◆一◆

 

 長い髪が目の前で揺れる。栗色の美しいそれは風になびいて、真っ赤な日の光を浴びていた。
 俺の前に立っているその人は、淡々とした表情で俺に向かって告げた。
『お人好し――――実の祖父母から見捨てられ――――赤の他人――――馬鹿じゃないの――』
 俺はそれに向かって何かを言おうとして――そこで目が覚めた。
 ぼんやりと目に浮かぶシルエットと栗色の髪を、どこかで見たはずなのに思い出せない。記憶の中の何とも一致しない。
 上手く聞き取れなかった断片的な台詞と、何も言えなかった自分が酷く居心地が悪くて、俺は息を吐き出した。
 まだ、夜明けも迎えていない。けれど、何かの幕開けのような不吉な予感と、確かな気配がした。

 

 

 神野は考える様子で目を伏せて小さく息を吐いた。
「それで私にどうしろと?」
 億劫そうに言う神野に、俺の隣に座っていた柊がふわりと纏う空気を変えた。どうやら狐の姿になったらしい。
「あんたは嫌なわけ? せっかく響先輩が有用な情報を提供してくれたっていうのに」
「有用な情報かどうかはまだ分からない」
「有用でしょ。物の怪なら――」
「物の怪なら、な」
 むっとした様子の柊に、神野はあくまで淡々と返す。そして神野は目を上げると俺を見た。俺の意見を求めるように。
 それに応えるために俺はゆっくりと、考えながら話し始めた。
「何て言えば一番いいのか分からないんだけど……物の怪とは違う気がする」
 俺がそう言うと、柊は乗り出していた身を退けて、ちょこんと俺の後ろに隠れるようにした。
 神野はその様子にちらりと視線を走らせたけれど、何も言わなかった。
「でも物の怪の気配がしたのは確かなんだ」
 そう言ってから俺は唇を引き結ぶ。
 真っ赤な夕陽が差し込んだ図書室。カウンターに姿勢良く座る桐生の横顔に、物の怪の独特な色は見受けられなかった。ただ、彼女の周りには暗く重い気配があった。それは間違いなく物の怪の気配だった。
「だから神野に調べて欲しいと思って」
 俺がじっと神野を見つめて言うと、神野はあからさまに大きく嘆息した。それを見て俺は続ける。
「神野の力が必要なんだ」
 神野は俺の言葉を吟味するように暫く沈黙する。俺は真っ直ぐ神野を見つめたまま、神野の答えを待った。
 しんと静まった部屋の中、神野はおもむろに急須に手を伸ばした。そっと湯呑みに緑茶を注いだ神野はそれを一口、口に含んでから言った。
「桐生千影、と言ったか」
「ああ」
「いかにも曰くありげな名前」
 柊は俺の影から少しだけ顔を出して言う。その言葉に神野が顔をひそめた。
「何? 僕は思ったこと言っただけ」
 柊は悪気ない様子で肩を竦める。それからふわりと纏う空気を変えて、人の姿に変化した。
 神野はそんな柊に呆れた視線を投げてから、今度は真面目な顔つきに変わって彼を見据えた。
「お前も桐生千影を見掛けたことくらいはあるだろう。響を終始追い掛け回しているのだろうから」
「なんかその言葉に刺があるような気がするけど――それが何?」
 柊は眉間に皺を寄せながらも、先の言葉を促した。対する神野は柊の様子は気に留めていないようで、茶請けに手を伸ばす。
「お前はどう思った? 桐生千影を」
「どうって何かいけ好かない女だなって思ったけど」
「どのようにいけ好かない?」
「どのようにって……響先輩の傍にいるから」
 唇を尖らせて言う柊に、神野と俺は一斉に溜め息を零した。
 論点がずれている。
「柊。神野が言ってるのはそういう話じゃなくて――」
「ていうか僕はあんたも認めてないから! 響先輩をいいように使って、響先輩から慕われてるからって――」
「響。澄花を連れて来なさい。明日にでも」
 神野は柊の台詞を途中で遮って、俺の方を見て言う。俺の後ろで柊が「無視するな!」と喚いた。
「何で桜井が出てくるわけ?」
「そうだよ。何で桜井なの、僕がいるでしょ」
 俺の服の袖をぎゅっと握って、柊は後ろからしかめっ面を出す。神野は頭が痛いのか、こめかみに強く指を押し付けた。
「柊。お前は響の手伝いがしたいのだろう。だったら何事にも私情を挟むな」
「何それ」
 柊は困惑した表情で俺を見上げて、それから神野を見た。
「お前は桐生千影について何も感じなかった。それはお前の私情が邪魔しているからだ。響は気づいた――彼女から発せられる異様な雰囲気に。響が気づいたのなら、お前は気づけたはずだ」
 神野は無表情で柊を見つめて、厳しく腕組みをする。
「いや。お前は響が気づく前に、桐生千影に気づかなくてはならなかった。響はあくまで人間だが、お前は狐だ。神野家と契約を結んでいた善狐の末裔――しかも今のお前は相当な力がある。そのお前が気づけなかったのでは話にならない。それができないのではお前は無用だ。響の足手まといになるだけだ。よほど澄花の方が役に立つ」
「神野。そこまで言わなくてもいいだろ」
「言わなくては、柊はいつまでたっても分からない。響を慕うのなら、いい加減感情をコントロールすることを覚えろ」
 ばっさりと神野は斬り捨てると、小さく俯いてしまった柊から顔を背けて、俺に向かって続けた。
「澄花を呼びなさい。あの子からも話が聞きたい」
「桐生についてか? でも桜井は見えないし、感じない体質だろ」
 桜井澄花は、俺のように物の怪が見えるわけではない。ましてや俺の身体に流れているような物の怪にとって都合が良いという血が流れているわけでもない。彼女はただ、憑依されやすい体質だというだけだ。
 なるべくなら俺は桜井を巻き込みたくない。俺のことで随分と迷惑をかけたというのもあるし、後は彼女にはできるだけ普通に生活して欲しいという思いがあるからだ。
 神野はそんな俺の考えもお見通しな様子で軽く頷いた。
「なるべくあの子を巻き込みたくないお前の気持ちは分かる。だがあの子が必要だ」
 神野がそこまで言うのなら、本当に桜井が必要なのだろう。そのことが伝わってきて俺は強く拳を握った。
「……分かった」
 渋々頷いて返すと、神野は小さく息を吐き出してから空を見上げた。

 

 

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