◇幕間◇

 

 神野は無理やり俺に持たされたやけに細長い箱を訝しげに見つめてから、俺を見上げた。
「……中身はなんだ?」
 見るからに面倒そうな神野を見下ろして俺は答える。
(たすき)
「タスキ?」
 俺の言葉に応えたのは神野ではなく桜井だった。
「波多野君の趣味って……」
 桜井は信じられないといった表情を浮かべて、そっと首を振る。その仕草は、まるで俺を憐れんでいるような感じだ。
「襷を私にどう使えと?」
 神野は冷笑を浮かべながら箱を俺に突き返す。箱の角が俺の腹に突き刺さって、俺は思わず身体を後退させながら、だらしなく引き摺っている神野の袖を指さした。
「それだよ、それ! 神野、小さくなったのにずっと前の着物着てるから大きすぎて引き摺ってるだろ? 裾は無理でも、袖はたくし上げて襷で結べば良いかと思って」
「……だからって誕生日にタスキ贈る人ってレアだよ……」
 俺の言葉に、逐一口を挟む桜井を今このときだけは恨めしく思う。けれど神野は、そっと首を傾げて箱と自分の着物の袖を見比べた。
「……貰っても良いが、使わないかもしれない」
 ぽつりと零した神野に、俺は溜め息を吐いて頷いた。
「神野ならそう言うと思ってたよ」
「いや、そういう意味ではない。私は暫く里へ帰る」
「里?」
 桜井と俺が声を合わせて同時に訊ねる。神野は桜井と俺を交互に見やってからゆっくりと頷いた。
 着物の隙間から風が入ってくるのか、少し身を震わせてからぎゅっと身体を抱き込んで、神野は遠くを見つめて話し出す。
「私の実家がある里だ。お前は私のこの姿が、やはり気に入らないのだろう? だから一度里へ戻ろうと思ってな。私の里は神気が満ちている場所だ。そこでならお前に与えた力を養えるかもしれない」
「――つまり?」
 いまいち釈然としなくて俺がそう切り返すと、神野は俺を見上げて微笑んだ。
「つまり、力を養うことができれば元の姿に戻れるかもしれないということだ」
 神野は俺を安心させるようにそう言った。俺は思いもかけない言葉を聞いたせいで、すぐに次の言葉を継ぐことが出来なかった。
「え? じゃあ神野さんは、子どもの神野さんじゃなくて、大人の神野さんに戻れるということですか?」
 桜井が驚いたようにそう声を上げて、俺の聞きたかった質問をする。神野は桜井の言葉に顎に手を当てると、低く唸って答えた。
「保証は出来ないが……もしかしたら戻れるかもしれない」
 神野は桜井へ視線を走らせると、すぐに俺へ向き直る。
 神野の言葉に一縷(いちる)の希望を見出した俺は、さらに詳しく聞こうと身を乗り出したけれど、それを制するように再び神野が口を開いた。
「だがそれは一時的なものにすぎないだろう」
「一時的?」
「ああ。私の身体に宿る力は既にお前へ渡された。私はお前を守る時、神気を懸ける代わりに身体を懸けたのだから、この身体が完全に元の姿へ戻ることは二度とない。私はもう年を取らない外見となってしまったのだ――失ったものは決して元には戻らないからな」
 神野は静かにそう言うと、箱を手でくるくると回して遊び出した。その姿は一見すれば普通の子どもに見えるけれど、やはり醸し出す雰囲気に威厳があるせいか、暇つぶしに箱を回す姿もしっくりこない。
「だが里へ戻り神気を養えば、一時的になら元の姿に――お前に力を渡した時の姿になれるだろう。その神気が底をつくまでは」
「簡単に言えば、補充ということですか?」
 顎に人差し指を当てて、桜井が宙へ視線を漂わせる。すると神野は無言のまま頷いた。
「暫く私は留守にする。その間に片付けなくてはならない仕事もないから、お前はゆっくりしていろ」
 神野は先程まで俺に向けてくれていた優しさは何処へやら、素っ気なくそう言うと挨拶もなしに重い門を開けてさっさと中へ姿を消してしまった。俺はそれを見て、いつもどおりの神野の態度に少し安心しながら、桜井とともに屋敷を後にする。
 再び学校へ向かって歩き出すと、すぐに桜井がぽつりと呟いた。
「神野さん、大人の姿に戻れるといいのにね」
 桜井のその言葉は、神野というよりはむしろ俺へ向けられた言葉のようだった。
 俺を慰める言葉。その気持ちに俺は感謝して、そうだな、と小声で返した。

