◆二◆

 

「桜井。ちょっといい?」
 帰り支度を始めた桜井の席の前でしゃがみ込んで訊ねると、桜井は不思議そうに俺を見下ろした。
「何? 波多野君から話しかけてくれるなんて珍しいなー」
「今日、これから空いてる? 神野が桜井に話を聞きたいことがあるらしいんだ」
 声を落として告げると桜井は驚いたように目を開いて、それから困ったように苦笑を浮かべた。
「どうしよう……ちょっと困ったな」
「なにか用事?」
「用事って程でもないんだけど。高坂と相談があって」
 高坂、と呟いて振り返ってみると、高坂はいつもどおり男子に囲まれて笑顔で談笑しているところだった。
「そっか。なら別の日にして貰うよ。神野には俺から言っておく」
「あ、うーん……でも大したことじゃないから高坂には別の日に変えてもらう」
「えっ。いや、悪いし。高坂も予定とかあるだろうし」
 俺は全力で手を振って、大丈夫だと全身で表現する。高坂から桜井を取り上げるなんてことはしたくない。けれど桜井はそんな俺の――そして高坂の――気持ちは露知らず、可笑しそうに笑った。
「別に大丈夫だよ。明日の休み時間とかでもできる話だし。高坂ー!」
 桜井は人の良い笑顔でそう言ってから高坂を呼ぶ。楽しそうに話をしていた高坂は桜井の声にすぐに振り向いて、桜井と俺を見つけるとにっこりと微笑んで頷く。それから周りの男子に一言告げてから、こちらに向かって歩いてきた。
「何? もう始めるの? それに波多野も手伝ってくれんの?」
 高坂は優しく瞳を細めて桜井と俺を交互に見つめる。その邪気のない笑顔に申し訳なくなって、俺はそっと目を逸らしながら頭を掻いた。
「そうじゃなくて。ちょっと私、用事できちゃったんだよね。だから話は明日でもいい?」
「そうなの?」
 高坂は心なしか沈んだ表情を浮かべて桜井を見下ろす。そんな高坂の明らかに残念そうな顔に、桜井は気づいていないのだろうか。
「うん、ごめんね。でも明日の休み時間とかでも大丈夫でしょ? 次のホームルームまでに二人で話まとめればいいんだし」
「うん……まあ、そうだけど」
 高坂は渋々といった様子で頷いて、それから俺に視線を向けた。
「波多野と用事?」
「え……っと、うん」
「そっか」
 高坂は優しい笑顔で微笑んで、頷く。それに罪悪感が込み上げてくる。高坂は初めてできた男の友達だ。その高坂の好きな人である桜井を、神野のために奪うなんて絶対にしたくない。
「でも高坂。高坂にも用事とかあるだろ? 俺の用事――っていうか、桜井に用事があるのは神野って人なんだけど、その人には俺から言っとくから。今日は二人の相談しろよ」
 俺が慌ててそう言うと、高坂はきょとんとした表情で俺を見つめた。暫くじっと高坂は俺を見つめて、それからいつだったかと同じように噴き出した。
 顔を俯けながら肩を震わせて笑う高坂に、俺の方が虚を衝かれてまじまじと見つめてしまう。俺の隣で桜井も同じように呆然とした様子で高坂を見上げていた。
「いや、ごめ――別に気にしてないから、俺。相談っていったって体育祭と文化祭の相談だし」
 高坂は笑いを抑えようとしている様子で、顔を上げて俺に向かって言った。
「ほら、二学期入ったら立て続けに体育祭と文化祭あるだろ? 文化祭で手間がかかるような出し物したいって言われたら、一学期の内から用意しとかなくちゃ間に合わなくなるじゃん。だからその相談」
 高坂はそう言って、俺の肩をぽんぽんと軽く叩いた。そして声を落として俺にだけ聞こえるように「ありがとう」と呟く。それから桜井に向かって手を振って男子の集団へ戻って行った。
「……何だったの、あれ?」
 桜井は不思議そうに俺を見上げながら、立ち上がって鞄を肩に掛けた。
「まあ、桜井は気にしなくていいから」
 俺はそう受け流してから、桜井を促して歩き出す。少しだけ高坂を振り返ってみると、高坂は俺に向かって軽く手を上げた。俺も高坂に向かって手を上げて挨拶を返してから前を向く。
「じゃあ行こっか」
 桜井は俺を振り向いて口元を弛める。俺は頷いてからもう一度、教室の中へ目を走らせた。
 同じ制服を着ている何人もの生徒に埋もれることなく、紛れることなく、彼女の姿があった。すぐに目がいく美しさを持つ桐生から、今は何の気配もしない。
 そっと眉をひそめてから前を向く。すると俺のすぐ前で厳しく目を細めている柊がいて、俺は思わず仰け反ってしまった。
「柊? どうしたんだ」
 柊の肩に手を置いて、彼との間に距離を取る。柊は俺を見上げて、どこか不服そうな顔つきになった。
「偵察です。あいつにあそこまで言われて『確かにそうでした。すみません』なんて言えないですから。私情を挟んだっていうのは反論できないし――だから平静な状態を心掛けて見に来ました」
 柊はそう言ってから、これまた不服そうに桜井を見遣る。
「あと、桜井が響先輩の役に立つっていうのなら、これまでみたいに嫌な態度取ったりしないから――まあ、極力だけど」
 桜井は早口で紡がれた柊の台詞に驚きを隠せない様子で、まじまじと柊を見つめる。けれど柊はそれが気に食わないのか、ふいと顔を背けてしまった。
 俺はそんな二人を嬉しく思いながら見下ろして、それから歩きだした。

 

 

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