深いため息を吐くと、ヤーコが僕の顔を覗き込んだ。
「どうした? 具合でも悪くなったか?」
 ヤーコは眉尻を下げて、心配そうな顔をしている。
 僕はもう一度長く息を吐き出した。
 調子が狂う。さっきまで嫌味なくらい高慢だったかと思えば、次に見せるのはこんな表情だなんて。
 もしかしたらこれも作戦の一つ? いやいや、作戦なんて立ててなさそうだし。いやいやいや、もしかしたらバカに見せかけているだけで、実はすっごい策士だったりするのかもしれない。かなり可能性は低そうだけど。
「おい! 口も利けないようになったのか? しっかりしろよぉ」
 僕が一人で考え込んでいるのを、喋れなくなったのだと勘違いしたらしい。ヤーコは僕の腕を強く握って揺すぶった。
「痛い、痛い! 喋れるよ!」
 ヤーコはかなりの怪力らしい。腕がへし折られるかと思った。
 ヤーコは僕の言葉を聞くと、なぜだか涙ぐんでいきなり抱きついてきた。
「よかった! 簡単に口が利けなくなる劣悪生物のいる星に辿りついてしまったのかと思ったじゃないか!」
「そっち!?」
 僕はヤーコを振り払うと、ヤーコと十分な距離を取った。
「不用意に僕に近付かないでくれる? 迷惑」
「なんだと? ワタシに抱きつかれて嫌なのか?」
 ヤーコは気味が悪いぐらい妖艶な笑みを浮かべた。これだから顔が無駄に整ってる奴は嫌いだ。
「嫌。すっごい嫌。迷惑。鳥肌が立つ」
 素っ気なく僕が言うと、ヤーコは唇を尖らせて頬を膨らませた。
「何だと! このヤーコ様が抱きついてやったというのに、その言いようは何だ?」
 僕はわざとため息を零すと、無視した。
 何だか本当に面倒な具合に話が進んでいってしまっている。ヤーコを追い出すのは簡単そうだけど、追い出したあとすぐに戻ってきそうだ。
 僕は目の前のヤーコを見て、それからふと新たな疑問が浮かんだ。
「もう一つ、質問」
「今度はなんだ?」
 ヤーコはじっと僕を見つめて首を傾げた。
「ヤーコの性別は? っていうかそもそも、性別はあるの?」
「性別ぐらいあるに決まっている。当り前だろう」
 ヤーコはやれやれとわざとらしく肩をすくめてみせた。その行動に、特に腹は立たない。「当たり前だろう」と言われたところで、僕は地球外生命体の身体のことなんて想像もできないのだから、ヤーコにとって「当たり前」でも僕にとっては全然「当たり前」じゃないのだ。
「じゃあ、ヤーコは男? 女?」
「見て分からないのか? 女に決まってるだろう」
 僕が問いかけると、ヤーコは自身の全身を指して言った。
「こんな格好した男がいたら、気持ちが悪いだろう! ワタシには女装趣味はないぞ。女じゃなかったらこんな格好はしない」
「そう言われてもね……」
 第一、ヤーコの星のことは僕には未知なわけだ。確かに地球基準では、ふわふわのワンピースを着てる男なんて気持ち悪いけど、ヤーコの星ではそうじゃないかもしれないんだから。
「なあ。ワタシは腹が減ったぞー」
 ヤーコは話を切ると、勢いよくベッドに倒れ込んだ。そしてそのまま、ばたばたと足を動かす。
 思考の合間を縫って、ヤーコのバタ足音が耳に入ってくる。最初はさして気にならなかったけど、だんだんとヤーコはバタ足を大きくしていって、それに伴って音も大きくなっていく。
 思考を引き裂くような音に苛立ってきて、結局負けてしまった。
「あぁもう! 分かったよ! 何食べたいの?」
「おススメは何だ?」
「おススメ?」
「忘れたのか? ワタシはこの星の生物ではないのだぞ。この星でどんなものが食されているのかも知らないし、食べ物の名前すら知らないのに『これが食べたい』とリクエストできるはずもないだろう」
 確かに、言われてみればそうだ。でも、地球人じゃないのに地球の食べ物を食べても大丈夫なのだろうか。
 僕がそう考えた瞬間、ヤーコは思い出したように付け加えた。
「ちなみにワタシの体はどの星にも適応できるようになっている。無論、食べ物に関してもそうだ。安心しろ」
 ヤーコは言うと、寝返りを打って僕を見つめた。その表情は「早く食べ物を持ってこい」と暗に僕に伝えている。
 僕は仕方なく立ち上がろうとして――結局もう一度座った。ヤーコは眉間に皺を寄せて、僕を不審そうに見つめた。
「質問」
 僕が言うと、ヤーコはやれやれと嘆息した。
「質問が好きなヤツだなぁ……。何だ? 発言を許す」
 さっきからいちいち言葉遣いが上から目線なのは何で?
 こう聞きたいところだけど、今はそれを聞くときではない。僕はぐっと堪えて別の言葉を発した。
「この家の人間の思考を支配した、とか訳分かんない物騒なことも言ってたよね。あれ、どういうこと?」
「ああ、そのことか」
 ヤーコは何でもないことのように言って、ふふふ、と笑った。
「あれは嘘だ」

 

 

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