「それでヒナタ。ワタシは事務室とやらへ行ったあとはどうすればいいのだ? まさかそこで見捨てる気じゃないだろうな」
「え? 見捨てちゃダメだった? 残念だな」
 軽く返すと、ヤーコは僕の真ん前に仁王立ちで立ちはだかった。
「お前はわざと言っているだろう! そんなことでワタシがへこたれるとでも思っているのか?」
「安心して、ヤーコ。君がこんなことでへこたれてくれるほど可愛くないことは分かってるよ」
「やっぱりわざとだな!」
 ヤーコは突然僕の腕を引っ掴むと、引っ張ったり振り回したりする。ぶんぶん風を切って振り回される僕の腕。さすがに力の限り腕を振り回されると痛い。でもここで力の限り振り払ったら、ヤーコが怪我でもしてしまいそうでそれはできない。さすがに女の子(地球外生命体だけど)に怪我を負わすなんて嫌だった。
「や、ヤーコ。痛いからやめ……」
「ヒナタ、酷いぞ!」
 酷いのはそっちだろ!
「ほんと、やめて。痛いって……」
「謝れ、ヒナタ!」
 なんで僕が謝らなくちゃいけないんだ!
 でも謝らないと腕をいつまでたっても振り回され続けてしまう。このままでは腕が腕としてあり続けることに対しての危機的状況が訪れることは必至だろう。僕は骨折なんてしたくないし、ましてや腕を失いたくはない。
「ごめん。僕が悪かったよ」
 何が悪かったのかは分からないけど。ちょっとからかっただけなのに……。
 けれどヤーコにはその謝罪で十分だったらしい。僕が「ごめん」と言った瞬間に、ヤーコはぴたりと腕を引っ張ったり振り回したりするのをやめた。
「ほんとに悪かったと思っているか」
「……思ってるよ」
「その微妙な間が気になるところだが、まあいいだろう」
 どうして僕が許しを乞う形になっているんだろう。それが気に入らないけど、仕方ない。この場合、腕には代えられない。
 ヤーコはやっと僕の腕を放すと、大人しく歩きだした。僕はその横顔を見下ろして、ほっと安堵の息を吐く。どうでもいいから早く事務室にたどり着きたかった。
「事務室に着いたら、編入手続きがしたいって言いなよ。必要な書類とか多分口頭と文書で説明されると思うから、それを家に持って帰っておいで。僕が見て、改めて説明するから」
「今この場で説明してくれないのか?」
「僕は今、体調不良で保健室に行ってることになってるからね。これ以上授業を抜けたらまずいよ」
「ヒナタ。体調不良なのか?」
「いや、嘘だよ」
「嘘なのか!」
 ヤーコはショックを受けたのか、まるで雷にでも打たれたかのように目を見開いて僕を見上げている。嘘というのがそんなにショッキングな出来事だったのだろうか。ヤーコのことはよく分からない。
「教室を抜け出すためにね。君が窓の外で僕を大声で呼ぶんだもん。僕が駆け付けなかったら、どうせ君が教室にまで乗り込んでくるつもりだったんでしょ」
「そ、そんなことはないぞ」
 絶対嘘だな。
「とにかく家に書類を持って帰ってきて。僕が説明したら、そのあとは本当に自分でなんとかしなよ」
「なんとかって、どうすればいいのだ?」
「それを僕に聞かないでよ。自分から住民票も義務教育も何とかなるって言いだしたんでしょ」
「それもそうだな」
 ヤーコは合点がいったようにうんうん頷く。その仕草だけ見れば可愛いのに、性格がこんなだなんて。
 話をしているうちに、無事に事務室に到着する。ちらりと中を覗いてみると、真剣な表情で机に向かっている人たちが見えた。仕事をしているところを邪魔するのは少し気が引ける。けど考えようによれば、これもこの人たちの仕事だ。そう思うようにして、僕は声をかけた。
「あの、すみません」
 僕が声をかけると、一番近くの机に座っていた女の人が顔をあげる。僕とヤーコを確認すると、静かに席を立って歩いてきた。
「何かご用?」
 素っ気ない台詞だ。
「彼女がここに編入したいそうなんですけど、必要な書類とか資料とかいただけませんか?」
「資料と書類を渡すだけでいいの?」
「説明も頼む」
 突然ヤーコが割り込んでくる。けど確かにヤーコの台詞ももっともだった。だから僕は肯定の意を示して頷いた。
「彼女に説明もしてやってください。編入なんてしたことないんで、手続きとかよく分からないんです。それに必要な書類も分からないし」
 僕が伝えると、事務の女性はこれまた素っ気なく頷いた。
「じゃ、そちらの彼女。中へどうぞ」
 事務の女性はヤーコに向かって言うと、ずんずんと部屋の中へ進んでいく。僕はぼんやりしてその姿を見つめているヤーコに気がついて、そっと背中を押した。
「じゃあ説明しっかり聞いておいでよ。それで説明を聞き終えたら真っ直ぐ家に帰ること。間違っても僕の教室に行こうなんて思わないで」
「分かってる。じゃあ、ヒナタ。勉強とやらを頑張れよ」
 ヤーコは「当然だ」とでもいうようにそう言うと、ひらひらと手を振って女性の後に続いた。きっとあとで教室に寄ろうと考えていたに違いない。なんとなくそんな確信に満ちた思いが頭の中を駆け巡った。

 

 

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