 

 

 校門をくぐると、左手に広がる校庭に人だかりが出来ているのがすぐに目に入る。
 今日は新年度の新学期。校庭の端の方に遠慮がちに置かれているクラス分けが張り出された臨時の掲示板に人々が群がっている。
「もうクラス分けの紙が張り出されてるみたい! 波多野君、早く行こう」
 桜井はその様子を見て取ると、嬉しそうにそう言って俺の腕を引っ張った。
「同じクラスだといいのにねー」
 俺を引っ張りながらずんずんと進んでいく桜井は、前方に見えてきた掲示板を真っ直ぐ見つけて心ここにあらず、といった感じで軽くそう言う。俺はそれに苦笑を浮かべると、素直に桜井に連れられるまま歩きだした。
 やがて掲示板の周囲にできた人込みの中に突入する。
 周りの人の多さに俺が辟易しているのにもお構いなしで、桜井は人垣を掻き分けながら直進する。普通なら嫌な顔の一つでもされそうな行為だけれど、桜井はかなりの人気者らしい。周りの人々は人垣を掻き分けているのが桜井だと気付くと、笑顔を浮かべて彼女に挨拶している。桜井はそれに柔らかな人懐っこい笑顔で返していって、ついには掲示板の真ん前に俺を連れて陣取った。
「波多野君も文系だよね? 文系クラスは1組から3組までだから……じゃあ波多野君は3組を見てくれる? 私は1組と2組担当ね」
 桜井は掲示板を指さしながらそう言うと、分担を決めてすぐさま1組の欄を目で追い始めた。行動力の早い子だなあ、と感心しながらも小さく溜め息を吐いて、俺も3組と書かれた紙を上から順に生徒の氏名を目でなぞっていく。
 その作業を初めてすぐに、人垣の後ろの方でざわめきが聞こえてきた。それは大きなざわめきではなかったけれど、確かな衝撃を伴った生徒の声だった。何事だろうと後ろを振り返れば、ちょうど自分の目の前で人垣が真っ二つに割れているのが目に入った。
 さすがに驚いてその状況を見渡していると、前方から確かな足取りで歩いてくる小柄な人影が目に入った。その子はぴりっとした清潔な制服を着て、にっこりと愛らしい笑みを浮かべながら真っ直ぐ俺を見据えている。思わず後ろを振り返ってみたけれど、俺の後ろにあるのは大きな掲示板だけだった。
「波多野君、知り合い?」
 いつの間にか桜井も作業を中断していて、俺の耳元へそう囁いた。俺はそれに無言のまま首を振って返すと、親しげに微笑みかけてくるその子をじっと見つめた。
「波多野響先輩ですよね?」
 その子は俺の目の前まで来ると、小首を傾げてそう問うた。大きな目はきらきらと光を受けて輝き、その他のパーツは小さく綺麗にまとまっている。短めの前髪に右側だけ伸ばした髪型は、顔立ちの良いその子によく似合っていて洗練された雰囲気がある。その姿は愛らしい女の子そのもので、小柄で華奢な体に少しハスキーな声が一見ミスマッチに思えたけれど、成程、その子の着ている制服を見て納得した。一見可愛い女の子にしか見えないけれど、その子が着ている制服は間違いなく男子生徒のものだった。
「そうだけど。――ごめん。君、誰?」
 近くで見ても、まったく見覚えがない。俺は眉が自然とひそめられるのを感じながら、正直にそう答えた。すると真っ二つに割れていた人垣の方々から、小さなざわめきが少し大きさを増して俺の耳まで届いた。
「僕、湖塚(こづか)(ひいらぎ)って言います。この高校の一年になりました」
