◆三◆

 

 チャイムが妙に反響して鳴り響くと同時に、桜井が俺の机目がけて走り寄ってくる。
 桜井のさ≠ニ波多野のは≠ヘ一見すると遠い文字だけれど、名簿順で席が決められている時は意外と近くになるものだ。――例えば俺の席から見て斜め二つ前とか。
「波多野君、用意!」
 彼女は意気込んで言うと、俺を見下ろした。
 一体何の話だか訳が分からない俺は、そのままの気持ちを顔に出して桜井を見つめ返す。すると桜井はじれったそうに、俺の机に広げられていた教科書やノートを勝手に引き出しに押し込むと、俺の鞄に手を掛けた。
「何?」
 驚いて桜井の手が届く前に鞄を掴んで抱えると、桜井が鞄を指して言った。
「お弁当持って、早く会議室行かなくちゃ。――あっ。桐生さんが先に行っちゃう!」
 桜井はせかせかと俺に向かってそう言ってから、教室を優雅な足取りで出て行った桐生の後姿を見つめて、この世の終わりのような声を出す。俺はそんな桜井を見上げながら、鞄を探って弁当の包みを取り出した。
「別に桜井は桐生と一緒に行かなくても良いだろ。というか、俺とも一緒に行かなくても良いだろ」
「何でそんな冷たいこと言うのー? みんなで一緒に行こうよ。それに、せっかく話せる機会だと思ったのに」
「桐生と?」
「うん。私まだ、このクラスで桐生さんとだけちゃんと会話してないんだもん。あんな美人だしちょっと話しかけ辛いけど、話せばもっと桐生さんのこと好きになると思うの。これは直観だけどね」
 桜井は残念そうに頬を膨らませながら、桐生の消えた廊下を見つめた。俺は弁当を持って立ち上がると、ぽんと桜井の背中を叩いて歩き出す。
「桜井は第三会議室だっけ? じゃあ、途中まで一緒に行こうか」
 戦意喪失とでもいう感じで佇む桜井を促してそう言うと、桜井はぱっと顔を輝かせて頷いた。
 そんな桜井を見て、単純だなぁと思わず微笑んで歩きだしながら、俺は中学時代のことを思い出していた。
 初めて桜井と話をしたのは中学三年の時で、同じクラスになったのがきっかけだった。それまでも桜井澄花という名前は耳にしたことがあった。あまり他人と関わらず興味も示してこなかった俺が、彼女の名前を知っていたということだけで、どれほど彼女の人気があったかが伝わるんじゃないかと思う。
 その当時に漏れ聞いた話によると、桜井はクラスから、引いては学年全体、部活を通して先輩後輩からも好かれるというとんでもない人間だという評判だった。もちろん全員が全員彼女を好いていたわけではなくて、一部の天邪鬼な人間は彼女を疎んでいたとも聞いている。そんな連中に対しても彼女は一切態度を変えなかったというのだから、相当肝が据わっているらしいことも知っていた。
 そんな桜井は、もちろん俺に対しても同じように接してくれていた。その頃から俺は友達なんていなくて、クラスで浮いた存在だったと思う。かといっていじめに遭うようなタイプでもなかったけれど、桜井は俺に声を掛けに来てくれていた。
 けれど、それがあったのも中学三年の一年間だけで、高校に入学してからは桜井と話すことはほとんどなくなった。辛うじて同じクラスだった高校一年の頃は関わりがあったけれど、俺が自然と桜井を避け始めていたために、彼女との接点はぷっつりと切れていた。
 今考えれば、酷いことをしていたと思う。その上、ついこの間には俺のせいで物の怪に取り憑かれたりしたのに、彼女はそれでも変わらず俺の傍にいてくれている。
「桜井、ありがとう」
 突如として込み上げてきた感謝の言葉を、素直に口に出して桜井に伝えると、桜井はぽかんとしながら俺を見上げた。
「何が?」
 まるでクエスチョンマークが目に見えるような、不思議そうな表情を浮かべた桜井を見て、俺は真面目に答えた。
「俺の隣にいて、友達でいてくれて。俺は桜井に酷い態度を取ったりしたし、その上、桜井に害しかもたらしてない人間なのに、それでも桜井は周りの人たちと変わらない態度で俺に接してくれてる。それが純粋に嬉しいんだ」
 俺がゆっくりと丁寧に伝えると、桜井は口元に笑みを浮かべた。
「波多野君が私に冷たかった理由、今ではちゃんとわかってるつもりよ。周りの人を巻き込みたくなかったんでしょ? 一人になるってすごく勇気がいることで、周りの人のためにそれができた波多野君を、私はすごいと思ってる」
 桜井は前を見つめて、しっかりとした足取りで歩きながらそう言った。
「それに今はもう心配ごともなくなったでしょ? 神野さんも言ってたじゃない。これからは普通に友達とか作って遊びに出掛けたりしなさいって」
 桜井は数日前の神野の屋敷での出来事を思い出すように、宙を見つめてそう言った。俺はそれを思い出して、長く息を吐き出す。
 つい先日、桜井と一緒に神野から呼び出しを食らって一方的に告げられたことがある。
 神野は俺を扱き使う替わりに、これからは普通の生活を送るように――つまりさっき桜井が言ったようなことだ――と言い渡したのだ。俺が神野に対してすまないと感じているのなら必ず実行せよ、との注意付きだった。
 そのことを思い出して俺が低く唸っていると、桜井は笑いながら俺を見上げた。
「私はもう友達とか作ってもいいと思うよ。十分、波多野君は今まで頑張ってきたんだし。手始めに私でしょ。次は……高坂とかいいんじゃない? 同じ男の子だし、高坂は一方的だけど波多野君のことずっと気にかけてたみたいだし。後は――そうだった、すっかり忘れるところだったよ。湖塚君も友達だね」
 少し照れているような笑顔を見せて桜井はそう言った。
「湖塚か……」
 俺は自分でも分かるほど厳しい目をして前方を睨み据えた。
 湖塚は少し厄介な気配がする。どちらかといえば関わりたくない相手に上げられるけれど、でも物の怪というのでもないとは思う。もし俺と似たような境遇だとすれば、俺なら手助けになれるかもしれないと思うと、無下に追い払うことも出来なかった。

 

 

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