◆二◆

 

 教室へ戻ると、いつになくざわついていた。俺はその中を突っ切って自分の席へ戻るけれど、桜井はおそらく俺を気遣ってだろう、俺の後についてきた。
「どうしたんだろうね」
 桜井は誰にともなく呟くと、俺の隣の席に座っていた女の子を捕まえて訊ねる。
「ねえ、何かあったの?」
 その子は桜井の方を振り向くと、微苦笑を浮かべて答えた。
「なんか昨日のホームルームで委員を決め忘れたとかで、今から生徒だけで決めるみたい。先生がさっき教室に走り込んできて『今日の昼休みに学級委員と図書委員は委員会があるから、取りあえずこの二組だけでも委員決めてくれ』って言うだけ言うと、すぐにまたどっかに消えちゃったの」
 彼女は、困るよね、と眉尻を下げながら人の良さそうな笑顔で言うと、ざわめきの中心を見つめた。
「へえ、そうなんだー。面倒そうだけど、取りあえずどうやって決めるのか聞いてくるね」
 桜井は彼女と俺に向かってそう言うと、素早く移動して、次の瞬間には数名の生徒で会議が開かれているらしいその真ん中に身を置いていた。
 クラスの中心になる人物、というのが大抵学年に一人か二人はいる。桜井は間違いなくそういうタイプだと思う。さっきみたいに鮮やかな流れる動作で他人に親しげに話しかけられるのは、そういう人間にのみ出来ることだ。
 俺はそんな桜井を、頬杖を突きながら眺めて、そして微笑んだ。傍から見ると、とても気持ちが悪い感じが自分でも分かったけれど、彼女の友達として傍にいられて、そして彼女が友達として俺を気に掛けてくれることが、今は純粋に嬉しかった。初めて出来た?友達?に抱く感情は、淡く心を満たしてくれる。
 ほんわかとした気持ちでクラスの中心と化した場所を見つめていると、何事かが決まったらしい。桜井は輪の中心から抜け出して、さっき話し掛けたばかりの彼女と俺の元に、笑顔を浮かべながら走り寄ってきた。
「なんかね、高坂(こうさか)がさっさと決めるんだって」
 桜井はそう言うと、桜井ともう一人、輪の中心にいた人物を指し示した。
「高坂?」
「高坂大輔(だいすけ)。知らない?」
 俺が少し首を傾げて桜井を見上げると、桜井は俺の前の椅子にもたれかかった。
「ああ、高坂君かー。こういうの得意そうだもんね」
 隣の席に座る彼女は苦笑を浮かべながらも楽しげにそう言う。桜井は彼女を見つめて一つ頷いてから、わざとらしく腕を組んだ。
「そうなの。高坂はこういうの得意なのよ。何かと目立つタイプなんだけど、知らないとはさすが波多野君、としが言いようがないよ」
「それって褒めてないよね?」
 至って真剣に、じっと桜井を見上げてそう言うと、桜井は変な笑い声を立てて、ぱたぱたと手を振ってみせた。
「よし! 休み時間も残り少ない。さっさと委員決めよう! 皆そのままの場所にいてくれていいから、こっち注目して!」
 いつの間にやら教壇まで移動していた輪の中心――高坂が、大声ではないけれどよく通る声でそう言うと、みんながそれに一斉に従って高坂を親しげに見つめていた。
 その様子を、再度頬杖をつきながら眺めていた俺は、高坂の人気と人望の厚さに素直に感服した。どうやら学年に一人か二人という貴重な人材が、揃いも揃ってこのクラスにいるらしい。間違いなく高坂はそういうタイプに見えた。
「取りあえず今決めるのは学級委員と図書委員、それぞれ男女一名ずつ。やっぱりまずは学級委員からかな。誰か立候補!」
 高坂は右手を高らかに上げるジェスチャーをして、見渡す生徒を促してみせる。けれど誰の手も上がらずに、代わりに教室の端の方から声が上がった。
「じゃあ学級委員は高坂に決まり」
「よしっ! じゃあ俺で――って、何で俺なの?」
 勢いよく高坂はそう返してから、素で自分が言ったことにびっくりしたらしい。きょとんと目を見開きながら、発言した男子生徒を見つめ返した。
「だって高坂、手上げてたじゃん。立候補だろ?」
 にやりと笑いながら返す男子生徒に、はぁっと短く溜め息を吐いて高坂は肩を落とす。
「ちょっと。高坂が可哀想でしょー」
 その様子を見た女子生徒数名が、一気に男子生徒に抗議する。
 どうやら高坂は女子から人気がある、つまりもてるタイプらしい。
「えー。でも高坂、こういうの得意だろ? 学級委員やりたいだろ? 俺ら、お前がまとめるなら付いて行ってやってもいいぜ!」
 急に責め立てられた――と言っても冗談半分らしいのだけれど――男子生徒は高坂にすがりつくようにそう言うと、なぜか最後の一文を言い終わった後、決めポーズで締めた。それを困った笑顔で受け止めていた高坂は、決めポーズを見るや否や笑い出して、一人でうんうん頷きだした。
「分かった分かった。そんなに俺が好きなら仕方ない。学級委員引き受ける!」
 すがりつく男子生徒の肩をぽんぽんと軽く叩いて、笑い過ぎで涙が滲む目を軽くこすって高坂はそう言った。
 どうやら高坂は、女子だけではなく、男子からも好かれるタイプらしい。
「こういうところが高坂のすごいところなの。もう女子からもってもて状態なのに、男子からは全然反感買わないんだよね」
