◆十八◆

 

 すっかり習慣と化してしまっていたことを止めると、どうも落ち着かない。そわそわとしたり、ぼんやりしたりする中で統一しているのは、無意識のうちにそのことを考えているということだ。
 ぼーっとしながら一点を見つめているかと思えば、そわそわと部屋の中へ視線を巡らせたり、落ち着きなく動いている俺を見かねたのか、神野が大げさに溜め息をついてぎろりとこちらを睨んだ。
「響、じっとしていられないのなら帰りなさい」
 鋭い視線を俺へ送りながら、静かな低い声でそう言った神野は、呆れた様子で再び息を吐いた。
「ごめん」
 神野のすごむような声音にほとんど反射的に謝った俺は、小さく身を縮めた。
 それから手元に視線を落として、シャーペンを握る。それでもすぐに文字を書く気になれず、柔らかなグリップ部分を握ったり、くるくるとシャーペンを回したりして遊んでいると、神野が三度目の溜め息を吐いた。
「勉強なら家でも出来るだろう」
 神野がわざわざ物置から引っ張り出してくれたらしい、天然木の落ち着いた質感の座卓。その上に広げられた俺の教科書とノートと、無造作に取り出された消しゴムへ視線を落とす。少し古めの座卓に、現代的な教科書とノートはいまいちしっくりこない感じがした。
 そんなことを考えながら、俺は視線を落したまま、そうなんだけど、と小さく答える。
「なんか、神野の家にいたくて……」
 そう答えながら、俺は思わず苦笑を浮かべた。桜井に依存できなくなったら、次は神野なのか、と。
 独りは辛かった。だからそれに戻りたくない。独りじゃないこの状況を知ってしまった今は、それが前よりも辛く感じられそうで、恐ろしいとさえ思ってしまう。
 自分勝手な思いに眉をしかめて、それからシャーペンと消しゴムをペンケースへ片づける。黙々と帰り支度を始めた俺の耳に、突然神野の声が届いた。
「試験はいつからだ?」
「来週からだよ」
 そんなことに興味があるのだろうかと驚きながらそう答える俺を見つめて、神野は答えを聞くと別段気にした風もなく軽く返事をした。聞いてきたのはそっちなのに、と思いながら不満げに神野を見つめる。すると、神野はそんな俺の視線に気付いたのか、手に持つ本へ視線を落として、
「ここにいたいのなら、別にいても構わない」
 と、ゆっくりと目で文字を辿りながら、そう付け加えた。
 その言葉に帰り支度を進めていた俺の手が止まる。
 かなり遠回しではあるけれど、これは神野なりの気遣いなのだと気付いて、一瞬思考が止まった。思わず目を見開いて神野を見つめていると、だんだんと胸がむずがゆくなってくる。
 自分でも気付かないうちに、俺は色んな人に迷惑を掛けて、色んな人に心配されている。両親や桜井、そして神野。
 いつまでも甘えていられないし、もっとしっかりしなくては、と思う。俺は唇をきつく結んで、手元へ視線を落とした。
 桜井のことを巻き込まないと決めたのなら、今更ぐだぐだと考えていても仕方がない。桜井は俺が近付かなければ安全なのだ。もし万が一、何かあった時には駆け付けて守れば良い。
 それに今は物の怪絡みの仕事も落ち着いているんだし――。
 そこまで考えを巡らせていた俺は、ふと疑問を浮かべて神野を見つめた。
「この間、最近は物の怪も大人しいって言ってたよな? でも神野からそう言われた翌日に俺、襲われたんだけど」
 軽い調子で俺がそう言うと、神野はそれを咎めるように鋭い視線を俺へ送る。その瞳に宿った光に思わず怯んで、俺は口をつぐんだ。
「軽々しくそういう言い方をするものではない」
 神野の醸し出す雰囲気に、思わず息を呑んで無意識のうちに頷いていた。
「あの時も言ったはずだ。今、何事も起こっていないからといって、お前の場合は明日もそうだとは限らない、と。――お前はもっと自覚しなくてはならない。自分の存在が物の怪にとってどういうものなのか」
 神野はそう言うと、読みかけの本を静かに閉じてそれを横へそっと置いた。そして真っ直ぐ俺を見据えて話を続ける。
「お前の血は物の怪を惹きつけるだけではない。そう単純なものではない」
 神野は重々しくそう告げると、俺から視線を外した。
 神野の言葉に、俺は唖然として神野を見つめる。口を開いたり閉じたりを何度か繰り返して、何度目かの試みでようやく声を出した。
「それ、どういう意味?」
 俺の口から漏れた言葉は掠れていた。
「前に言ってたよな。俺の体に流れる血は、物の怪を惹きつける血で、物の怪を退治する血じゃないって。――それだけじゃないってこと?」
 呆然と神野を見つめ続ける俺の言葉に、神野はゆっくりと視線を上げた。
 暫くの間、俺を見極めようとするように定まらずにいた視線は、やがてぴたりと俺の瞳で止まる。それから神野はゆっくりと頷いて躊躇いがちに口を開いたかと思うと、またすぐに閉じてしまった。
 初めて見る神野のその決然としない様子にこれから話される内容を思って、思わず全身が粟立つのを感じた。
「どうしたんだよ」
 平静を装って出した声は、どこか震えていた。
 これから神野から話されること知るのは、これからの俺の身の処し方に大きく関わってくるだろう。そんな予感が頭を過る。
 神野は未だ、気が進まない様子で庭へ視線を逸らした。庭の景色を鮮明に映しだしている瞳を軽く閉じて、神野は息を吐きだした。それからゆっくりと俺へ視線を戻すと、やはり躊躇いがちに口を開いた。
「響。今から言うことをよく聞きなさい。そしてしっかりと心に留めておきなさい」

 

 

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