◆四◆

 

 湖塚のことで悩みだした俺の顔を、桜井が遠慮がちに覗き込む。
 不安が見て取れるその瞳と視線がかち合った瞬間、まるで桜井と俺を追って来るかのような大声が後ろから聞こえてきた。
「桜井! 波多野! 何で俺だけ置いてっちゃうわけ」
 全力疾走してきたらしい高坂は、けれどまったく息を切らさずに、俺の隣に並ぶと非難がましく桜井と俺を交互に見やった。
「あっ! ごめん、高坂。ほんとにうっかりしてた」
 桜井は本気でぱっと口を覆うと、申し訳なさそうに高坂を見つめる。高坂はというと、そんな桜井の言葉に本気で傷ついた様子だった。
「……本気で謝られると、ちょっとへこむ……」
「わっ! ごめん、高坂!」
 項垂れる高坂に向かって、慌てて桜井がそう言う。すると高坂は顔を上げて、先程までの悲しげな表情はどこへやら、輝くような笑みを桜井へ向けた。
「うそ、冗談。桜井なら許すよ」
 高坂はにこにこと桜井に向かって笑顔を送り続けている。
 成程。彼が女子にもてる理由が分かった気がする。
 顔立ちが特別良いとかそういうわけではないけれど――いや、どちらかといったら良い方の部類には入るのだろうけれど――重要なのは彼の顔ではなく、醸し出す雰囲気だ。柔らかくて、その場にいるだけで明るくなるような、そんな暖かい空気。
 それに笑った顔が人好きのする感じの、爽やかなのも高坂の魅力の一つかもしれない。それが女子だけではなく、男子からも好かれる理由の一つだろう。
 じっと高坂を見つめていると、高坂が軽く咳払いをした。
「何、波多野。そんなに見つめられると照れんだけど」
「ああ、ごめん」
 難しい顔をした高坂に、あっさりと俺はそう言って顔を背ける。すると桜井が何事か口パクしているのが横目に入って、今度は桜井へ視線を落とす。
 注意して彼女の唇の動きを読んでいると「高坂と話して」と伝えているのが分かった。
「え? 何話せば良いの?」
 桜井が高坂に気付かれないように俺に伝えたいのだと知って、ぐっと桜井の顔めがけて屈み込むと小声で囁く。けれど桜井は目をぎゅっと瞑ると、全力で腕を振って俺の問いに答えた。
 それでは意味が分からない俺は、首を傾げて桜井を見つめるけれど、桜井は依然として高坂の方を指さしている。答える代わりに俺が大きく首を捻ると、桜井が俺に近付いて何事か言おうとした。
「――二人とも俺の存在忘れてない?」
 桜井の声が届く前に、高坂の不貞腐れたような声が耳に入る。慌てて高坂の方を振り向けば、むっとして頬を少しだけ染めた高坂がいた。
「……ちょっと聞きたいんだけど。波多野と桜井って、付き合ってるの?」
 今度は眉間に皺を寄せながら、廊下に視線を落として高坂がぽつりと呟いた。
 先程までの不機嫌な様子はどこへやら、一瞬で態度をがらりと変えた高坂を不思議に思いつつ、桜井と顔を合わせる。桜井も同じように不思議そうな表情を浮かべて首を傾げていた。
「付き合ってないよ。波多野君とは友達」
 桜井がそう言うのを見つめた高坂は、今度は俺へ訝しむ瞳を向けた。
「波多野は? 桜井のことどう思ってるの?」
「え? 桜井のことは好きだよ。でも――」
「でも?」
 俺が言うや否や、身を乗り出す勢いで切羽詰まった様子の高坂が、俺の言葉に被せて訊ねる。不審とも言える高坂の様子に、そういうことかと気付いた俺は、高坂の瞳を真っ直ぐ見つめて答えた。
「そういう意味の好き≠カゃない。桜井は友達だから」
 俺が答えると、高坂は目に見えてほっとした表情を浮かべた。
 分かりやすい奴だなあと思いながら桜井へ視線を走らせてみると、桜井はまったく高坂の気持ちに気付いていないのか、先程と1ミリも変わらない不思議そうな表情を浮かべたままだった。
 高坂の前途は多難だな、とそう結論付けて、ほっと息を吐いた高坂を見つめてみた。
「ところで、波多野って前よりもなんか柔らかくなったよね」
 高坂はおもむろに俺の方へ顔を向けると、にっこりと微笑んで言った。他意のない言葉で、率直な彼の意見なのだろうと思う。
「ずっと波多野と話してみたかったんだよ、俺」
 高坂はそう言うと、照れくさそうに頭を掻いた。なぜそこで照れくさそうにする必要があるのか、まったく分からないけれど。
「何で?」
 俺の口から自然と零れた疑問の声に、高坂は照れ笑いをさらに大きくした。
「波多野ってずっと一人でいたでしょ? 孤高の人みたく。だから気になってた。あと高校入ったばっかりの頃、クラスの女子が騒いでるのを聞いたんだ。すごい美少年がいる、とかって言って。それで、俺も便乗して波多野のクラスまで行ってみたんだよね。そのときに思った。綺麗だけど他人を寄せ付けない感じがするなって。だから話してみたかったんだよ」
 どうして『他人を寄せ付けない感じがする』から『話してみたかった』に繋がるのか、俺には到底分からなかったけれど、曖昧に頷いた。どうやら高坂も桜井タイプの人間らしいということは分かった。
「綺麗で他人を寄せ付けない、って言ったら桐生さんもだよね」
 ぼんやりとした声で桜井が話に加わった。
「あーそれは確かに。どことなく波多野と桐生さんって雰囲気が似てるよ」
 高坂は俺を見つめて、何かが繋がったかのような、はっとした表情を浮かべる。
「波多野。図書委員、頑張ってね。桐生さんは……多分つれないと思うけど」
 高坂はそう言うと、ぽんっと親しげに俺の肩に手を置いた。
「俺、あの子と上手くいかない気がする」
 ぽつりと俺が小声で零すと、桜井がぽんぽんと俺の背中を軽く叩いた。
「大丈夫! 何かあったら私を呼んで? すぐに駆けつけるから」
「俺も駆けつけるよ」
 桜井が笑顔でそう言うと、高坂も続けて宣言する。
 俺は生まれて初めて心に生まれた暖かな気持ちに、照れくささと同時に安心感に包まれた。

 

 

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