◆十三◆

 

「波多野君。今日って委員ない日でしょ? 一緒に帰ろー」
 ホームルームが終わった途端に、鞄を手にした桜井が俺の席の前にやってきた。
 俺は荷物をしまっていた手を止めて桜井を見上げると、ちょっと困ったように微笑んでしまった。それを見た桜井は、瞬時に表情を変えて疑問そうに俺を見つめる。
「何か用事でもあった?」
「うん。今日は柊と一緒に帰ろうと思って」
「湖塚君? ……私は仲間外れなの?」
 桜井から顔を逸らして、教科書とノートをしまいこんでいた俺の耳に桜井が小さく呟く声が届いた。
 声の調子が沈んでいたので、慌てて言葉を付け足そうと顔を上げる。すると目に入った彼女の表情はからかっているような、そんな嫌な感じのものだった。
「――からかってるのか?」
 取り繕う言葉の代わりに言う。すると桜井は楽しそうに笑った。
「うん、からかってる」
「堂々と宣言する人を初めて見たよ」
 呆れて俺が言うと、桜井は机の上に出しっぱなしになっていたペンケースを俺に手渡してくれた。
「波多野君が湖塚君と友達になったのが嬉しいなぁって。私の周りにまた一人可愛い子が増えるもん」
 桜井はにこにこと笑っている。
 どこからどこまでが本気で、どこからが冗談なのか俺には分からない。
 微妙な顔をして見せると桜井はくすりと笑って、
「半分本気、半分冗談だよ。湖塚君は波多野君に懐いてるみたいだったからね。これからは波多野君の無愛想攻撃を受けずに済むんだと思うと、一安心」
 と言った。
「無愛想攻撃って……」
 俺は言いながら荷物をすっかり鞄にしまいこむと立ち上がる。桜井は俺に合わせて歩き出した。
「途中までは一緒でも構わない?」
 桜井は少し俺を覗き込むようにする。
 柊とする予定の肝心な話はどちらかの家で、ということになっている。それなら桜井が途中まで一緒でも問題ないだろう。
 俺はそう判断して頷いた。
「良いよ――あっ。そう言えば言い忘れてたけど、神野が帰ってきた」
「えっ! 本当? よかったねー!」
 桜井が嬉しそうに、優しく微笑みながら言った。俺もつられて微笑むと、桜井は俺を見つめて何度か頷いた。
「それに里での療養っていうか、神気を養うのには成功したみたいだ。ちゃんと大人の姿になってた」
「そっか……本当によかったね」
 桜井は柔らかな笑顔を浮かべて俺を見上げる。その表情を見ていると、神野が無事に帰ってきてくれたことに、俺の心に改めて安堵が広がった。
「あっ。波多野も桜井も帰るの? 俺も一緒に帰る!」
 教室を出ようとしていたまさにそのとき、後ろから声が掛かった。
 桜井と俺はほとんど同時に振り向いて声のする方を見てみる。目に入ったのは、高坂が自分の周りに集まっていたクラスメイトの間を縫って俺たちに近付いてくるところだった。ホームルームが終わると同時に、高坂は沢山の男子に囲まれて楽しそうに話をしていたのだ。
「じゃ、俺は帰るね」
 高坂は教室中に宣言するように言うと、バイバイと手を振る。するとそれに答えるように、クラスメイトのほとんどが高坂に笑顔で手を振り返した。
 さすが、と思いながら高坂を見てから、俺は律義に桜井の隣を高坂のために空ける。けれど高坂はそれに気がつかないのか、わざわざ俺の隣に滑り込むようにしてやってきた。
「今日も宿題が多いなぁ」
 高坂は嫌そうに、というよりは辛そうに呟く。
「桜井は数学得意だったよね? 今度教えてくれない? 俺さ、もう数学だけは壊滅的なんだよ」
「高坂は数学だけじゃないでしょ、壊滅的なの」
 にべもなく桜井が言う。
 なぜか真ん中のポジションにいる俺は、どうしたものかと思いながら苦笑を浮かべた。
「波多野は? 何が得意?」
 高坂は桜井にシニカルな笑みを向けてから、俺に訊ねた。
 あまり自分のことを訊かれることに慣れていない俺は、苦笑を浮かべて首を捻った。
「いや、別に。得意科目とかはないな。……でも社会科系は好きだな」
「……俺もいつか『この科目は好き』とか言ってみたいな……」
 高坂がぼそりと呟く。
「っていうかさ、桜井って変じゃない? 理数系得意なくせに、何で文系に進んだの? 俺だったら迷わず理数に進むけどな」
「理数は得意なだけで好きじゃないもん。私は文系の方が好きなのよ。ただちょっと、成績は理数に比べてよくないけどね……」
 桜井は困ったように微笑む。高坂はそれを見て、神妙な様子で頷いた。
「得意と好きって必ずしもイコールじゃないもんね。俺はだいたいがイコールだけど」
 高坂は静かにそう言うと、神妙だった表情を一転させて今度は華やかな笑顔を見せた。
「波多野は? 何か得意なことってないの?」
 高坂に訊ねられてまたもや困った俺は、取りあえず微苦笑を浮かべてみる。
 得意なことなんて特にない。物の怪を呼び寄せるのは得意だといえばそうだけど、これは俺の血のせいであって能力のおかげではない。
「得意なこと……ないけど」