 その子――湖塚は笑顔を浮かべたままそう言うと、さっと右手を差し出した。俺はその手を慎重に取りながら、訝しげに思って訊ねた。
「でも入学式は明日のはずだけど?」
「はい、今日はちょっと用事があって登校しました。で、校舎へ入ろうとしたら先輩の姿が見えて思わずここまで来ちゃったんですけど」
「……俺、他の人に埋もれてたのによく見えたね」
 片眉を吊り上げてそう問うと、湖塚は愛らしく微笑んでするりと握手していた手を抜いた。
「先輩は特別だから」
 湖塚は俺に向かってにっこり笑ってそう言うと、俺の隣で呆然と立っている桜井へちらりと視線を向けて、先程俺がしたと同じように片眉をぐいっと吊り上げた。
「僕のことは柊って呼んでくださいね、響先輩」
 冷やかな視線から一転して、再び明るい笑顔を浮かべながら俺を見つめる彼からは一切の邪気は感じられなかった。彼は親しげに俺へ手を振ると、踵を返して校舎へと向かって歩いて行った。
 その堂々たる姿を、呆然としている他の生徒が息を呑んで見つめている。
「ほんとに知り合いじゃないの、あの子と。それともまさか」
 桜井は突然向けられた冷やかな視線にも動じず、俺へ耳打ちした。俺は桜井が意図的に切った言葉の続きを考える。
 物の怪なのだろうか――。
「今は何とも。あの子からは何も感じなかった、けど」
「けど?」
 俺がそこで言葉を途切れさせると、桜井がゆっくりと先を促す。けれど俺は続きを答える代わりに首を振った。
「とにかく神野が里から戻るまで待つしかなさそうだ」
 あの子から邪気は感じなかった。物の怪独特の空気も纏っていなかった。ただ、違和感は感じる。そこがどうしても確信には程遠いほど曖昧で、なんとも答えられなかった。
 綺麗に二つに分裂していた人垣は、湖塚が立ち去ると徐々に落ち着きを取り戻して元の一つの集団へ戻っていき、また掲示板へ注目が戻る。俺がその前で一人考えながら佇んでいると、隣で桜井が俺の腕を横へ引っ張った。
「もうクラスは確認したよ。波多野君は――」
 桜井がそう言ったのと、俺が掲示板へ真っ直ぐ歩いてきていた人とぶつかったのは同時だった。
 どんっと鈍い音が鳴って、衝突した部分にじわりと痛みが広がる。前を向いて歩いていた桜井は慌てて振り返ると、ぶつかった俺ともう一人に人垣の中で可能な限りの早さで駆け寄ってきた。
「ごめん! 二人とも大丈夫?」
 桜井は慌てた様子で二人に向かって謝った。
「俺は大丈夫。そっちは――」
 相手の鞄がちょうど入った鳩尾に手を当ててさすりながら俺はそう言って、今し方自分がぶつかった相手を見つめて絶句した。
 彼女は少し不機嫌そうに顔を歪めて小さな声で、大丈夫、と心配そうに顔を覗き込んでいる桜井に伝えると、今度は真っ直ぐ俺の瞳を見つめた。
「あなたは? 私の鞄があなたの鳩尾に入ったと思うんだけど、大丈夫なの?」
 彼女は自分の鞄を持ちあげて見せる。俺は真っ直ぐ彼女を見つめ返しながら、
「大丈夫」
 とだけしか答えられなかった。
 彼女は俺がそう答えるのを聞くと素っ気なく頷いて、顔にかかった長い髪を手で払う。その姿は堂に入っていると言っても良いほどでとても様になっている。彼女は俺に一瞥をくれると、再び掲示板へ向かって歩き出した。彼女の進む道は自然と人垣が割れて道が出来ていた。
 呆然とそのすらりとした後姿を眺めていると、再び桜井に腕を引っ張られて人垣から連れ出された。桜井は人垣から少し離れたところまで歩くと、不意に立ち止まって好奇心に満ちた瞳を俺へ向けた。
