◆二十一◆

 

「それにしても、今朝の波多野はすごかったなぁ」
 購買で買ってきたらしいカツサンドをもぐもぐと食べながら、高坂が思い出すように天井を見上げる。俺はその隣で、ふりかけが掛かっているご飯に向かって苦笑を投げかけた。
「校門くぐったのが八時二十二分だったでしょ? それからたった二分でこの教室まで駆け上がってきて、セーフだったんだもんなぁ……ねえ、サッカー部――」
「入らないから」
 良いことを思いついた! みたいな表情を浮かべた高坂を、俺はばっさりと斬り捨てる。昼休みのこの瞬間までに、高坂からのサッカー部への入部の誘いは既に六回を数えている。いい加減、諦めて欲しいところだ。
「なんで? 波多野なら活躍間違いなしだよ! 委員会のこと気にしてるなら、それは大丈夫だよ。ちゃんと融通利くようにしてくれるし」
「いや、そもそも部活に興味ないし――」
「じゃあ今から興味を持って!」
 カツサンドを口に放り込んだ高坂は、ぱちんと音を立てて両手を合わせると、まるで拝むみたいにする。俺は、高坂相手に断ってもその言葉が意味を成さないことを学んだので、無視することに決めて肉じゃがに箸をつけた。
「波多野は絶対サッカーに向いてると思うんだよ」
「高坂。波多野君が困ってるでしょ!」
 子犬のような瞳で俺を見上げる高坂の後ろから、桜井の厳しい声が飛ぶ。ちらりとそちらに目を遣ると、少し離れたところで女の子同士固まってご飯を食べていた桜井が、高坂を睨みつけていた。まあ、睨むといっても比較的柔らかいものだったけれど。
「だってさ、宝の持ち腐れだよ! 波多野の抜群な運動神経は、部活に貢献されるべきだと思うんだよね」
「それだったら野球部だろ!」
 教室の端の方で、一人の男子が勢いよく手を上げながら席を立った。同じクラスの人だとは分かったけれど、生憎と名前は分からない。俺は失礼にもまじまじとその男子を眺めてしまったのに、彼は気にしないのか俺を真っ直ぐ見て言った。
「サッカー部より野球部の方が絶対楽しいから、それでいいよな!」
「ちょっと待て! 波多野はサッカー部で決まりなんだよ」
 高坂が慌てた様子でその男子に向かって言う。
「それこそ待って。俺はサッカー部に決めた覚えはない」
 それに慌てた俺が、高坂に向かって言った。
「そうだよ。波多野はサッカー部でも野球部でもなくて、陸上部だもんな!」
 うんうん頷きながら、また一人会話に加わってくる。さり気なく肩に回された腕に、俺はもうどんな反応を返せばいいのか分からずに目を見張ってその男子の顔を見上げた。
「おい待て! 陸上部とか関係ないだろ今! 波多野はサッカー部なんだよ!」
「それって勝手に高坂が決めてるだけだろー。波多野はバッティングのセンスがある! 絶対、野球部」
「それこそ勝手に決めてるじゃん。波多野の長距離のタイム、全員知らないだろ。マジで陸上部の期待の星だって!」
 なぜか熱心に俺の話をしている周りをちらりと見上げる。これまで一度も話したことがないクラスメイトだ。というか、このクラスでちゃんとした会話をしたことがあるのは桜井と高坂ぐらいだ。他の人とは事務的な会話しかしたことがない。それなのに今、俺の周りにはたくさんの人が集まっている。これも高坂の力だろうか。
 彼らの徐々にヒートアップしてきた会話を弁当のおかず代わりに聞く。俺の部活の話をしているはずなのに、当の本人である俺の意思は尊重されていないようだ。
「ってことで、波多野は剣道部な」
「それは俺が許さない!」
「波多野君が弓道するところ見てみたーい」
「女子は黙ってろ!」
「っていうか、サッカー部だよね! 波多野」
 最後にまとめるように――まったくまとまってはいないのだけれど――高坂が確かめるように俺に訊ねた。やっと自分の意見が言えるのかと思った俺は、小さく息を吐いてから言った。
「忘れてるみたいだから言うけど、俺もう三年だから。今、入部してもすぐ引退だ」
 箸を置いて静かに言うと、その場が水を打ったようにしんと静まり返った。その空気を感じて、本当に何も考えていなかったのかと少し呆れる。
「それに悪いけど、部活に入る気はほんとにないんだ。他にすることもあるし」
 今でさえ委員があるのに、部活を始めたら神野の仕事を手伝う時間が更になくなってしまう。今は柊のことで手一杯になっているから仕事はないのかもしれないけれど、それでもなるべく拘束時間は短い方が良いに越したことはない。
 そんなことを考えながら再び箸を取って卵焼きを食べていると、高坂が机の上に突っ伏した。
「あぁー! 忘れてたー! 俺ら今、三年じゃん」
「こうなったのも全部、高坂のせいだからな!」
「なんで俺のせい?」
 非難めかした口調に、高坂が不満そうに言う。けれど高坂の反論は無視されて、周りに集まっていた男子たちはそれぞれ散っていった。
「酷い、冷たい」
 高坂はぽつりと呟くと、再び机に突っ伏した。
「もう、高坂って本当に……」
 桜井が同情するような視線を高坂に注いでいる。少し悪いことをしたかなと思った俺は、遠慮がちに高坂の肩を叩いた。
「ごめんな、高坂」
「いや……でも万が一、気が変わって部活するときはサッカー部な!」
 高坂はぱっと顔を上げると、熱っぽく言う。懲りないなと思いながらも、俺は頷いておいた。
 そのとき、教室のドアが勢いよく開いて、小柄な生徒が教室になだれ込むように走り込んできた。
「響せんぱーい! これ見てくださいよ! あいつ絶対おかしい!!」
 その子――柊は、少し涙目で高級そうな重箱を掲げてみせた。

 

 

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