◆二十一◆

 

 座敷童子は、神野によって無事に分家筋の家へ送られたらしい。俺は突然の別れに、少し気分が落ち込んだ。少しの間とはいえ人懐っこい笑顔を向けられていたのだ。
「それにしても、話が通じない子を相手にするのは結構大変だな」
 暗い夜道を家へ向かって歩きながらふっと呟く。隣で神野が頷いた。
「そうだな。話が通じない相手、自分が言っていることが分かってもらえない相手。どれも面倒だ」
「面倒って言い方は、どうかと思うけど」
 微かに棘が感じられる言い方に静かに訂正を入れる。神野は軽く肩を竦めると、歩き続けながら口を開いた。
「お前も面倒に思われているだろう。桐生千影から」
 突然神野の唇から零れたその名前に、俺の心臓は跳ね上がった。
 面倒に思われている。
 それを自分で確かめるだけなら、心は痛まない。けれど改めて他人からそれを指摘されると、胸に鈍い痛みのような違和感が広がった。
「私はお前が分からない」
 続けて呟いた神野に、俺は顔を上げて眉を寄せる。神野の横顔は、どこまでも平静だった。
「なぜ桐生千影にこだわるのか。なぜ彼女を救いたいと思うのか」
 神野はそう言ったと同時に、表情を険しくした――いや。難しくした、という方が的確だろう。神野の横顔は先程とは打って変わって理解し難いという、そんな感情が露わになっていた。
「澄花のときは理解できた。柊のときも理解できた。お前は二人に自分自身を投影したのだと分かったからだ」
 投影≠ニいう言葉を紡いだ神野は、酷く痛々しそうに見えた。まるで自分自身への戒めの言葉のように、まるでその気持ちがよく分かるというように。
 神野と出会って、そろそろ一年が経とうとしている。けれどこんな神野の表情を見たのは初めてだった。
「では桐生千影にもお前は自分自身を映したのか? ――違う。お前と桐生千影の間に共通点はない。ではなぜ、お前は桐生千影にそれほどまでに執着するんだ?」
 神野は一人、言い切ると歩を止めて俺を振り返った。その瞳が求めているのは、偽りのない答えだけだった。神野から威圧感は感じられない。けれど、原因不明の胸の苦しみを起こさせるような、そんな空気が漂っている。
「なぜ、桐生千影に執着するのか――?」
 無意識に目を伏せて、神野の言葉を繰り返す。
 なぜ? ――分からない。
 俺は桐生に固執しているのか? ――きっと、している。
 その理由は、何だ?
「桐生に自分自身を投影したことは、今まで一度だってない。桐生と俺は生き方も感じ方も違うから」
 そう呟いてから目を上げると、闇に溶け込むことなくしっかりと俺を見下ろす神野と目が合った。
「桐生のこと、どうしてそっとしておいてやれないんだろうって、自分でも分からないんだ。思ったよ。今日、桐生と一緒に帰ったとき。神野と会うその瞬間まで、思ってた。『桐生の望みを果たさせて、死なせてやることが一番なのかもしれない』って」
 生々しく甦る感情に、自分の情けなさを再び思い知る。
 この世にはどうしようもないことがあると思う。それはどんな形であれ、一度は降りかかりぶち当たる問題として、人生に浮上する。能力の限界、思考の限界。そして、生まれ持った災厄。
 自分の力だけではどうしようもないことがあるのだと、嫌というほどに知りながら生きてきた。それでも足掻かずにはいられない。そして今がそのときだった。
「桐生に望まれてないことは分かってる。桐生はただ――」
 両親を殺して欲しいと願っている――。
 そう言葉を続けようとして、俺は違和感を覚えた。なぜだかは分からない。けれど、微かな違和感が――それこそ、シャツのボタンを最後の一つだけ掛違えてしまったような、起こるはずのないそんな違和感が。
 桐生は本当に、両親を殺して欲しいと願っているのか? 本当に間違いないのか?
 今日、桐生から垣間見えたのは純粋な悲しみだった。「一人じゃない」と俺が言ったとき、浮かんでいたのは悲嘆だった。どうしてその言葉に悲しむ必要があるのだろう?
 もし、彼女が殺したいのが両親ではないとしたら?
『あなたはそれでも生きているじゃない』
 もし、彼女が殺したいのが、彼女自身だったとしたら?
 だからあんなにも悲しそうな目で、一人じゃないと無神経にも言われて傷ついたのか。
 いつの間にか、神野から外れて宙を漂っていた視線は、暗闇に定まった。
「これまでの俺がどうして桐生を諦められなかったのか、その理由を今ではもう分からない。もしかしたら、ただ首を突っ込んでいただけなのかもしれない。見境もなく、物の怪が許せないという理由だけで」
 隣にあった気配が、ゆっくりと移動して俺の前に留まった。暗闇を遮った淡い灰色の単衣に目を上げていくと、神野の真剣な顔があった。
「俺は桐生を死なせたくないんだ。桐生の抱える辛さが、どんなものなのかは分からない。でもそれを理解したいと思う。どうしても、俺にはこのまま桐生を死なせることができない」
 たとえ桐生が俺に心を開いてくれなくても。
「桐生千影も、お前がそう考える理由を知りたいと思うだろう」
 神野は静かに告げると、踵を返して歩き出した。
 見捨てられないのだと、死なせたくないのだと、桐生に伝えて何かが変わるとは思えない。けれどきっと、何かが変わる可能性はゼロではない。

 

 

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