◆七◆

 

「先輩、先輩。これ食べてみてください。美味しいんですよ」
「……柊。ここに来るのは良いけど、自分の教室でお昼ぐらい食べた方が良いんじゃないか?」
 俺は、コンビニで買ってきたらしいサンドイッチを机の上に景気良く広げている人物に向かって呟いた。
 彼――湖塚柊は、新学期が始まってから毎日、昼休みには俺の教室を訪ねてきている。数えると、明日でちょうど三週間だ。もっとも、明日からはゴールデンウィークだけれど。
「あんまりここに来てると、クラスで浮いたりするかもしれないし。……俺がこういうこと言っても説得力に欠けるけど」
 柊がここに来ることが嫌なわけじゃない。むしろ、俺に会いに来ることで学校という巨大な空間で柊が独り、取り残されずに済むのなら歓迎することだ。実際、柊を無下に追い返していないのもそれが理由だ。
 けれど、あまりにここに入り浸っていては柊の今後の学園生活が危ぶまれるのではないか。
 柊は一年生、俺は三年生だ。あと一年すれば俺は高校を卒業して、そのときに柊に友達がいなければ、彼は必然的に独りになる。そのとき、同じ学科の生徒の中に馴染めなければ柊は一人浮いてしまうことになる。柊がそれを気にするタイプだとは思えないけれど、憂いは少ないに越したことはない。
 それに、俺は柊には自分みたいに周りとの壁を作ってもらいたくないのだ。出来ることなら、彼には高校三年間、友人に囲まれて過ごしてもらいたい。それが柊になら可能なことだとも思っている。
「どうしてですか? 僕にここに居座られると迷惑?」
 一気にしゅんとした柊は、サンドイッチに視線を落とす。俺は柊を見つめて、慌てて付け足した。
「そうじゃない。さっきも言ったとおり、ここに来てるとクラスで友達とか出来なくなるよ。俺はそれが嫌なんだよ」
「つまり、早く僕に友達を作らせて厄介払いしたいってことですか」
「そうじゃなくて――っていうか、もっとストレートに受け取ってくれる? 俺は柊のこと嫌ってないし、もし嫌いならはっきりそう言う」
 揚げ足取りというか何というか、言葉を斜めから解釈しようとする柊に頭を悩ませる俺は、自分のこめかみに手を置いて力を入れる。
「俺はあと一年で卒業する。そうすれば柊は残り二年間、一人で過ごすことになるんだよ。俺はそんな寂しい学生生活を送ってもらいたくないんだ。特に柊には、ね。」
 慎重に言葉を選ぶ俺は、律義に箸を置いてから、居住まいを正して柊を見据える。柊もつられたのか背筋を伸ばすと、じっと俺を見つめた。
「……先輩は、今までの先輩自身の学生生活が寂しいって思ってるんですね」
 柊はそう言うと、悲しげに目を伏せた。伏せた大きな瞳には長く濃い睫毛がびっしりと生えていて、それが淡い影を落としている。普段なら美しいと思うだろうその姿にも、今の俺はまったく気持ちが動かなかった。
「俺の学生生活を知った上で、そう言ってるのか?」
 思わず低い声で訊ねると、柊は強い光を宿した瞳で俺を射抜いた。
「知ってます。先輩はずっと友達を作らずに一人を貫き通してたこと。最近は桜井澄花っていう人間が傍にいるけど、それまでの先輩はずっと一人だった。だから僕は先輩に近付きたいって思った」
「どうして?」
「先輩は僕と同じだって思ったから。僕が一人でいる理由を、周囲の人間を遠ざける理由を、先輩なら理解してくれるって思ったから――でも僕の勘違いなんですね。先輩も僕に友達を作れとかって、簡単に言うんだ」
 なんだか雲行きが怪しくなってきた。
 俺は純粋に彼を心配して、友達を作って学生生活を楽しんでもらいたいと思っただけだ。それ以外の思いはまったくない。柊が俺のところに来たいなら来れば良いし、でもその前にクラスでも友達を作って孤立しないようにしてもらいたいだけだ。
 けれど目の前の柊は、頑なにそれを拒否しようとする。
「簡単じゃないよ。俺は別に簡単に言ってるんじゃない。それに、この際はっきり言うけど、俺は柊のことを知らない。柊は俺なら理解してくれると思ったって言うけど、俺は知らない人間のことを理解なんて出来ない。まず、どうして柊が俺と一緒だと思ったのかさえ分からないのに、俺に理解しろっていう方が無茶だ」
 鈍く光る柊の瞳を見つめ返してそう言うと、柊はうろたえたように視線を外した。
「俺は柊のこと、心配してるよ。俺のことをこんなに慕ってくれるのもありがたいと思う。だけど、これじゃ一方的だ。柊は一方的に俺のことを知ったつもりでいる。――そして俺に何か隠してることがある」
 柊の視線を捉えようと顔を傾けて、柊を覗き込む。柊の目からは苦痛以外の何の情報も得ることが出来なかった。
「……じゃあ僕が話せば、先輩は理解してくれる?」
 苦痛の中に、一筋の救いを求める光を宿らせて、柊は言った。それがあまりに強い切望で、俺は一瞬答えに詰まる。
 俺の手に負えることなのか分からない。ましてや理由を聞いて、俺が理解できるという保証もない。
 けれどここで否定の言葉を出すことは、あまりにも酷い仕打ちに思えて、自然と俺の頭は縦に揺れた。
「きっと」
 俺がそう言葉を紡ぐと、柊は張り詰めていた緊張を解いたのか、柔らかく微笑んで見せた。
 それが初めて見た、彼の心からの安堵の笑みだったと思う。

 

 

back  怪奇事件簿トップへ  next

 

小説置場へ戻る  トップページへ戻る

 

Copyright © TugumiYUI All Rights Reserved.

inserted by FC2 system