◆十九◆

 

 意識と無意識の狭間で、どっちつかずにいるのを自分でも感じる。揺れる柔らかなベッドの上、体が沈んでいくのを感じながら俺は目を閉じた。
 頭の中を巡るのは神野の言葉。はっきりと頭の中に描かれるのは、躊躇うような神野の表情。
 神野から話を聞いた後、どんな道順を辿って家へ帰りついたのか自分でもはっきりと思い出せない。それほど俺の心は混乱していて、困惑していて、そしてどこかで納得していた。

 

 

 真っ赤な夕日が庭を包み込む中、神野は口を開いて、けれど気が進まない様子でゆっくりと言い切った。
 お前の血肉は物の怪に力を与える、と。
 その言葉を神野から聞いたとき、その言葉の響きが耳を打ったとき、恐怖よりも諦めにも似た感情が心の中を占拠した。その瞬間、大気が微かに震えたような気さえした。
 神野曰く、物の怪が俺の血を飲み肉を食らえば、絶大な力と不老不死を得ることができるという。しかし「絶大な力」というのはそれ自体がとてもあやふやなもので、力を得る物の怪によって効果は違うらしい。神野が挙げた一例では、低級は中級または上級へ昇格することができ、上級に至ってはカミに近い存在にまで昇ることができる場合もあるとのことだった。
 神野は言った。俺は特別なのだ、と。どう特別なのか、と俺が問い返したら、神野は俺の目を真っ直ぐ見つめて、俺の存在自体が特別なのだと言った。
 俺のような血と、それに伴う力を持つ人間が生まれるのは非常に稀で、またたとえ生まれたとしてもそのほとんどが、赤ん坊の頃にその力に目を付けた物の怪によって命を奪われるらしい。そのため、俺の年齢まで成長している者は片手で数えられるほどしかいないそうだ。だから神野は俺を見て、特殊ケースなのだと言っていた。

 

 俺の血が、物の怪に利益を与えると知って、実は内心ほっとしている。困惑よりも混乱よりも諦めよりも強く、どこかで安堵している。
 自分が物の怪から狙われるのには確かな理由があったからだと分かったから。闇雲に襲われているのでも、無意味に襲われているのでもなく、ちゃんとした理由があるのだと知れたから。
 自分の血が物の怪を惹き付けると神野から教えられたときよりも、もっとずっと心は落ち着いている。
 桜井が物の怪に襲われる理由が俺にあったように、俺が物の怪に襲われる理由が存在して、自分でも驚くほどにほっとする心に、けれど俺は苦笑を浮かべる。
 俺がこんな想いを抱いていると知れば、神野は怒るだろうか。
 そう思ったとたん、数日前に見た神野の怒りの表情がぱっと頭に浮かんだ。そのあまりの厳しい表情に、思わずベッドから跳ね起きて居住いを正す。かなり衝撃的だったあの神野の様子が、どうやら気付かないところでトラウマになっていたらしい。
 けれど――と背筋を伸ばしたまま思う。今までの人生で、何一つはっきりとしてこなかった俺にとっては、こうした確実な理由が知れたのは大きなことだ。それはきっと、神野も理解してくれているんじゃないだろうか。

 

 神野は俺の血にまつわる話をしてくれて、それで答えを得た俺は納得した。
 けれど新たな疑問が生まれたのも事実だ。
 俺の血が、物の怪に絶大な力と不老不死を与えるなら、どうして俺はこの年齢まで生きてこれたのだろうか。
 実際にこの疑問を俺が口に出すと、神野は溜め息を吐いて、お前は運が良かったのだ、と言った。
 けれど本当に運だけでここまで生きてこれたのだろうか。いや、生きてこられるのだろうか。どうして俺は今まで命を奪われずに過ごせたのだろうか。
 確かに俺は小さな頃から厄介事に巻き込まれていた。けれどそれは物の怪のほんの小さないたずらや嫌がらせの類だったりして、本気で命を狙っていたようには思えない。実際、本当に俺の命を狙っていれば、とうに俺の命など消えてなくなっていただろう。
 たとえ低級の物の怪だったとしても、幼かった俺の命を奪うのは造作ないことだっただろうし、それが上級ともなると文字どおり、赤子の手を捻るよりも簡単だったはずだ。
 十六になって神野の助けがある今、低級や中級を退けることは俺にも可能だけれど、それが上級ともなればさすがに勝手が違う。上級の物の怪なら、今の俺でもいともたやすく命を奪い、力と不老不死を手に入れられるだろう。
 どうして俺は今、こうして無事に過ごせているのだろう。神野は運が良かったからだと言ったけれど、本当にそうなのだろうか。本当にそれだけなのだろうか。

 

 

 他に――他に何か理由があるんじゃないのか。
 あの時、そう問おうと神野を見つめながら開かれた口は、何の言葉も紡ぐことができずに閉じられた。目の前の神野が浮かべていた表情は悲痛ともいえるもので、それを目の当たりにした俺はそれ以上何も言えなかったのだ。
 普段、飄々としている人間があんな表情を浮かべているのを見るのが、どれほど辛いことなのかを思い知った瞬間だった。
 神野はまだ何かを秘めたままでいることは明らかだったけれど、けれどそれを問い質すことはできなかった。
 神野はいつも俺に親切にしてくれた。表面上は面倒そうで、嫌々な感じではあったけれど、実のところ俺を気にかけてくれていることをちゃんと知っている。
 だからこそ、思うのだ。神野を巻き込みたくない、と。
 波多野の両親に対してそう思うように、今は神野に対してもそう思っている。
 俺に親切にしてくれる、俺を思ってくれる人を巻き込みたくない、傷つけたくない、と。
 神野は今まで俺に親切にしてくれて、面倒事も何一つ文句を言わず引き受けてくれた。そんな人にこれ以上迷惑はかけられない。
 俺と一緒にいれば、神野にもきっと迷惑がかかる。俺を狙う物の怪に、今でさえきっと邪魔者扱いされているだろう神野に、これ以上負担はかけられない。

 

 すっと深く息を吸い込んで、俺は真っ直ぐ前を見据えた。
 もう神野の屋敷へ足を運ぶことは二度とないだろう、と考えながら。

 

 

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