 未だ笑い続けている高坂を見つめていた俺に、桜井がこそっと囁いた。高坂を見つめるクラス全員の目が、とても優しい光に溢れていることが、高坂の人徳の凄さを物語っていた。
「じゃ、男子の学級委員は俺で! 女子の委員だけど――」
「高坂がするなら私やってもいいよー」
 高坂が言うのを遮って、何名かの女子が同時に立候補する。すると高坂は、微笑みながら首を振って言った。
「だめ。さっきまで立候補しなかったでしょ? 俺が指名する。というか残りの委員、俺が決める」
 高坂がふんっと手を腰に当てて威張りながらそう言うと、たちまちクラスはブーイングの嵐になった。「独裁者」だの「権利乱用」だのとさんざん罵られた高坂は、それでも笑顔を崩さずにぴたりと一人の女子を指した。
「女子の学級委員は桜井ね」
 にっこりと微笑みながら静かに告げた高坂は、桜井に向かって「おいで」とジェスチャーする。高坂の行動に呆気にとられたらしい桜井は、ぽかんと口を開けて教壇を見つめていた。
「桜井、ご指名」
 桜井の気を戻すためにきゅっと軽く腕を握ると、それで我に返ったらしい桜井は教壇の高坂に向かって悔しそうな表情を浮かべた。
「待って! 何で私なの!」
「一番気が合いそうだから?」
「私、委員とかやりたくな――」
「だめ。俺の指名だから。皆も文句ないよね?」
 人の良さそうな笑顔を浮かべながらも、どこか威圧感のある雰囲気を纏いながら、高坂がクラスをぐるりと見渡す。すると先程まで立候補しようとしていた女子たちですら頷いていた。
「まあ、澄花ならいいかな」
「高坂と合いそうだしね」
 クラスのところどころでそんな声が上がって、どうにもこうにも退けなくなった桜井は、渋々といった感じで苦い顔をしながらも頷いた。
 俺はそんな桜井を見つめながら、高坂に抱いたのと同じ気持ちを抱く。桜井曰く「女子からもってもて状態」の高坂に指名されながらも、当の女子から一切の反感を抱かれていない桜井も相当な人望の厚さだ。
「次は図書委員だな。誰か、立候補! 立候補なければ俺が指名」
 桜井と高坂の二人に一種の感嘆を抱いているうちに話は順調に進み、続いて高坂がそう告げる。けれどまたしても誰の立候補の手も上がらなかったクラスを見渡して、高坂が小さく息を吐いた。
「よし。じゃあ俺が勝手に決めるけどいい?」
「どうせだめって言っても勝手に決めるんでしょ」
 うずうずしながらクラスを見渡す高坂に、桜井が呆れた表情を浮かべながら言い放つ。高坂はそれに輝く笑顔で返して、はたと俺で視線を留めた。一瞬視線がかち合って、俺は慌てて机へ視線を落とす。けれどそれも空しく、次の瞬間には高坂の高らかな声が耳を打った。
「波多野! 波多野響、図書委員ね」
 高坂は満足そうに告げて、俺を真っ直ぐ見つめて微笑んだ。同性からこんな風に親しげな笑顔を向けられたのなんて、何年振りだろうと思いながらも、俺は指名されたことより、高坂が俺の名前を知っていたことに内心驚いていた。
「波多野君が図書委員――似合ってるからよし!」
 桜井は先程までの不満な様子は一転して、なぜか嬉しそうな声を上げながらそう言った。俺はそれに驚いて桜井を見上げるけれど、桜井は一人で納得した様子だった。
「拒否権はなしね?」
「――はい」
 口を開いた瞬間に、高坂に先手を打たれた俺は項垂れながらそう言った。
 委員なんて面倒なこと、本当はしたくない。そう考える俺の頭の中まで読んだのだろうか。桜井は俺を見下ろして、不敵で、けれどとても親しげな笑みを送った。
「それから女子! 波多野が図書委員だったら自分がやってもいいよ、とかいう寝言やうわ言は禁止」
 高坂は俺から視線を外すと、続いてクラスをざっと見渡してびしっと言い放つ。それから高坂は、ふとある一点で視線を留めた。
「ずっと本読んでるけど、本好きなの? 桐生(きりゅう)さん」
 高坂の視線を辿ると、確かに本へ視線を落として周りとは一線を画した桐生千影(ちかげ)の姿があった。桐生は億劫そうに本のページから高坂へ視線を移すと、軽く頷いた。それを見た高坂は――明らかに桐生が、言葉を発するのが面倒で頷いただけだと分かるのに――微笑んで、桐生を見つめた。
「じゃあ、図書委員お願いしても良い?」
「拒否権はないんでしょう」
 桐生は長い睫毛を瞬かせて、一点の曇りもない笑顔を浮かべる高坂をじっと見つめる。高坂はその圧倒されるような視線を、なんなく笑顔で受け止めると頷いた。
「じゃ、これで取りあえずは決定ね。残りの委員は今日のホームルームで決めるらしいから、立候補する奴は心の準備しててね。それじゃ、図書委員は12時35分にC棟第二会議室で委員会だから。桜井! 俺たちも同じ時間にA棟の第三会議室ね。どっちも昼飯持参可」
 高坂が教室にいるそれぞれに告げた後、タイミングよくチャイムが鳴った。

 

 

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