。その声に誘われるように桜井へ視線を走らせると、桜井は難しそうな顔をして腕組みしていた。
「どうした」
 静かな声で神野が促すと、桜井は躊躇いがちに口を開いた。
「あの、みんなが桐生さんと距離を取ろうとしてるのはそうなんですけど、一人だけそうじゃない人がいるんです」
「それは響のことか?」
「あっ。波多野君は別です。波多野君とか湖塚君とかじゃなくて、別の人間で」
 桜井は軽く手を振って否定を示してから、柊と俺を交互に見つめた。
「ほら、高坂」
 桜井は慎重にそう言うと、柊と俺の反応を見るように不安げな表情を見せた。
 高坂大輔。
 その名前を聞いた瞬間、俺の隣で柊が一瞬だけ息を呑んだのが分かった。
 確かに高坂は桐生にもまったく臆していない。ごく普通に接しているし、それは無理をしているようには見えない。
「高坂ってあいつですよね? 先輩の友達の」
「高坂?」
 柊の言葉に神野がすかさず反応して、すっと柳眉を寄せる。それに促されたのか、柊が続けて言った。
「高坂大輔――三年一組、サッカー部のエース。桜井と一緒に学級委員をしてる人間だよ」
「確かに人間≠ゥ?」
 確かめるように神野が言うと、柊は迷うことなく頷いた。
「高坂は人間=Bだって物の怪とか妖怪とかそういう気配しないし、隠し持ってる感じもないし。それに僕が野狐になりかけたとき、高坂は僕の目の前にいたけどその他大勢の生徒と一緒に僕を見て青ざめてたもん」
 興味ない、とでも言いたげに柊はそう言い切る。
 そう言われて俺も思い出す。確かにあのとき、高坂は柊を見て周りのクラスメイトと同じように震えていた。あの場で普通にしていたのは桜井と俺だけだった――そういえばあのとき、桐生はどうしていたのだろう。
「でもあいつ、サッカー部のエースなのに何で普通科なんだろ? うちの高校は体育科だってあるのに。エースになれるくらいなら、普通に体育科で奨学金もらえたんじゃないの? うちの高校のサッカー部って強いのに」
 柊はぶつぶつと納得がいかない様子でそう呟いて、けれどすぐにどうでもよくなったのか肩を竦めて神野を見つめた。
 柊が疑問を抱いたその内容に俺も興味を持ったけれど、今はその話を掘り下げるときではない。そしてそう思っているのは桜井も同じようで「野狐」という単語に反応して柊を驚いたように見つめていたけれど、ぎゅっと唇を結んでいた。
「柊。お前はどう思った? 桐生千影について」
「何? 僕が偵察しに行ったって思うわけ?」
 当然のように訊かれた柊は、なぜか不服そうに顔をしかめる。それを見た神野は、軽く口元を弛めてから尊大に顎を上げて柊を見下ろした。
「見に行ったのだろう? 私に昨日、あそこまで言われてお前が悔しく思わないはずがない」
 再び、当然のように告げられた内容に、柊は顔を引き攣らせた。
「それものすっごくむかつくって自覚してんのあんたほんと腹立つよね」
 柊は切れ目なくそう言ってから、口を開きたくない様子で、けれど渋々口を開いた。
「人間≠セよ、桐生千影は」

 

 

back  怪奇事件簿トップへ  next

 

小説置場へ戻る  トップページへ戻る

 

Copyright © TugumiYUI All Rights Reserved.

inserted by FC2 system