「じゃあ好きなことは?」
 好きなこと。
 そう言われて一つのシーンが頭の中に浮かび上がった。
「縁側でお茶を飲むこと」
 ほとんど間髪を入れずに答えると、高坂は一瞬驚いたような顔になった。けれど桜井は優しく目を細めて俺を見てくれていた。
「波多野の家って縁側があるの?」
 高坂は更に訊ねてくる。
 質問攻撃だな、と俺は思いながら首を振った。
「俺の家に縁側はないんだけど、知り合いの家にあって」
「へぇ。いいなぁ、ほのぼのしてて」
 高坂はほんわかとした調子で言うと、上履きを脱ぎながら運動靴を取り出していた。
 質問攻めにされながら歩いていたら、いつの間にか昇降口にまで来ていたらしい。俺も右に倣えでローファーを取り出すと、上履きを脱いで履き替えた。
「波多野ってローファーなんだ。運動靴じゃないと動きづらくない?」
 高坂は俺のローファーを指さして小首を傾げる。俺は軽く頷きながら、
「慣れれば大丈夫」
 と答えた。
 実際、物の怪から逃げるためにローファーで4、5kmなら走り通したことがある。まだ神野と知り合う前の話だ。
「そういえば高坂。部活はいいの?」
 靴を履き替えていた桜井が、思い出したように高坂を見上げて言った。
「今日は部活休み。顧問が用事あるとかで」
 高坂は頷きながらも、どこか物足りなさそうだった。
「何部?」
 桜井が靴を履き終えたのを確認してから歩き出す。ずっと質問を受ける側だった俺の、初めての問い掛けだった。高坂はそれが嬉しかったのか、それとも何か違うことが嬉しかったのか、とにかく顔中に笑みを広げた。
「サッカー部。一応俺、背番号10だよ」
「……ごめん。背番号10の意味を知らない」
「えー! 波多野、サッカー上手いじゃん。てっきりサッカーやってたんだと思ってたのに」
「高坂、甘いわね。波多野君は何も知らないのよ。自分の興味外のことは知ろうともしない人なのよ」
 ふふん、と自慢げに桜井が言う。桜井の言葉に「一体俺はどんなイメージを持たれているのか」と思ったけれど、敢えて何も言わないことにした。
「俺、サッカーのルールもよく知らない。取りあえずゴールキーパー以外は手を使えなくて、足でボールを蹴ってゴールに入れればいいってことぐらいしか」
「嘘だろ! 下手したらサッカー部員よりも波多野の方が上手かったのに」
「高坂、ほんとに甘いわね。波多野君は運動神経が異常にいいのよ。それにね、波多野君にルールは通用しないのよ」
 本当に俺のイメージってどんななんだろうと思って、俺は溜め息を吐いた。
「じゃあ、波多野って文武両道? 確か成績もいいよね」
「別に成績はよくないよ。普通」
 これは嘘じゃない。短期的な記憶力は良いから、暗記系のテストではそこそこの点数は取れるけど、だからといって飛びぬけて点数がいいわけじゃない。間違っても「成績がいい」という部類には入れないと思う。
「ほんと? じゃあ、俺と仲間――」
「ちょっと高坂。波多野君と自分を一緒にしないでよね」
 桜井は厳しく告げる。口調こそ厳しいけれど、表情は楽しそうな笑顔だった。
「桜井は波多野のこと贔屓しすぎだよ。俺も贔屓して」
「無理。高坂は他の人からいっぱい贔屓してもらってるからいいじゃない」
「それは波多野だってでしょ!」
「波多野君はいいのよ」
 なぜか言い合いを始めてしまった二人の間に挟まれて、俺は結局「背番号10」の意味を聞けないままだった。何気に結構気になっているんだけれど。
 言い合いといっても二人ともそこそこ楽しんでいるらしい。両側の二人の表情を見比べて見ても、どちらも表面上はしかめっ面だけれど、実は楽しんでいることが伝わってくる。
「桜井はさ――って、あれ?」
 高坂は不自然に言葉を切ると、真っ直ぐ前を向いて一点を見つめている。その視線を辿っていくと、その先にいたのは柊だった。
「あの子って美術科の一年の子? 確かクラスの女子が可愛いとか言って騒いでたような……」
 高坂は柊を食い入るように見つめながら呟く。
 俺は突然ぽんっと背中を軽く押されて、少しよろめきながら後ろを振り返った。すると俺の背中を押し出した形のまま手を上げている桜井の姿があった。
「波多野君を待ってるんでしょ? 早く行ってあげて。なんか湖塚君……苦しそうな顔してる」
 桜井は澄んだ瞳を柊に向けて、静かに俺にだけ聞こえるような声で言った。
 桜井に言われて改めて柊を見る。彼の瞳は焦点が合っていないような、そんな奇妙な感じで一点を見据えている。その顔に表情はまったくなかった。
「ごめん。じゃあ、俺はこれで」
 俺は早口で桜井と高坂に言うと、駆け足で柊に近付いた。
 柊を遠巻きで生徒が眺めていく中、俺は柊の顔を覗き込む。やっとそこで焦点を俺に合わせた柊は、俺の顔を見るとほっとしたように微笑んだ。

 

 

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