◆十二◆

 

「桐生。一緒に帰ろう」
 桐生の席まで行ってそう声を掛けると、桐生は鬱陶しそうに目を上げた。
「嫌よ」
「……随分はっきりと物を言うんだな」
「私、はっきりと物を言わない人間が嫌いなの」
 桐生は侮蔑しか籠っていない視線を俺へ向けると、つんと澄まして立ち上がる。さらりと俺の横をすり抜けていった栗色の髪を見つめてから、俺は溜め息を吐き出した。
 前途多難だ。
 いや、それも仕方ない。俺は今朝、刃物を突き付けた挙句に壁に桐生を押し付けて殴る真似までやってのけたのだ。その上、桐生が嫌がるだろう話をしようとしている。嫌われて当然だろう。というか、嫌われない方がおかしいとも言える。
 眉根を寄せて桐生が歩いていくのを見る。
 俺だってできることなら桐生とは関わり合いになりたくないのだ――ただでさえ苦手意識があるというのに。
 けれどそうも言っていられない。桐生が猫又と契約を結んでまで両親を殺したいと思う理由を、俺は知らなくてはならないと思う。たとえお門違いでも、おせっかいでも、だ。
 俺はもう一度、大きく溜め息を零してから桐生を追って振り返る。桐生は既にドアをくぐって廊下に出ていた。
 それを追おうと足を踏み出すと、不意に桜井が俺の目の前に現れた。驚いた俺は思わず上半身を仰け反らせて目を見張ってしまった。
「桜井、何?」
 なんとか平静に戻って表情を取り繕いながら桜井に告げる。桜井は片眉をぐいっと引き上げて不服そうな表情を作った。
「なあに? 私が話しかけるのはそんなに嫌?」
「そういうわけじゃないんだけど、俺急いでるんだ」
 ぽんと桜井の肩に手を置いて彼女を追い越す。そして桐生が消えた廊下へ視線を向けた。
「桐生さんに用事? ねえ……ねえ、波多野君って桐生さんとどういう関係なの?」
「どういうって、特別取り立てて話すこともない関係だけど。同じ図書委員で同じクラスってだけで」
「本当に?」
 唐突に声のトーンを落とした桜井に、自然と目を走らせる。真剣な表情をした桜井が、じっと俺を見上げていた。
「ついこの間、神野さんに聞かれたばっかりじゃない。桐生さんのこと。だから私、桐生さんに何かあるんじゃないかって……湖塚君のことも、私は何も知らなかったし」
 桜井は静かにそう言うと、目を伏せた。その口調は決して責めている風ではなかったけれど、どこか寂しさが感じられた。
「柊のこと、聞いたのか?」
 俺も静かに訊ねると、桜井は顔を上げないまま頷いた。
「昨日、美術科まで行って湖塚君に会ってきたの。そこで聞いた――色々と」
 桜井の「色々と」という言葉に、あのときの一連の出来事が鮮明に頭に甦ってくる。
 柊に手を振り払われて拒絶されたこと。真っ青な柊を抱えて走ったこと。神野に迷惑をたくさん掛けたこと。そして、あの輝く術の中で、柊に向かって刀を突き付けたこと――すべて上手く事が運んだからよかったようなものだ。もし、あの中の何か一つでも違っていれば柊も、そして俺も、ここにはいなかっただろう。
「だから私、心配なの。波多野君は一人で突っ走るところがあるし……ほら、私のときもそうだったでしょ? だから、桐生さんのことでも一人で抱え込んじゃうんじゃないかって、心配なのよ」
 桜井は遠慮しているのか、悲しげにゆっくりと呟く。そして顔を上げて、俺を真っ直ぐ見上げた。
「私は何の役にも立たないって分かってるよ。でも、何かあったら相談くらいには乗れると思う。湖塚君にもそう言ったの。だから波多野君も私に遠慮しないで頼ってよ。私たち、友達でしょ?」
 桜井は強い調子でそう言ってから、「じゃあね」と踵を返して歩いて行った。
 そんな桜井の後姿を見つめながら、そうだったのかと気づく。遠慮というのは相手を守る術にもなるけれど、時として相手を傷つけることにもなる。俺が神野に遠慮するのを神野が嫌うように、桜井もそれを悲しく思っていたのかもしれないと、今更ながらに気がついた。
 友達と、初めて呼べる存在だった。その桜井にこんな風な思いを抱かせるのは、俺としても嫌だ。
 俺はもう一度、廊下に目を遣ってから桜井の後を追う。そして鞄を肩に掛けた彼女に「ありがとう」とだけ告げて、今度は真っ直ぐ廊下へ足を向けた。
 神野はその家の名のために、桐生のことに手出しはできない。けれどその代わりに柊が付いてくれた。
 そしてそれでも俺の手に負えなくなったときには、桜井に相談しよう。彼女の力を借りるのではなく、彼女の言葉を力に変えればいい。
 巻き込みたくないと願う気持ちは今でもある。けれど俺がもし、桜井の立場なら今の桜井と同じことを願ったと思う。頼りにして欲しい、と。
 小走りで廊下を進んで、角を曲がって踊り場に出る。そして栗色の髪が揺れながら階段を下りているのを見つけた。その背中を一瞬だけ見下ろしてから、俺も同じように階段を下りた。
 もし、何か一つでも違っていたら、桐生は両親を殺して欲しいなんて、望まなかったのだろうか――と思いながら。

 

 

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