◆十七◆

 

「響。大口を叩いたのは良いが、結局のところどうするつもりだ?」
 神野はすやすやと眠る柊を困ったように見つめている。俺も同じように柊に視線を落とした。柊は疲れたのか、安心しきったように眠っている。
 あのあと、柊は人間の姿に戻った途端に気を失うように眠ってしまった。神野は俺たちを見捨てて帰ろうとしていたけれど、俺が柊を抱えて蔵の中から出ようとすると、なぜか急に気持ちが変わったらしい。神野は俺から柊を奪うように抱えて、自分の屋敷に直行した。そのせいで、俺は柊の家に彼を預けようと思っていたのに、なぜか神野邸にやってきてしまっていた。
「どう、しようか」
 俺が呟くと、神野の大きな溜め息が聞こえてきた。
「お前、何も考えずにあんなことを言ったのか? まったくお前という奴は……」
 神野はゆっくりと首を振ると庭へ視線を移した。
「っていうか、訊いても良い? 何でここに来たんだ? 俺は柊を家の人に預けた方が良かったんじゃないかと思うんだけど」
 俺が言うと、神野は信じられないという顔つきで俺を見た。
「お前はこいつが話していたことを聞いていなかったのか? こいつの一族はもうほとんど人間と同化している。こいつ以外には野狐の力はおろか、善狐の力を持つ者すらいないんだぞ。人間にこいつを丸投げして帰るなんていうことが出来るか」
「丸投げって……。でも、柊の家族にも柊は手に負えないってことなのか? 柊が自分のことを人間の形をした野狐≠セって言ってたんだけど、それと関係ある?」
「――そんなことを言ったのか」
 神野は眉根を寄せて、柊を見下ろしながら呟く。
 こんなときの神野は、何を考えているのかいつにも増してよく分からない。普段は何事もズバズバ言うくせに、こういうことになると何も話してくれないのだ。それほど慎重にならなくてはいけない事柄だ、ということなんだとは理解しているけれど、俺にとってはただ焦れったく感じられるだけだった。
「確かに、湖塚柊の推察は正しい」
 神野は一言呟くと、俺へ視線を移した。まだ柊は目覚める気配すらない。
「湖塚柊は人間の形をした野狐≠セ。あくまで彼の基本は野狐にあるのであって、人間にあるのではない。だからお前や澄花、そして私のような多少なりとも力を持つ人間には湖塚柊は毒にはならないが、普通の人間にとっては湖塚柊の存在は重く感じられる。湖塚家の人間ならば狐の血を引いているおかげで、野狐である湖塚柊との間に当然感じるであろう違和感≠抑えるのにその血が役立っているだろう。だが、今の湖塚柊を人間の元に置くのは得策ではない。たとえ湖塚家の人間であろうとも」
 神野はそれだけ一気に言うと、俺に口を挟む隙を与えずに俺を見据えた。
「響。お前に訊きたいことがある」
「何?」
 神野が珍しく改まった様子でいるので、俺もそれに倣って居住まいを正して神野を真っ直ぐ見つめた。
「湖塚柊を救いたいか?」
「――え?」
「湖塚柊を救いたいか、と訊いた」
 神野はもう一度、ゆっくりと繰り返す。
 湖塚柊を救いたいか。その答えは、もうとっくに出ている。
「救いたい」
 俺が静かに言うと、神野は再び口を開いた。
「湖塚柊が人間じゃないとしてもか?」
「柊が人間じゃなくても」
「湖塚柊がお前に危害を加えることになってもか?」
 柊が俺に危害を加えることになっても――?
 神野の台詞に一瞬どきりと心臓が飛び跳ねる。その言葉の意味を考えるよりも先に、俺の口から言葉が突いて出ていた。
「たとえ柊が俺を殺そうとしても」
 言葉が空中に溶けた瞬間、空気がずしりと重くなる。神野は一瞬だけ顔を歪めて、けれどすぐにいつもの表情に戻った。
「私も今度はお前を救えないかもしれない。それでもか?」
「俺は今まででもう十分、神野に救ってもらってきたよ。だから次に何があっても俺は良いと思う。それで柊が救えるのなら」
 俺が言い切ると、神野は再び顔を歪めてそっと瞳を閉じた。
 暫く沈黙が続く。柊の静かな寝息が微かに聞こえる。神野はゆっくりと目を開けると、畳目に視線を落したまま呟くように言った。
「湖塚柊は、お前の命を懸けて助けることとなっても、相応しい者だろう」
 柊が寝返りを打つ。その寝顔だけを見ていれば、彼はどこにでもいる普通の高校生に見えた。何の悩みもない、他の人たちと然したる違いもない、普通の幸せな高校生に。
 ぼんやりと柊の寝顔を見つめていると、神野がいつの間にか俺の目の前にまで移動してきていた。
「響、よく聞きなさい」
 神野は重要なことを告げるように声を落とす。
「何?」
 俺は柊の眠りを妨げないように小さな声で答える。
「湖塚柊が狐の姿になったときのことを覚えているな? あのとき、湖塚柊の尾の数が何本だったか覚えているか」
「八本だった」
 かなりのインパクトがあった白いふさふさとした八本の尻尾。俺は間髪を入れずに答えていた。神野は俺の答えに難しい顔をして頷く。
「善狐ならば尾の数は少ない、ということを湖塚柊が言っていたのも覚えているな? 実際、彼の言うとおりだ。善狐ならば階級が上がっていくごとに尾の数が減っていくのだ。かつて善狐だった狐塚家の狐の尾の数も、せいぜい二、三本だった」
 俺が理解しやすいようにだろうか。神野はゆっくりと話を進めて行く。
「だが野狐となれば話は別だ。善狐の場合とはまったく逆に進んでいく」
「つまり、だんだんと尻尾の数が増えて行くっていうことなのか? 柊が言ってたみたいに?」
「そうだ。もともと湖塚柊も尾は一本しかなかったのだろう。だがそれが増えて行き、今では八本になっている」
 ちらりと柊に視線を移す。彼は相変わらずゆったりと眠っていた。
「野狐の場合、妖力が増すごとに尾の数が増える。野狐の最終的な姿は、九本の尾を持つ姿だとされている」
 え? という言葉を零したはずだったのに、俺の唇からは何の音も漏れなかった。
 九本の尻尾を持つ姿が、野狐の最終的な姿。つまり、そこで妖力の増加も終えるということだろうか? その意味は、尻尾が九本になったときに妖力が最大になるということではないのか?
 息を凝らして神野を見つめる。神野は俺が今、頭に浮かべている疑問を見透かしている様子で、それを肯定するかのごとく頷いた。
「尾の数が九本になったとき、湖塚柊は完全なる野狐になるだろう」

 

 

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