◆十一◆

 

 火鉢にあたりながら、冷え切った手を擦り合わせる。そんな中、無情にも入り込んでくる冷たい風に俺は体を震え上がらせた。
「神野、そこ閉めて。寒い」
 がちがちと顎を震わせて舌をもつれさせながら、俺は言葉短く言った。
 けれど神野はその言葉を無視して、縁側に腰をおろして冷たい風にあたりながら、ぼんやりと庭の一点を見つめ続けている。庭には雪がうっすらと積もって、それがきらきらと反射している。綺麗な景色ではあるけれど、寒さに凍える今は悠長にそんなことも言っていられない。
「神野」
 再びがちがちと顎を鳴らしながら短く告げると、神野は溜め息を吐いてぴしゃりと戸を閉めた。それから神野は火鉢の傍までやってくると、俺の真向かいに腰を下ろす。そして火箸を手に取ると、炭の位置を調整した。
「神野」
 手を擦り合わせて少しでも温めようと頑張りながら、俺は正面に座るその人に声を掛けた。神野は炭から視線を外して俺を見ると、火箸を灰に突き刺した。
「なんだ」
 神野は手を組んで俺から視線を逸らさずに小さな、けれどずしりと重く響く声で呟いた。
 俺は一瞬、視線を漂わせてから神野の顔へ戻す。今の俺の顔にはきっと不安の色が見て取れるはずだ。
「この間言ってことなんだけど。どういう意味?」
 神野相手では、遠回しに言って神野に気付いてもらう、という手口は通用しない。遠回しに言えば言うほど話題は核心から逸れていくのが神野だ。
「この間?」
 神野は眉根を寄せて顔をしかめると、俺の言葉を繰り返した。
「そう。言ってただろ? 俺一人で桜井を守ろうとするな、とか」
 俺が噛み砕いて説明すると、神野は、ああ、と思い出したように呟いてぼんやりと火鉢に視線を落とした。
「それがどうかしたのか」
 炭が静かに柔らかく燃える様子を見つめながら、神野は口を開く。その姿はとても幻想的に見えて、神野がいる一角だけがこの世のものとは思えないほど儚げだった。
「ずっと意味を考えてた」
 俺は今にも消えてしまいそうな神野を強く見つめながら言った。もう手を擦り合わせることすら忘れていた。
「どういう意味なんだ? 桜井は俺一人じゃ守れないってこと? それぐらい俺の力が弱いとか、それとも桜井は――」
 俺は不意にそこで言葉を切り上げる。神野は突然切れた言葉に訝しげな表情を浮かべて、顔を上げた。
 これ以上言えない、と突然頭を過ぎる。もしも俺が思っているとおり、桜井がもっと大きな厄介なことに巻き込まれているとしたら。神野の小刀や霊符を持つ俺でも手に負えないほど、神野本人の力を借りないといけないほど、面倒なヤツに狙われてるとしたら。そうだとしたら、桜井はどうなってしまうのだろう。
 それを確かめたい気持ちと、知りたくない気持ちが()い交ぜになって心を満たす。桜井の屈託のない笑顔が陰るのは見たくなかった。
「それとも桜井は、の続きはなんだ」
 すっかり黙り込んだ俺を促す様に、神野が言う。しかしそれでも何も口に出さない俺を見つめると、神野はもう一度火箸を持って、丁寧に炭を動かし始めた。
「まあ、だいたいお前が何を言いたいのかは分かった」
 神野はそう言うと、目を伏せたまま熱心に炭を動かし続ける。俺は伏せがちになっていた視線を神野の火鉢を持つ手へ動かした。
「お前はあの子が本当に心配なんだな。自分のことよりも」
 神野は淡々とそう言うと、火鉢を少し強めに灰へ突き刺した。
「けれど私にとっては違う。私にとってあの子は、ただ物の怪が見えるだけの子だ」
 神野はゆっくりと俺に言い聞かせるようにそう言うと、不意に視線を逸らした。冷たい風が吹く寂しげな庭を見つめながら、神野は言葉を続ける。
「あの子に関してもちろん考えてはいるが、それはお前が絡んでいるからだ」
「絡んでいる?」
 神野の妙な口ぶりに眉をひそめながら、俺は小さく呟いた。最近の神野は遠回しな言い方が多い。それは普段の神野らしくないことだった。
「そう、絡んでいる。あの子はお前にとって大切な友人だ。お前はあの子を自分よりも一番に考えている。物の怪が見える同士≠ニして」
 神野はなおもゆっくりと続けながら、じっと外を見つめ続ける。異様に寒いと思っていたら、外では雪がちらついていた。ひらひらと地面に舞い降りる白い雪は、既にうっすらと積もっていた雪に重なっていく。
「神野が言った、絡んでいるってそういう意味?」
 自分でも思わずその言葉が口から飛び出していた。なんとなく、それだけではないような気がして、妙な感覚に自分でも不思議な心地がする。神野は、思わず俺から零れ出た言葉に驚いたように目を見開くと、すぐにいつもの表情に戻って首を傾げて俺を見た。
「お前は今、私が言った言葉以外に何か意味があるとでも?」
 穏やかな口調で淡々と言う神野に、俺は小さく口を開いて息を吸い込んだ。
「いや……。いや、分からない」
 言葉を発しながら眉根を寄せて、ゆっくりと首を振って答える。自分でも何が腑に落ちないのか全く分からなかった。
「私にとってのあの子は、ただ物の怪が見えるだけの子だと言ったな。けれど、それはあくまで私個人にとってのあの子への見解で、あの子の存在自体については違う見解を抱いている」
 神野は考え込むように視線を落とした俺を見つめて、言葉を紡ぐ。その声は、しんしんと降り注ぐ雪のように冷たくて美しい声だった。
「あの子は微かな力しか持たないのに物の怪が見えると言う。確かに、あの程度の力で物の怪を可視することが出来る者がいないわけではない。けれどそれは非常に稀だ。ほとんどの者は、あの程度では物の怪の気配すら感じることはできない」
 神野は表情をゆっくりと変えながら言葉を発する。つい先程まで穏やかと言えるほど落ち着いていた表情は、今は不思議そうな、そして怪訝そうな表情に変わっている。
「その上あの子は、物の怪に襲われていたと言う。微かな力しか発することが出来ない人間が、物の怪に襲われるなど聞いたことがない」
 神野はついに眉間に皺を寄せると、今自分が言ったことを考えるように黙り込んだ。そして俺も、同じように神野が言った言葉に考え込む。
 前に神野は言っていた。俺の力は強い、と。そのせいか俺はしょっちゅう物の怪に襲われている。つまり神野が言ったことを考えると、力が強い故に襲われるということらしい。
 けれど、桜井は微かな力しかない。神野の気が入った物すら所持できないほどに、その力は微量だ。ならどうして、微かな力しか持たない桜井はあの日、物の怪に襲われていたのか。
「けれど、襲われるというからには何かしら理由があるはずだ」
 神野は物思いから不意に戻ってきて、俺を直と見据えると静かながら強い調子で話し始めた。迷いの消えた(しん)が強い声だった。
「響、あまりあの子に深入りするな。お前の血以上に厄介だ」
 神野はそう締めくくった。警告を含んだ声で。

 

 

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