01


 6月11日、金曜日。22時30分。その電話は鳴った――と、物語口調で考えてみる。
 暇にも程があると思っていた矢先のグッドタイミングな電話だった。
 友達からだろうかと思いながら携帯を開けてディスプレイを見てみると「番号通知不可能」と表示されていた。普段なら見向きもしないし、絶対に電話に出たりなんてしない。
 そう考えるとこの電話はグッドタイミングではなくバッドタイミングだ。魔が差したとしか言いようがない。あまりにも暇すぎた私は、暇潰しにでもなればと思いながら通話ボタンを押して携帯を耳に当てていた。
「もしもし」
 悪戯電話だったら困るので、敢えて低い声で不機嫌に出てみる。電話口の向こう側で、相手が息を呑んだのが分かった。
「もしもーし」
 何も喋らない相手に畳みかけるようにもう一度、少し大きな声で言ってみる。けれど相手は息を呑んだまま何も話さない。悪戯電話か、それとも間違い電話か。
 私は片方の眉を吊り上げながら、もう一度口を開いた。
「もし――」
『もしもし?』
 私の少し苛立った声の「もしもし」は相手によって遮られてしまった。やっと声を発した受話器の向こうの相手に、私は小さく息を吐き出しながらベッドに腰掛けた。
「はい。どちら様?」
 どうやら相手は男のようだ。低く心地よい、上品な声だった。
 相手が声を発したということは、悪戯電話ではなく間違い電話か。そんなことをぼんやりと考えながら電話口の向こうの相手に催促すると、相手は少し間を開けてから言った。
『えっと――オクミアヤトです』
「はあ」
 オクミアヤトと名乗った相手はやけに丁寧な口調だ。声は若そうなのに、しっかりしている印象があった。
『この番号にかけたら面白いことが聞けるって、友達に言われたので……』
「はい?」
 あくまで丁寧な口調は崩さず、けれど告げられた言葉に私はむっとして言っていた。つい先程までは少し感じがよさそうな相手だと思っていたのに、オクミアヤトの一言でそれは崩壊した。
『あの……そっちって本当に――?』
 オクミアヤトはそう言うと口籠る。その先の言葉は一体何なのか。私はベッドにダイブしながら、からかい口調で言った。
「『本当に』の先は何? もしかしてこれって丁寧な口調で油断させておきながらの変態の電話?」
『へ、変態!?』
「いや、下着の色でも聞いてくるのかなーって思って」
『そんなこと聞かないよ! ……いや、ごめん。そうだよね、そんなわけないし』
 受話器の向こうで勝手に納得するオクミアヤト。私は訳が分からないなりにも「ふぅん」と返しておいた。
「ねえ。この番号、誰から聞いたの? 勝手に私の番号言いふらすなって今度釘をさしておかなくちゃ」
『親友から聞いて……ごめんね。僕がよく言い聞かせておく。というか、僕も本当に通じるなんて思ってなくて、軽い気持ちでかけてしまったんだ』
 オクミアヤトは丁寧な口調で謝罪の言葉を述べる。電話越しだけれど、彼が深々と頭を下げている様子が目に浮かぶような対応だ。その対応からオクミアヤトが悪い人間には思えなくて、私は少し声を和らげることにした。
 オクミアヤトが悪いというよりも、彼に私の携帯番号を教えたヤツが悪いのだ。
「いいよ。私もちょうど暇だったし。それで、面白いことって具体的に何なの? 私、そんなネタとか提供できないよ」
『ああ、僕も詳しいことは何も聞いてなくて。ただ面白いこと≠ニしか』
「じゃあ尚更困っちゃうな。私はどうすればいいの? 何か喋る?」
 私が軽い気持ちでそう言うと、オクミアヤトは少し沈黙した。
 ごろりと仰向けになった私は、じっとオクミアヤトの言葉を待つ。そのまま待つこと数十秒、オクミアヤトは切り出した。
『あの、君さえよければなんだけど。また電話かけてもいいかな? お互いの近況を話し合ったりしてみたいなって思ったんだけど』
 オクミアヤトの提案に、私は思わず言葉を詰まらせてしまった。
 そんな面倒くさいことをしたいと思う人間がいるだろうか。少なくとも私は思わない。
『――やっぱり駄目だよね。ごめん』
 明らかにしゅんとした声でオクミアヤトは言う。その声があまりにも寂しげで、私は思わず返していた。
「ううん。別にいいよ」
 言ってしまってから私は顔をしかめた。
 どうして私の善の心はこういうときに働いてしまうのだろう。もっと別のときに働いて欲しいものだ。たとえば、街で募金箱を持って立っている人を見かけたときとか。
『本当? いいの?』
 今度は明らかに嬉しそうな声を上げてオクミアヤトが言った。
 ここまで喜ばれてしまっては私の小さな心ではもう断ることはできない。私は自分自身を恨めしく思いながら「うん」と呟いた。
『じゃあ、改めて。僕はアヤト。好きに呼んでくれていいよ』
「分かった、アヤト。私は綾加(あやか)。綾加って呼んで」
『アヤカね』
 アヤトは弾んだ声でそう言うと、小さく『あっ』と声を上げた。
『もうこんな時間だ、ごめんね。明日また、同じ時間に電話してもいい?』
 ここまでくると、もう断れない。私は心の中で大きな溜め息を吐きながら、頷いた。
「分かった。明日の夜10時30分に、待ってる」
『ありがとう。じゃあね、アヤカ』
 アヤトは丁寧にそう言ってから電話を切った。
 取り残された私に残ったのは無情にも「ツーツー」と通話が終わったことを知らせる携帯だけだ。私は嘆息しながら、携帯を耳から離して電源ボタンを押した。
 どうやら面倒なことに付き合わなくてはならなくなったらしい。
 もしかしてアヤトは毎晩電話をかけてくる気だろうか。そんなことになったら面倒だ。どうして私がよく知りもしない人と毎晩近況を語り合わなくてはならないのか。
 それもこれも自分の気まぐれが原因だとは分かっていたけれど、悪戯でアヤトに携帯番号を渡した相手を恨まずにはいられなかった。

 

 

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