「はあ? 嘘?」
「ワタシは高等な生き物だが、さすがに思考を支配することはできないなぁ」
 ヤーコはこれ以上ないというほど悔しそうな顔をする。
「言ってみたかっただけだ」
「それで済まされるとでも思ってんの?」
 頬が引き攣るのを感じる。
 嘘だって? 言ってみたかっただけだって?
「ん? 済ましてはくれないのか」
 ヤーコは、今度は残念そうな顔になった。その表情が小さな子どものようで、しかもかなりの美少女の姿ということも手伝って、僕は怒鳴るタイミングと気力を失ってしまった。
「……もう、いい……」
 僕はそう言ってからすぐに、別のことを危惧しなければならないことに気付く。
「っていうか、ヤーコ。君、この家に居座る気なんでしょ?」
「うむ。そのつもりだ」
「どうやって?」
 僕が間髪を入れずに身を乗り出して聞くと、ヤーコはストレートの黒髪をくるくると巻き付けていた指を止めた。それから僕の質問の意味が分からないとでもいうように、澄んだ灰色の瞳を少し見開いた。
「だっていきなり君が家にいたらおかしいでしょ、普通。『今日からここで暮らします』『はいそうですか』って話が進むわけない。どうやって僕の家族を説得するつもり? まさか、僕に言ったのと同じように『人間を征服します。だから家に置いてください』とか言うつもりじゃないんでしょ」
 ヤーコのことだ。どうせはっきりそう言うつもりだったに違いない。まあ「ヤーコのことだ」とか言えるほど僕もヤーコを知っているわけではないけど。でも、きっとストレートに言うつもりだったに違いない。
 案の定、ヤーコは進むべきマスが見つからないような困った顔をして、むくりと起きあがった。それから顎をさすって少しの間考える様子をみせる。数秒間の沈黙のあとヤーコは、
「それじゃ、ダメか?」
 言った。
「ダメ、絶対」
 何かの標語のように言う僕。ヤーコは一刀両断されたように「うっ」と唸ると、うつ伏せにベッドに倒れ込んだ。
「じゃあ何て言えばいいんだよぅ」
「出て行ってくれたら一番いいけどね」
「それは却下だ」
 ほんの少しだけ期待した僕の心を今度はヤーコがぶった斬った。
 ヤーコはバタ足しながらうんうん唸っている。と思っていたら、突然がばっと起きあがって僕を見つめた。
「お前、彼女はいるのか?」
 意味が分からない。
 僕が呆れた顔でヤーコを見つめ返していると、ヤーコは頬を膨らませながら再び、
「彼女は?」
 聞いた。
「いないけど。それが何か?」
「よし。ではワタシがこの家に住まう理由が決定したぞ。ワタシは花嫁修業のために、未来の家族とここに同居する」
「へえ。いい案だね――って言うとでも思ってるわけ?」
 僕は今度こそ思いっきり呆れてヤーコを見た。
「ヤーコ。君の今の見た目は16歳なわけでしょ。16歳で花嫁修業とか、どんだけ頭に花が咲いてんの? 却下。絶対無理だね。それなら黒ネコの見た目のまま、ペットとして飼った方がずっとマシ。ただし、喋っちゃダメだけどね」
 僕はそれだけ一気にまくし立てると、しゅんとしたヤーコを見下ろした。
「えぇ? 良い案だと思ったのになぁ。では何と言えばよいか一緒に考えてくれ」
「僕が協力するはずないでしょ」
「だよなぁ……」
 ヤーコは途方に暮れたように天を仰ぐ。
 その様子があまりにも綺麗で、僕は不覚にも同情心を抱いてしまった。言葉遣いはお世辞にも良いとは言えないし、発言内容は物騒極まりない。でもそれすらもカバーしてしまう美しさと人を惹きつける何かをヤーコは持っているような気がした。
「……そうだった! 解決したぞ!」
 ヤーコは突然大声で言うと、嬉しそうに両手をぱちぱちと叩いた。
「ワタシは暗示をかけられるのだ! それでこの家の人間の心に暗示をかけて、この家に居座ればよいのだ」
 そんな大事なことを忘れられるというのは、ある意味尊敬に値することのようにも思える。まあ、単にヤーコが抜けているということだろうけど。
「これで一安心だな」
「こっちは全然安心できないけどね……」
 僕は小さく呟く。
 暗示。そんなの人間の思考を支配した、っていうのとどう違うっていうんだろう? 青葉や両親が暗示にかけられて、それでこの厄介な侵入者を家に置くなんて……。
「安心したら腹が減――」
「安心とか関係なくお腹空いてたでしょ、ヤーコは」
「そうだったな。お前は人間の癖に頭がいいなぁ」
「僕が頭いいんじゃなくて、ヤーコの考えが足りなさすぎなんだよ」
 きっぱりと言い切る僕。ヤーコは自分がそう言われたにもかかわらず、にやにやと満足げに笑っている。やっぱりヤーコはおかしい。改めて確認することでもないけど。
 もしかしたら、さっき同情を心の中に芽生えさせてしまったのも、ヤーコの暗示か何かなのかもしれない。僕は一人でそっと思った。

 

 

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