「なあ、ヒナタ。ワタシの高校生活は一週間後から始まるんだぞ。いいだろう。羨ましいか?」
「どうして僕が羨ましがることがあるの? 僕自身も今まさに高校生活を送ってるのに」
 階段を上りながら僕は言う。
「そういうことじゃないだろ。ワタシは新しい生活を送るのだ。言わば新生活だぞ」
「新生活なら僕だって送ってるよ。ヤーコっていう地球外生命体が家に寄生してるっていう新生活」
「寄生とは嫌な言い方だな。せめて居候と言ってくれ」
「あんまり変わらないような気がするけど」
 そんなことを言いながら僕は部屋のドアを開ける。部屋はわりと片付いている方だ。物が散乱したりしていないし、空気も淀んだりしていない。僕はその自分の部屋にヤーコを先に入れるとドアを閉めた。
「それで? 内密な話って何?」
 僕は自分の机の椅子に腰かける。ヤーコは既に僕のベッドの上で、どこぞの女王様よろしく横向きに寝そべって僕を見上げていた。
「ああ、もちろん勝負のことについてだ」
 ヤーコは言うと、起きあがってじっと僕を見つめた。
「勝負内容だがな、マラソンにしようと思う」
「……マラソン?」
「そうだ。マラソン」
 一体どこでマラソンを知ったんだろう。ヤーコがマラソンなんて言葉を知る機会なんてあったんだろうか。
 僕は得意げにしているヤーコをまじまじと見て考える。そして、今日の学校での騒ぎを思い出した。
「……あぁ。学校でマラソンの練習してるの見て知ったのか」
 僕が脱力気味に呟くと、ヤーコは思い切り首を縦に振った。
「なんだかよく分からんが楽しそうだった。ワタシもあれをやりたい」
 ヤーコはもしかしたら「勝負」と「遊び」の意味を取り違えているのかもしれない。
「ヤーコ、あのさぁ……本当にマラソン勝負でいいの? 君、マラソンやったことないんでしょ? 第一、何キロ走るの?」
「本当にマラソン勝負でよい。もちろんワタシはマラソンをしたことはないが、人間ができることだ。ワタシにできないはずはない。そして――何キロとはどういう意味だ?」
 僕は項垂れてため息を吐く。そもそも基礎的な情報も何もないのにマラソンに決めてしまうヤーコが恐ろしかった。まあ、僕はマラソンでも何でもいいんだけど。
「走行距離だよ。マラソンっていうのは長距離を走るってことは知ってる?」
「長距離――つまり長く走るということだろう?」
「そう。短距離走だと100mとかなんだけど、長距離走なら5000mとか走るわけ。それでマラソンならキロ単位で走るんだよ。高校生女子なら5、6kmってところかな」
「ヒナタはどのくらい走るのだ? それに合わせるぞ」
「男子なら10kmとかかな。高校生のマラソンならそのくらいだけど……いいの? 僕に合わしちゃって。ヤーコは仮にも女の子なのに」
 まあ、地球外生命体なのだから、この場合地球での性別を当てはめてもよいものか微妙だけど。
「仮にも、という言葉が気になるところだが。ワタシは別にお前に合わせるぞ。ワタシは女と言っても地球標準の女ではないしな。それに見た目は16歳だが、別に実年齢が16歳というわけでもないし」
「えっ! じゃあヤーコって何歳なの?」
 驚いて僕が思わず訊ねると、ヤーコは不快そうに鼻に皺を寄せた。
「女に年齢を訊くのは失礼だぞ」
 女性に年齢を訊く。この行為の意味はヤーコの星でも一緒らしい。一つ勉強になった。まあ、いらない知識だけど。
「でもまあ、いいか。ワタシは163歳だ」
「ひゃくろくじゅうさん?」
 思わずたどたどしくなってしまう年齢だった。
「……ちなみに平均寿命は?」
「700、800歳というところだろうな。長生きする者は1000年ほど生きるが」
 つまり日本人の平均寿命×10というところか。だったらヤーコは人間年齢に換算すると本当に16歳ということだ。
「ヤーコは僕の10倍は生きてるけど、僕と同い年ぐらいってことか」
「どういうことだ?」
「日本人の平均寿命は男性が79歳で女性が86歳とか、そのぐらいなんだよ。長く生きる人は100歳を超える人もいる。だからヤーコの星の年齢÷10なんだよ、地球人の年齢は。だから僕と同い年ぐらいでしょ」
「そう言われるとそうだが、実際は根本的な違いがあるがな」
「それは僕にも分かってるよ。たとえ話みたいなものだから」
