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「ヒナターおかえり!」
 玄関のドアを開けて、まさか突進を食らうなんて誰が想像するだろう。
 僕はタックルを食らった挙句、閉めたばかりのドアに背中を打ちつけた。くぐもった声が喉から漏れる。ドアノブが絶妙な具合で背中に当たっていて、ものすごく痛い。しかもその上、僕の腰に回されたヤーコの腕がすごい力だった。ぐっと締めつけられて、あと数秒もしたら内臓を全部吐き出しそうだ。
「や、ヤーコ……」
 ぎゅうっと僕に抱きつく――いや、締めつけるヤーコをできる限りの力を振り絞って引っぺがすと、僕はドアノブが食い込んでいた背中を押さえてうずくまった。
「おい、ヒナタ! 床が好きなのか?」
 かける言葉が違うだろう。不意打ちと痛みのあまり涙目になった僕は、仁王立ちで偉そうに腰に手を当てるヤーコを見上げた。
「ドア開けた途端に急襲するとか、おかしいんじゃないの? ドアノブが背中にめり込んだんだけど! しかもヤーコの腕力強すぎでしょ!」
 絶対に腰回りにヤーコの腕の跡がついてるはずだ。間違いない。
 僕は一気にまくし立てるけど、ヤーコは気にしていないのか。僕を見下ろしたまま、さらりと長い髪を手で払った。
「急襲だと!? ワタシがそんな卑怯な真似をするか! 勉強疲れしたお前を少しでも癒してやろうと、可愛い少女を演じて抱きついてやったのに!」
 清々しいまでに腹が立つヤーコの言動だ。
「そんな演技いらないし! 抱きつかれても迷惑だし!」
 未だに立ち上がれないくらいのダメージを食らってしまった僕は、情けなくしゃがみ込みながらヤーコを見上げる。これだけでも敗北感と屈辱感でいっぱいだ。
「ヒナタ。他人の有難い行動に対しては、たとえ恥ずかしくとも有難く受け取れよ。可愛げがないぞ」
「ヤーコのは有難迷惑っていうんだよ。よく覚えておきなよ」
 僕は背中をさすってから腰を触って確かめる。ちょっと触れただけで痛かった。本当に、一体どれほどの力で抱きついてきたんだろう、この子は。
 僕はもう一度だけ恨みがましくヤーコを睨んでから、靴を脱いで這いずるようにして階段を上った。一段ずつゆっくりと上っていくうちに、だんだんと痛みも引いてきた。それでもまだ鈍い痛みが背中と腰回りにあるのは確かで、ヤーコの襲撃と力の強さに僕は改めて愕然とした。
「……おい。そんなに痛いのか? ワタシ、その……すまなかった」
 ヤーコは僕の後ろから階段を上ってついてくる。ちらりと振り返ってみると、ヤーコは本当に申し訳なさそうに目を伏せていた。まさかヤーコは多重人格なんじゃないだろうか。さっきまでのあのふてぶてしいヤーコと、このしおらしいヤーコが同一人物だなんて結びつかない。
「もういいよ。過ぎたことだし」
 あまりにヤーコが項垂れているので、僕はそう言っていた。
「でも次からは、ほんとにやめてよ。ドア開けた途端に飛び付かれるなんて普通想像できないからね」
「分かってる。一度聞けば分かるぞ、ワタシは」
 ヤーコは不貞腐れたように頬を膨らませて言う。
 許した途端これか……。
 階段を上り切った僕は、嘆息しながら廊下を歩いて自分の部屋のドアを開けた。それからヤーコを振り返る。
「じゃあ、僕はこれから着替えるから。君はリビングで書類を持って待っててよ」
「書類?」
「忘れたの? 編入手続きの書類のこと。事務室で聞いた説明だけで大丈夫だった?」
 僕が言うと、丸きり書類の存在を忘れていたらしいヤーコは「あぁ」と言って手をぱんと叩いた。
「そのことなら説明は不要だ。事務室で説明を聞き、そのあと家に帰ってセイコに見てもらったからな。手続きに必要なものはすべて用意し終えた。明日、学校に提出する予定だ」
 自慢げにヤーコが言う。ヤーコが理解できているのなら別に構わない僕は、軽く頷いた。説明する手間が省けたのなら、これほど喜ばしいことはないと思えるくらいだ。
「そういえば、編入試験とかはどうなったの?」
「それも問題ない。試験など受けずとも私は高校に通える」
 ヤーコはやっぱり自慢げに言う。
 その台詞の真相を聞きたくなったけど、僕は敢えて聞かずにいることにした。どうせろくな答えが返ってくるはずもない。
「ではお前の調子も戻ったようだし、ワタシはリビングに戻るとしよう――あっ。一つ言い忘れていた。ワタシは別に腕力は強くないぞ。普通だ」
 あの力強さで普通とか、どんだけなんだよ……。
 思い出したように振り返って笑顔で付け足したヤーコを見つめて、僕は心の中でそう思った。
 恐るべし、地球外生命体。
 僕は未だに鈍い痛みが走っている自分の腰回りを触って、とんとんと軽やかに階段を下りて行くヤーコの足音を聞きながら部屋へ入った。
 ぽんとベッドの上に鞄を投げて、ジャケットを脱ぐ。手早く普段着に着替えてから、僕は再び部屋を出て階段を下りて行った。
 この時間は、青葉がリビングにいるはずだ。暗示にかけられているとはいえ、可愛い妹に変なことを吹きこまれてはたまらない。急いでリビングに入ってヤーコと青葉の姿を確認すると、二人は仲良くソファに座って談笑しているところだった。
 会話内容までは聞こえてこないけど、青葉はなにやら上機嫌に話をしていて、ヤーコの方もにこやかに相槌を打っている。なんだか妙な景色だ。折角意気込んで下りてきたのにこれでは拍子抜けだ。
 僕はそんなことを思いながら、ソファまで歩いて行って腰を下ろした。

 

 

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