◆二十四◆

 

 食べろ、と言って神野に出された皿に乗っていたのはシュークリームで、予想どおりの洋菓子だった。桜井と俺が自然と目を合わせて笑っていると、柊が不機嫌そうな顔で桜井と俺の間に割り込んだ。
「何でシュークリーム? 僕、別に和菓子でもいいのに」
 なぜか不満そうな口調で、シュークリームを掲げる柊。そんな柊に神野は横目で視線を送った。
「何だ、不満でもあるのか。だったら食べなくてもいい。皿に戻せ」
 神野は淡々とした表情で、柊に向かって皿を押す。どうやら、戻せと促しているらしかった。柊はそれにさらにむっとした顔をして、そっぽを向いた。
「誰も食べないなんて言ってない」
 柊は一言告げると、シュークリームを頬張った。
 素直じゃないな、と思いながら柊を見て、俺もシュークリームを口に入れる。サクッとしたパイ生地にカスタードと生クリームが詰まっているそれは、口の中で甘ったるい味と香りを広げさせた。
「美味しいねー」
 柊を挟んで座っている桜井が、一口食べて感嘆したような声を出す。柊も無言で頷いていた。
「響はそうでもないみたいだな」
 俺は甘いシューとクリームを咀嚼しながら、神野の小さな声に固まった。ここで頷くことは折角買ってきてくれた神野に対して果てしなく酷い行いのように思えた。
「え? 波多野君は甘いもの苦手なの?」
 桜井が身を乗り出して俺の顔を覗き込む。それを柊がすかさず押し戻した。
「いや――甘いものは好きなんだけど、シュークリームはあんまり得意じゃない」
 というか、シュークリームはあまり好きではないのだった。普段から食べないので、口に入れるまですっかり忘れていたけれど。
「響にはケーキの方が良かったな」
 神野はぽつりと零して、俺がシュークリームを持ったまま次の一口へ進まない様子をじっと見つめている。俺は苦笑を浮かべてから、手に持っている食べかけのシュークリームを見下ろした。どうしようこれ、という思いが頭の中で一杯になっていた。
「ケーキは大丈夫なのに、シュークリームは駄目なんですか?」
 きょとんとした声で柊が訊ねてくる。俺は目を上げて、それから神野に視線を走らせた。
「ケーキは好きというか、甘いものは好きなんだよ。本当に。俺はかなりの甘党だと思う。だけどその、シュークリームだけはどうも……」
 呟いた後、俺は神野に向かって頭を下げていた。
「ごめん、神野。これ、もう食べれない」
「いや、別に謝らなくて良い。今度からは響にはチョコケーキを買えばいいだろう。チョコケーキがない時は、何にすれば良い」
「え? 波多野君、チョコケーキ好きなの?」
 シュークリームをもぐもぐと食べながら、桜井が再び身を乗り出す。そしてそれを、再び柊が押し戻した。
「先輩がチョコケーキ好きなら僕、焼きますけど」
「ありがとう……」
 柊のきらきらとした瞳に内心苦笑しながらも、微笑んでお礼の言葉を口にする。それから神野に向き直って、
「ケーキなら何でも好きだから何でも構わないよ。でも、ショートケーキはちょっと苦手かもしれない」
 と答えた。最近気がついたのだけれど、どうも俺は生クリームたっぷりのデザートは苦手らしい。
 神野は真剣な様子で俺の言葉に頷いている。そしてふと俺が手に持ったままのシュークリームに気がついたのか、俺の手からすっとシュークリームを取り上げた。そしてそれに迷わず一口かじりついて、一度咀嚼して、口の動きをぴたりと止めた。神野は思いっきり顔を歪めたかと思うと、見る見るうちにものすごい形相になる。般若もたじろぐような凄まじさだった。
「……これは、もはや食べ物ではない」
 神野は口に入っているシュークリームをそれ以上噛まずに飲み込んで、一言呟いた。
 その一言に噴き出したのは、俺だけではなかった。
 桜井は勢いよく顔を逸らすと肩を小刻みに震わせているし、柊に至っては隠す素振りすら見せずに笑い声を上げている。怪訝そうに桜井、柊、俺の順に見つめる神野の表情を見て、俺は再び噴き出してしまった。
「何がおかしい」
 さすがに不機嫌そうな声音で神野が言う。そして忌々しそうにシュークリームを皿に置くと、近くにあった手拭きで綺麗に手を拭った。俺もそれに倣って手を拭いた。
「いや、ごめん」
 笑いを堪えながら俺が言うと、神野はそれでも納得がいっていないように片眉を吊り上げた。それから神野は近くに置いてあったどこかの店のロゴマークが入っている大きな箱――おそらく、シュークリームを買った店のものだろう――を引き寄せて、桜井と柊の前に押し出した。
「まだ残っている。響は食べられないし、私もこんなものは食べたくない。二人で食べろ」
 それは命令口調ではあったけれど、どこか懇願にも似た響きがあった。桜井は苦笑を浮かべて頷いてから箱を手際よく開けて中を覗き込むと、目を見開いて神野と箱の中身を交互に見つめた。
「これ……こんなにたくさん買ったんですか?」
 桜井の裏返った声に柊と俺も同時に箱の中を覗き込んだ。中にはまだぎっしりとシュークリームが詰まっている。柊もさすがに桜井に同意するのか、信じられない者を見るような目で神野をまじまじと見つめた。
「買ったのは三つだけだったんだが、店員がサービスだとか言って店の中にあるシュークリームをほとんどすべて箱に詰めていた」
 神野はもうシュークリームに興味はないのか、緑茶を湯呑みに注ぎながらぼんやりとした調子で告げる。けれど今さらになって店員の行動を疑問に思ったのか、最後に「あの店はこんなサービスをして潰れないのだろうか」と付け加えた。
 そんな神野に脱力したのは、俺だけではなかった。

 

 

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