 僕はそう言ってから、話が逸れていることに気がついた。いけない。今は勝負の話をしているところだったのに、うっかり年齢を聞いてしまってこんな話になってしまった。
「それで話を戻すけど、マラソンでいいんだね? 本当に」
「何度も訊ねるということは、もしやヒナタ――お前、マラソンが苦手なのだろう」
「いや、そういうことじゃなくて――」
「お前が苦手なら断然マラソンだ! よし、マラソンに決定だぞ!」
 なんて横暴なヤツ。
 本当なら僕にだって勝負内容を決める権利はあるはずだ。というか、僕は渋々勝負に付き合ってあげるのだから、僕が決めたっていいはずだ。なのに、目の前の地球外生命体は自分のことしか考えられないらしい。
 ヤーコのことだ。どうせ僕がマラソンを苦手としているなら、楽に自分が勝てるとでも思っているのだろう。だから僕の意見も聞かずにマラソンに決めたに違いない。
「あのさ、本当にマラソンでいいの?」
「もちろんだ! いつにするのだ? 決行日は」
 乗り気なヤーコだった。
「別に僕はいつでもいいけど。っていうか何キロ走るの?」
「10km。それが男子の平均なのだろう?」
「ヤーコがそれでいいなら僕はどうでもいいけど。でも10km走るなら、ヤーコは少し練習しといた方がいいんじゃない? マラソン、したことないんでしょ?」
 我ながら親切心が働いていると思う。本当なら僕がヤーコのことを心配する義理なんてないんだから。
「マラソンをしたことはないが、人間にできることならワタシにも当然できる。早速明日、勝負をしよう」
 おぉ。なんという大口だろう。ちなみに僕は、短距離はあまり得意じゃないけど長距離は得意で、マラソンはその中でも得意中の得意だった。
「そう。じゃ、それでいいよ。明日なら学校が終わってからでもいいでしょ? 夕方の5時くらいからになるけど」
「えー。そんなに遅くからなのか? ……よし! ヒナタ、明日は学校を休め! それで朝から勝負をしよう」
 無茶を言うな。なんて自己中心的な思考なんだ。
「無理。学校は行かなきゃいけないから。第一、何で僕がそんな勝負ごときで学校を休まなくちゃいけないわけ? 勝負は学校が終わってから」
「えー。横暴だぞ、ヒナタ」
 それはこっちの台詞だ。これまで散々横暴だったのは君の方だろう。
「これは譲れない。そんなに朝早くから勝負したいなら、休みの日まで待ってよ。四日後が日曜日で学校休みだから。それに明日はヤーコだって制服買いに行ったり、書類を提出しに高校まで行くんでしょ。どっちみち朝から勝負なんてできないよ」
 淡々と僕が言うと、ヤーコはすっかりそのことを忘れていたのか言葉に詰まった様子だった。
「……忘れてたわけじゃないよね?」
 絶対に忘れてたはずだけど、僕は敢えて訊いてみる。するとヤーコはぎこちなく髪をかき上げた。
「忘れていたはずがないだろう!」
 ベタな反応に僕は少し笑う。ヤーコはそれが気に食わないのか顔をしかめた。
「とにかく勝負は明日の夕方からね。僕もなるべく学校が終わったらすぐに帰ってくるようにするから。10kmのマラソンコースはどうするの? どこを走る気?」
「お前はいつもどこを走っている?」
「学校の授業で走るコースでもいいの? 校庭を三周して、そのあとは森林公園をぐるっと一周、次に街路樹に沿って走って折り返し、森林公園を抜けて校庭に戻って最後に一周するっていうコースだけど」
 ヤーコは僕の言葉に熱心に耳を傾ける。僕が言い終えると、ふんふんと頷いた。
「校庭は今日見たからいいとして、森林公園と街路樹は下見をする必要がありそうだな。明日、出掛ける際にセイコに連れて行ってもらおうか……」
「そうしてもらってよ」
 僕がそう言うと、ヤーコはちょっと頷いてから気持ちよさそうに伸びをした。「うーん」と言いながらネコのように伸びをする。
「よし。勝負内容も決行日も無事に決まったし、夕飯でも食べるか」
 ヤーコは嬉しそうにそう言って部屋から出て行こうとする。きっとリビングに戻るのだろう。僕もその後ろについて行きながら、夕飯まではまだ一時間以上は時間があることを頭の中だけで思っていた。

 

 

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