◆十九◆

 

 ――だったら、分かるように説明してくれ。
 そう言う前に、桐生は前を向いて歩いて行った。その後ろ姿を見つめて俺は、肩を落とすことしかできなかった。
 ここで桐生の望みを果たさせて、桐生を死なせてやることが一番なのかもしれないと、心のどこかで思う自分がいた。
 桐生から目を離して踵を返す。自分が進むべき道が、がたがたと音を立てて崩れていくのが分かった。
 眉根を寄せて拳を握る。進むべき道は、桐生に歩ませてやるべき道は、一体どこにあるのだろう。
 このまま――。
「響」
 気がつかない内に息が上がっていた。不意に肩に置かれた手に驚いて顔を跳ね上げると、神野が怪訝そうに片眉を上げていた。
 自分でも意識していない内に早足で歩いていたらしい。一刻も早く桐生から離れて考えたいという思いが、勝手にそうさせていたのだろう。
「そんなに急いで何処へ行く? お前の家は、この方向ではないだろう」
「神野」
 神野の顔を見てほっとしたのか、大きく息を吐き出していた。それを見た神野が更に顔を潜めたのが分かったけれど、俺はあえてそこには触れずに首を傾げた。
「俺は桐生と一緒に帰ってて。神野こそどうしたんだ? こんなところで」
 短くここにいる理由を告げてから、すぐに神野に話を振る。神野のことだから深く追求したりはしないだろうけれど、今は何も聞かれたくなかった。
 神野は暫く俺をじっと見下ろしたかと思うと、小さく嘆息した。
「私は仕事があってな。この辺りに人を襲う物の怪がいるらしいから、その様子を見に」
「襲う?」
 自然と顔を厳しくさせると、神野は俺から目を逸らして辺りを見渡しながら淡々と頷いた。
「襲うといっても命を狙っているわけではない。悪戯程度だな。だが放っておくわけにもいかない」
「そっか――俺が手伝えることある?」
「……いいのか? お前は桐生千影で手一杯だと柊が言っていたが」
 神野はゆっくりと俺へ視線を戻すと、無表情で首を傾げた。神野の言葉に、柊と神野が俺の知らないところで会っているか、連絡を取り合っているらしいということに気がつく。神野と柊はかなり相性が悪そうなのに――というか柊が一方的に敵視しているのだけれど。
「確かに桐生のことはちょっときついけど。でも俺は神野の仕事の手伝いも疎かにはしたくないから。俺から神野に無理言って手伝わせてもらってるわけだし」
 苦笑を浮かべてから神野を見上げる。神野は単衣の袖についた皺を伸ばしながら、目を伏せた。
「そうだったな。では手伝ってもらおうか」
 神野は短くそれだけ告げると、歩き出した。俺がいることをすっかり失念しているかのようにすたすたと足早に歩を進める神野を慌てて追いかけて隣に並ぶ。神野の隣に追いつくと、神野はそれを待っていたかのように口を開いた。どうやら俺を忘れていたわけではないらしい。
「できるだけ早く片を付けたい。今夜、できそうか」
「俺はいつでも構わない」
「では午後九時に私のところに。三十分もあれば解決するだろう」
 少し顔を上げて神野を見る。相変わらず何を考えているのか露程も見せない無表情を纏った横顔だった。
 もう神野と俺の間での話題がすっかり尽きたようだった。神野は固く唇を閉ざしていて、ただ黙々と自分の屋敷に向かって歩き続けている。そんな神野の隣で俺も黙々とついて歩く。
 神野は何も聞かない。それは神野自身が関われない事柄だからだというのもあるだろう。けれどそれ以上に、俺が深く詮索されたくないと思っているその心を感じているからだと俺は思っている。
 神野は他人の心の機微に疎いようでいて、実は鋭い人間だ。
「神野って、難しいよな」
 ぽつりとそう呟いていた。地面に落としていた目を上げずに歩き続ける。隣で神野が俺を見下ろしたような気がした。
「でも神野って、分かりやすいよな」
「今の私にとっては、お前が何を言いたいのかまったく分からないが」
「だろうな」
 笑って顔を上げると、あからさまに不審そうな顔をした神野と目が合った。それに思わず噴き出すと、神野は不機嫌に顔を歪めた。
「人の顔を見て笑うとはよい度胸だ」
 本当に機嫌を損ねたらしい神野の、心臓に直接響くような重い声が耳を打つ。これ以上、気分を悪くさせてはいけないと直感で感じた俺は、急いで緩む唇を引き締めた。
「ごめん。悪気はなかった」
 神妙を装って俯きがちに少しゆっくりと歩く。隣では神野が歩調を緩めずに歩き続けている。どうやら心からの謝罪ではないことがバレているらしい。神野は大きく溜め息を吐くと、言った。
「演技はなかなか上手なようだ。文化祭では主役なのだろう?」
「どうしてそれを……」
「澄花にちょうど会ってな。お前の話によく出てくる、高坂という少年にも会ったが」
「俺はやりたくないんだけどな……桐生がジュリエットらしい。本人は演じる気はさらさらないみたいだけど」
 先程本人からはっきり言われたばかりだ。文化祭の頃には、自分はもうこの世にはいないと。
 神野は不意に足を止めると俺を振り返った。少しだけ顰められた眉は、微かな哀愁を帯びていた。
「つくづく思うが、お前は厄介を背負い込むのが上手いらしい――いや。厄介がお前に縋り寄ってくるのかもしれないが」
「ご忠告をどうも。俺もその点については重々自覚してる」
 しみじみと紡がれた言葉に少しだけ悔しくなって言い返す。けれど神野はただ俺を見下ろしただけで、再び歩き出した。
「私で助けになれることは助けになろう。厄介を背負ったお前を背負うのは、私の役目だ」

 

 

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