「ちょっと意外。波多野君でも女の子に見惚れることってあるんだ」
 桜井はそう言うと、くっきりと人垣が割れた中央に佇む先程の女の子を見つめた。
「やっぱり美人はいるだけで違うよ、空気が。憧れだなあ」
「憧れ? あの子が?」
 俺は信じられない気持ちで桜井を見つめた。
 確かに先程の彼女は、芸能人でもちょっと見かけないぐらいの美人だった。大きすぎない瞳にすっと通った鼻梁、形の良い唇。それらすべてが絶妙の配置で小さな顔に収まっている。さらりと見た目からして指どおりの良さそうな髪は、染めてはいないのだろうけれど少し茶色っぽい。そして手足が長くほっそりとした身体は、確かに美しいシルエットだ。でも――。
「ちょっと性格悪そうだけど」
 ぽつりと俺が呟くと、桜井が信じられないという表情を浮かべて勢いよく振り返った。
「どこが」
「全体的に。さっきなんて桜井が本気で心配してたのに、不機嫌そうな表情浮かべてたし。確かに綺麗な顔立ちだけど、人間味が感じられない」
 俺が淡々と彼女について述べると、桜井は分かってないとでも言うかのように溜め息を零しながら首を振った。
桐生(きりゅう)さんは身体が弱いのよ。だからいきなりぶつかってすごい衝撃だったのよ、きっと。それに顔立ちに人間味が感じられないのは波多野君もでしょ」
「どういう意味」
「波多野君も十分美人だからね? 分かってないと思うけど」
「美人って言われても嬉しくない」
 むっとして俺がそう返すと、桜井は苦笑を浮かべた。
「話戻すけど、さっき波多野君だって桐生さんに見惚れてたでしょ?」
 桜井の何気ない言葉に、俺は思わず考え込んでしまった。
 見惚れた――とは違う。確かに美人だとは思ったけれど、違う。何となく、彼女から周りとは違う空気の揺れを感じてそれを見定めようとした、というのが正しい。けれど神野がいない今、そう言うことを次々に言っても桜井を困らせるだけだろう。そう考えて、俺は軽く肩をすくめることにした。
「それにしても今日は朝から美形ばっかり見る日よね。波多野君、神野さん、湖塚君――だったっけ? ――それに極めつけは桐生さん」
 桜井は気を取り直してそう言うと、うっとりとした瞳を浮かべて宙を見つめた。
「桜井、あの子と友達?」
 俺が先程の美人を目で追ってそう訊ねると、桜井は小さく首を振った。
「ううん。友達、ではないと思う。でも波多野君はほんとに知らないの? 桐生千影(ちかげ)さん。美人で有名なのに」
「知らない」
 俺が即答すると、桜井は大げさに肩を落とした。
「……なんか波多野君とこうして話す前に抱いてたイメージと、実際の波多野君がかけ離れすぎてて私……」
 あからさまに落ち込む桜井にもやもやとした気持ちが広がりながらも、俺は言葉を掛けようと頭を回転させる。けれど桜井は項垂れてから思いのほかすぐに顔をあげて、悪戯を思い付いたようなにやりとした笑顔を俺へ向けた。
「まあいいわ。どの道、波多野君は桐生さんのこと知ることになるしね」
 楽しげに桜井はそう言うと、心なしか足早に昇降口へ向かって歩き出した。
「どういうこと?」
 慌てて俺が桜井を追い掛けると、桜井は微笑みながら振り返った。
「桐生さん、波多野君――それに私も3年1組だって」

 

 

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