「……分かったよ」
 ぽつりと小さな声で言うと、ヤーコの手が僕の胸の上に当てられたのを感じた。
「え? ヒナタ、聞こえなかったぞ。何だって?」
 階段の上へ視線を向けていた僕は、正面に顔を戻す。すると間近にヤーコの顔があって、そのドアップさに思わず身を引いた。
「近いよ!」
「そんなことはどうでもいい。何と言ったのだ? 聞き取れなかったぞ」
 なんだか必死なヤーコ。本当に僕の台詞が聞き取れなかったらしい。ここで二度もあの台詞を言うのかと思うと、途端に嫌気が差してくる。はっきり言って、二度も屈辱的な言葉を吐きたくはない。でも、ここは睡眠のためだ。僕は割り切ってもう一度、今度ははっきりと言った。
「分かったよ、って言ったんだよ。勝負してあげる」
「ほんとか! ヒナタ」
 見る見るうちに顔中に笑顔を広げていくヤーコ。なんだか勢いに任せて抱きつかれそうな嫌な気配を感じ取った僕は、ヤーコの腕を掴んで自分との間に十分な距離を置いて、僕も数歩後退した。
「ただし、僕が言う勝負は妨害行動を懸けた勝負だよ。地球征服を懸けた勝負じゃない」
「……えー。そっちの勝負なのか……」
「文句があるなら、その勝負もしない」
 不満そうなヤーコを見下ろして僕が言う。するとヤーコは慌てたように首を振った。
「いや、文句などないぞ! 安心しろ、ヒナタ」
 正直に言って、ここで文句を垂れてくれた方が僕としては助かったんだけど。まあ、仕方ない。
「……まあ、とにかく勝負してあげるよ。だから今度はちゃんと約束してもらうからね」
 僕は、眠くなった頭で可能な限り思考する。どうすれば今の二の舞を踏まずに済むだろうか。どういう行動をとって、どういう対応をすればいいのだろうか。
「今みたいな心の広い行為を僕は二度としないってことを覚えておいて。次の勝負で僕が勝ったら、ヤーコは勝手に一人で征服計画でもなんでもすればいいよ。僕は絶対に手出しはしないし、邪魔立てだってしない。その代わり、僕が負けたらヤーコの征服計画をことごとく邪魔して阻止しようとしてあげる。あらゆる手段を使って可能な限り、ね」
「本当か? ヒナタ、お前は顔だけじゃなく心も男前だな!」
「別に思ってもいないことは口にしなくていいから。それに大事なのは最初の方の『僕が勝ったら』っていうところだからね」
「うんうん。分かってるぞ。そっちもちゃんと覚えてる」
 ヤーコはにこにこと頷くと、僕に手を差し出してきた。
「この星では交渉成立時に握手とやらをするのだろう? ワタシたちもしよう」
「ま、いいけど」
 僕は肩をすくめて、ヤーコと同じように手を出す。ぎゅっと握ると、ヤーコはぶんぶんと手を上下に振りだした。
「交渉成立だ! 明日から頼むぞ、ヒナタ」
 ヤーコはそう言い終えると、するりと手を抜いた。
 地球式の交渉成立。だったら次は、ヤーコの星式の正式な儀式をしたいところだ。
「ヤーコ。君の星ではこういうときどうするの? 本当に一番正式なやつを教えてよ。それを今からしよう。今度こそヤーコが言い逃れできないようにね」
「……最後の一文が非常に気になるが……。まあいいだろう」
 ヤーコは言うと、身を乗り出して僕の首元に顔を摺り寄せた。瞬間、僕の全身は粟立つ。小さく奇妙な悲鳴を出してしまいそうになって、僕は口を強く結んだ。
「これがワタシの星流の交渉成立時の行為だ。これをすることによって、ワタシは約束を違えることができなくなる」
 嘘だろ、と思ったけど、ヤーコの真剣な瞳を覗き込んでもそこから偽りは読み取れなかった。
「それ、もしかして僕もしなくちゃいけないの?」
「うーん。ヒナタはこれをしなくても約束を破ったりはしないだろう? ヒナタにとっては握手だけで十分ではないか? まあ、したいのならしても構わないが」
「しなくていいなら喜んで遠慮するよ」
 つまりヤーコは、自分自身が約束を破る性格だということを自覚しているらしい。それもどうなんだとは思うけど、今の行為によってそれができなくなるというのなら、僕はそれで満足だ。
「……いちいち言い回しが気になるが、まあ、よしとしよう」
 ヤーコは難しそうな顔をして言うと、すぐに表情を切り替えてにっと笑った。
「それではヒナタ。もう眠いのだろう? 長々と付き合わせて悪かったな。ま、明日からはワタシの地球征服に対する妨害を懸けた勝負に本気でかかってきてくれよ」
 ヤーコは言いながらひらひらと手を振る。それからリビングへ戻るのか、颯爽と長い黒髪をなびかせて踵を返した。
 明日からの勝負を本気でする……かどうかは分からないけど、こういう取り決めをした以上、仕方がない。
 明日の朝起きたら、途端に自分の行動を後悔する気がひしひしとした。

 

 

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