◆二十◆

 

 神野は小さな子どもを見下ろして、困ったように息を吐いた。俺はその隣で大きな丸い目をじっと俺に据えたその子に苦笑を洩らす。そしてその子には聞こえないように、神野に耳打ちした。
「どうするんだ? ものすごく純粋な目で見上げられてるけど」
「予想外だった」
 神野は一言零すと、こめかみに指を押し当てた。
「とにかく、悪戯は駄目なんだよ。解かる?」
 使い物になりそうにない神野を尻目に俺は膝に手を突いて屈みながら、性別があるとするなら女の子に見えるその子にゆっくりと言い聞かせる。その子はにっこりと笑って首を傾げた。
 まったく話が通じていないらしい。
「……神野、なんとかしろよ」
「私に振るな」
「神野の仕事だろ」
「範囲外だ。第一、座敷童子は物の怪ではない」
 神野は困惑した調子で言葉を紡ぐ。そうして目に見えて「厄介者に出遭った」という表情で顔を上げて踵を返そうとした。「そうはさせるか」と俺は逃げようとする単衣の袖を掴んで引き止める。
「だとしても、近隣住民が困ってるだろ。この道を歩いていた人の貴重品が知らない内になくなってるのと、いきなり躓いて転ぶのと、誰もいないのに子どもの笑い声が聞こえてくるのは――」
「その座敷童子のせいだ」
 神野は諦めたように立ち止まって振り向いた。
「お前がなんとかしろ」
「俺に丸投げ? ただの人間の俺に」
「こういうときだけただの人間≠通すつもりか。お前は私に守られているだろう。十分、お前には私の恩恵があるはずだ。座敷童子の一体程度ならなんとかできるだろう」
「なんとかって、どうやってだよ」
「知らない。お前が説得でも何でもして本来在るべき場所へ帰せ。私は――子どもは、苦手だ」
「苦手って」
「けんかはだめだよー?」
 眉を潜めて顔を背けた神野にさらに言い募ろうとした俺の言葉は、喉の奥に絡みついて消えた。
 そっと視線を下げると、俺にぎゅっと抱きついて笑う可愛い顔と目が合う。それを見たのか、神野は呟いた。
「お前に懐いているようだな」
「たまたまだろ」
「いや。その座敷童子は姿を見せたときからお前しか見ていなかった。私とは一度も目を合わせていない」
 神野の言葉を聞きながら視線を落とす。直向きに見上げられた瞳と目が合ってしまうと、拒絶の言葉は出てこない。
「その座敷童子もどこかの家に棲みついていたのだろうが、何か理由があってその家を抜け出してきたのだろう――いや。逃げ出してきたと言った方が的確かもしれないな」
 神野がふいにしゃがみ込んで、俺の腰に回されていた座敷童子の腕に触れる。数秒じっと腕を見つめていた神野は、険しく顔を歪めた。
「おそらく、座敷童子が逃げ出さないように念を送っていたのだろう。それもかなり強制的な、負の念を。それに耐えかねて逃げ出したということか」
 座敷童子が棲む家は栄えると言われている。だが逆に座敷童子が去った家は衰えるのだ。そのために躍起になって「逃げ出すな」と座敷童子に執念に似た思いを送り続けた結果、それが座敷童子の負担になったということだろうか。
 神野が座敷童子の腕の着物を持ち上げて捲ると、赤い鎖のような跡がついていた。
「この座敷童子がいた家には、この者の気配を感じることができた人間がいたのだろうな。だが視認することはできなかった。それがこの者にとっては幸運だったわけか」
「どういう意味?」
 何も分かっていないような純粋無垢な笑顔で俺を見上げて笑うその子に視線を合わせてしゃがみ込む。
「姿を見ることができる――それはつまり触れられるということだ。視認できる人間がいたならば、この座敷童子はそれこそ本物の鎖をつけられて、どこかに監禁されていたかもしれない。しかし、姿を見ることができる者がいなかった故に、この者は念を送られただけですんだということだ。閉じ込められれば、この子どもの身体と知能では抜け出すことは叶わなかっただろう」
 神野はそれだけを言うと、俺を真っ直ぐに見つめた。言外に訊ねているのだろう。この座敷童子をどうするのか、と。俺は神野から目を逸らして、座敷童子に目を向けた。
「君はこれから、どうしたい?」
 そっと座敷童子の両手を取って訊ねる。座敷童子は分かっているのか分かっていないのか、首を傾げて笑った。
「元いた家に戻すわけにはいかない。かと言ってここで放置するわけにもいかない。どこか棲家を見つけてやるのが一番だけど」
「……私がなんとかしよう」
 静かに呟いた神野に顔を向ける。すると、降参したというように息を吐き出した神野が続けた。
「私の家に置くことはできない。だが、引き取り手なら候補がある。座敷童子を縛り付けるつもりもなく、その必要も感じない家がな。そこならば何とかなるだろう」
「その家は無理にこの子を引き止めようとしないって絶対に言えるか?」
 ゆっくりと訊ねると、神野は信頼しろというように目を逸らさずに頷いた。
「神に懸けて」
 そう静かに告げた神野は、少し気が進まなさそうに付け足した。
「神野の分家筋の家だ。信頼のおける人間がいる。その者に任せれば、安心できるだろう。その者になら、この座敷童子も懐くだろう」
 慎重に告げた神野に、俺は虚を突かれて目を丸くした。神野の口から、家の話が出てくるのは珍しかった。
 神野は仕事をする顔に戻って、座敷童子の髪にそっと手を置く。そうして何事か呟いたと思った次の瞬間には、座敷童子は消えていた。余韻のような、輝かしい光の粒を俺の目の前に残して。

 

 

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